「バヌアツ共和国」ってどんな国?
「バヌアツ共和国」の正式名称はビスラマ語で「Ripablik blong Vanuatu」、フランス語で「République du Vanuatu」、英語では「Republic of Vanuatu」です。漢字では「新希比利的」と表記し、その他「新希不力兌斯、新赫布里底、牛亥伯利第、紐海白力斯、瓦努阿圖、萬那杜」などとも表記されます。
「バヌアツ共和国」の広さ 面積・場所について
「バヌアツ共和国」の面積は約1万2,190平方キロメートルで、新潟県とほぼ同じ大きさです。
「バヌアツ共和国」の場所は、南太平洋のシェパード諸島の火山島上にあり、西にオーストラリア、北にソロモン諸島、東にフィジー、南にフランス海外領土のニューカレドニアがあります。
また、およそ800キロメートルにわたって北北西から南南東に連なる83の島によって構成され、それらはニューヘブリディーズ諸島と呼ばれ、そのうち、住民が居住する島は約70です。
「バヌアツ共和国」の首都について
「バヌアツ共和国」の首都は「ポートビラ」で、「ポートビラ」は、エファテ島の南岸に位置し、西に開けた湾に臨んでおり、座標は、南緯17度44分、東経168度19分です。
「ポートビラ」の人口は、2009年現在、約4万4,039人です。
「バヌアツ共和国」の人口について
「バヌアツ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約30万人であり、人口密度は、約24.61人で、第155位です。
「バヌアツ共和国」の成り立ちについて
「バヌアツ共和国」は、1605年にキロス(スペイン人探検家)によって発見され、1906年に英仏の共同統治下に入り、1980年7月30日に独立して英連邦の一員となり、サント島の反乱が鎮圧されました。
「バヌアツ共和国」の国民・宗教・言語について
「バヌアツ共和国」の国民について
「バヌアツ共和国」の人種割合は、メラネシア系が約98パーセントで、ほかにフランス系、ベトナム系、中国系、非メラネシア系太平洋諸島民族が居住しています。
「バヌアツ共和国」の宗教について
「バヌアツ共和国」の国家宗教は、長老派教会が約36.7パーセント、英国国教会が約15パーセント、カトリック教会が約15パーセント、地域固有の伝統信仰が約7.6パーセント、セブンスデー・アドベンチストが約6.2パーセント、キリスト教会が約 3.8パーセント、その他が約15.7パーセントです。
そのほかには、ジョン・フラム信仰が含まれ、ジョン・フラム信仰とは、太平洋戦線からアメリカ軍が去った第二次世界大戦後、メラネシアの各地で広まったカーゴ・カルト(積荷信仰)の1つで、ジョン・フラムという白人の聖者が莫大な財宝(積み荷)を持って自分たちの島を訪れるというものです。
ちなみに、タンナ島では、毎年2月15日に彼を迎えるための盛大な祭りが行われています。
「バヌアツ共和国」の言語について
「バヌアツ共和国」の公用語は、3つあり、ビスラマ語、英語、フランス語です。
このほか、約100以上の地方言語があり、共通語は、ピジン英語のビスラマ語です。
ビスラマ語は英語を基本に、大洋州諸語のポリネシア諸語や南オセアニア諸語とフランス語が混ぜ合わさってできたクレオール語で、共通語としての役割を担っています。
国民は、普段は自分の出身地の言語を使用し、ビスラマ語が普及する以前は島ごとに言語や文化が異なり他の島の人との疎通が困難だったため、「砂絵」という絵文字文化が生まれ、一筆書きで描かれるという特徴があります。
南太平洋の独立国の中では唯一フランス語が公用語になっており、主に首都ポートビラのあるエファテ島とタンナ島やエスピリトゥサント島で使われています。
各家庭では、教育では英語系とフランス語系どちらかが選択され、政治勢力も英語系・仏語系に分かれており、英仏共同統治の名残があり、政府機関等では英語が主に使用されています。
大洋州諸語は、100以上に及びますが、主なものは、レナケル語、グナ語、ウリピブ語、モタ語、エマエ語、メレ・フィラ語、フトゥナ・アニワ語などです。
「バヌアツ共和国」の経済状況について
「バヌアツ共和国」の通貨はバツで、GDPは約9.34億米ドルで、世界180位です。そして、一人当たりのGDPは約2,875.95米ドルで、世界132位です。
「バヌアツ共和国」の貿易について
「バヌアツ共和国」の貿易相手は主に、輸出がマレーシア、オーストラリア、日本、米国で、輸入がオーストラリア、ニュージーランド、中国、タイ、シンガポールとなっています。
「バヌアツ共和国」の主な輸出品目は、コプラ、木材、カヴァ、牛肉、ココアで、輸入品目は、機械・輸送機器、食料品、日用品です。
「バヌアツ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「バヌアツ共和国」は、共和制で、議会は一院制で、議員数は52名、任期は4年です。
「バヌアツ共和国」の政策
「バヌアツ共和国」は、バヌアツはかつて英・仏が共同統治を行ってきたことから英系と仏系の政党が政権争いを繰り返して内政は不安定な状態が続いてきました。
2004年11月にボオール首相(仏系)が単独で台湾を訪問し、台湾との外交関係樹立のコミュニケが発表されましたが、ほとんど全ての閣僚は「一つの中国」政策を維持すべきとの立場が表明されたため、ボオール首相は内閣で立場が孤立し、結局同年12月に内閣不信任動議が提出、可決され、新首相にハム・リニ(英系)が選出されました。
2008年9月に行われた総選挙では、エドワード・ナタペイ元首相率いるバヌアアク党(VP)が11議席、現職のリニ首相率いる国民連合党(NUP)が8議席をそれぞれ獲得し、各党間の多数派工作の結果、ナタペイVP党首が首相に選出されました。
2010年12月、ナタペイ首相に対する内閣不信任動議が可決され、サトー・キルマン副首相兼貿易大臣が首相に選出されたものの、2011年4月、キルマン首相に対する不信任決議が可決され、過去に3度首相を務めた経験があるボオール氏が4度目の首相に選出されました。
その後5月、議会がボオール首相を選出したことは違憲との控訴審判決がなされ、キルマン氏が首相に復権しましたが、6月にバヌアツ最高裁によって2010年12月のナタペイ首相(当時)の排除およびその直後のキルマン首相選出は違憲と判断され、ナタペイ元首相が暫定首相に任命されました。
その後6月に行われた選挙によりキルマン氏が再び首相に選出され、2012年10月の総選挙において、キルマン首相が再任されました。
2012年12月、キルマン首相に対して不信任決議案が提出され、2013年3月キルマン首相が辞任し、バヌアツ議会によって首相選挙が実施、カロシル首相が選出された。
2014年5月、カロシル首相に対する不信任動議が可決され、バヌアツ議会による首相選出投票でナトゥマン首相が選出され、2015年6月にナトゥマン首相に対する不信任案が可決され、2010~2013年にも首相を務めていたキルマン外務・国際協力・貿易大臣が首相に選出されました。
2015年11月、国会議員の贈収賄事件をめぐる与野党の対立から、ロンズデール大統領によってバヌアツ議会が解散。2016年1月に総選挙が実施され、2月にバヌアツ議会による首相選出投票でサルワイ首相が選出されました。
2017年6月、ロンズデール大統領が逝去し、サイモン議会議長が大統領代行に就任、2017年7月にバヌアツ議会によりタリス大統領が選出されました。
2020年4月に同年3月に任期満了に伴い実施された総選挙後初の議会が招集され、議員による投票によりロウマン議員が首相に選出されました。
「バヌアツ共和国」の元首・首相について
国の体制に合わせて変更 リーダーが誰かわかればOK
「バヌアツ共和国」の元首について
「バヌアツ共和国」の元首は、オベッド・モーゼス・タリス大統領です。
「バヌアツ共和国」の首相・外相について
「バヌアツ共和国」の首相は、ボブ・ロウマンで、外務・国際協力・貿易大臣 は、マーク・アティです。
「バヌアツ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「バヌアツ共和国」は、外交関係の多角化、南太平洋諸国、特にPNG、ソロモン等メラネシア諸国との連帯強化、非同盟主義の推進、各地(ニューカレドニア等)の独立運動支援、反核政策を推進しています。
国防については、軍隊は設置されていません。
「バヌアツ共和国」と「日本」の関係は?
「バヌアツ共和国」と「日本」の政治関係は、1980年7月に独立式典に秋田大助特派大使が派遣、1981年1月に日・バヌアツ間に正式の外交関係が開設、1993年11月に在京バヌアツ名誉領事館が開設、2003年に閉館されました。
2018年1月に在バヌアツ兼勤駐在官事務所が開設、2020年1月に在バヌアツ大使館が開設されました。
経済関係は、貿易額は、2020年度現在、バヌアツへの輸出が約7.1億円、バヌアツからの輸入が約49.3億円で、進出日本企業数は、2019年10月現在、3社です。
在留邦人数は、2020年10月現在、43名、在日バヌアツ人数は、2020年6月現在、14名です。
まとめ
以上、国特集「バヌアツ共和国」でした。
ちなみに、「バヌアツ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「164位」でした。
FIFAデータ
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