知る権利のもつ2つの意味と憲法21条
「知る権利」とは、国民が、情報収集を国や公共団体の権力に妨げられることなく自由に行える権利と、国家に対して国民が情報の公開を請求することができる権利という2つの意味で使われています。
これらの権利は憲法21条の「表現の自由」として保障されるように解釈されていますが、表現の自由を確保するためには、そのために調べたり学んだりすることも自由であるという考えに紐づいています。
憲法21条
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する
(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない
(出典:日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法))
また、国家への「知る権利」に関連して、国に対して、行政文書の開示を請求する、国民の権利について定め、行政機関が保有する情報の原則公開を義務づけた法律「情報公開法」とう法律があります。こちらは1999年に制定、2001年に施行された最近の法律で、個人情報や国家の安全や防衛にかかわる外交や治安に関する情報は不開示などの例外も定められています。
本ページでは、「知る権利」について解説します。
「表現の自由」と「知る権利」の紐づき
表現の自由とは?
「表現の自由」とは、個人や報道・出版・放送・映画などが外部に対して思想や意見、主張を表現したり発表したりする際に検閲や規制に妨げられることなく自由にそれらを行うことができる権利です。
表現するためにはその前提に何かしらの情報を得る、つまり「知る」ことが必要になり、この「知る」という過程で妨害を受けないために「知る権利」が必要という考えです。
知る権利の課題とは? 憲法13条 プライバシー権との問題
プライバシー権との衝突
私たちは「知る権利」の下で他人の個人情報を何でも暴き出すことが許されているのでしょうか。
私たち国民は憲法13条をもとに「プライバシー権」が尊重されています。
「プライバシー権」とは私生活上の事柄をみだりに公開されない権利であり、国民の個人的な情報はその権利の下に守られます。しかしそれは時に「表現の自由」や「知る権利」と衝突し、どちらの権利が優先されるのかということが問題視されます。
憲法13条
すべての国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(出典:日本国憲法 (昭和二十一年十一月三日憲法))
上の条文を読んでも分かるように、憲法13条により守られる「プライバシー権」は尊重権利、つまり「尊重」はされますが、「絶対」に保障される訳ではないのです。
ではどういった場合にプライバシー権は尊重されなくなるのでしょうか。
プライバシー権よりも優先すべきものに「公益」の存在
条文に出てくる「公共の福祉」とは、全体の幸福のために、人権に一定の制約を設けるということです。
憲法上で国民はさまざまな権利を保障されていますが、時にそれらの権利はぶつかり合うことがあります。その衝突を防ぐために、人権は常に100%守られるわけではなく、他の権利のため、全体の幸福のために制約が設けられることがあります。
つまり「表現の自由」など他の権利との衝突がない場合、「プライバシー権」は守られますが、プライバシーな情報であっても、その情報を開示しないと国益(公益)を害する場合や、その情報を持つ主体が直接国益(公益)に関わる人物である場合などは、個人情報であっても「表現の自由」、つまり情報を公開されることが優先される可能性があるのです。
ここに「プライバシー権」と「表現の自由」が衝突する原因があり、例えば芸能人や政治家の個人情報開示が問題になるわけです。
公益に関連して、公人か私人かという考え
前述した、国益(公益)に関係する人と直接関係しない人とは具体的にどのような人物なのかを説明していきます。ここでのキーワードは「公人」か「私人」かということです。
例えば政治家は国民の選挙によって選ばれた国民の代表であり、彼らの発言や行動は国民の生活や国益を左右しうります。それは私生活の情報であっても同じで、そのような人たちを「公人」と呼びます。一方、芸能人などの有名人は、その影響力は大きいとしても、彼らの発言や行動が直接国益に関わってくることはありません。つまり芸能人も含めた国民は「私人」になるのです。
「私人」の個人情報に関することは「プライバシー権」によって「表現の自由」や「知る権利」の例外となる場合があります。例えば最近報道が多い芸能人の不倫のニュースは、そのようなスキャンダルをネタにしている芸能人以外の人であれば、「プライバシー権」の侵害になっているのです。本来、芸能人であっても個人的な情報をみだりに公開されることは禁止であり、「表現の自由」といって報道しているマスコミは違法だと解釈されます。
一方で、「公人」の個人情報の場合はその情報が直接国益に関わってくるため国民は「知る権利」の下で情報を得たり、開示請求したりする権利を保障されているということになります。つまり芸能人と同じ不倫のニュースであっても、彼らの私生活の乱れが国益を害することになりかねないので、それらのニュースは「知る権利」、そして「表現の自由」のもとで報道が許されるという解釈のようです・・・。
まとめ – 「知る権利」と「マスメディア」
1990年代半ば以降、インターネットが普及したことによって、私たちは、いつでも、どこでも、どこからでも情報を得たり、発信したりすることができます。そして新聞社やテレビ局、出版社などのマスメディアの影響力はインターネットの普及と共に以前に比べて衰えてきました。
マスメディアは、自身の使命である事実を一般に伝達することで、国民の「知る権利」を担ってきました。
しかし、インターネットが普及し、テレビ離れや新聞離れといわれるようにマスメディア業界の企業は、売上が減少し、「使命」と「お金儲け」のバランスが崩れ、ステルスマーケティングなどの情報詐欺行為、偏向報道や質の低下、ゴシップネタなど使命とは程遠い事案が起きています。(※ゴシップネタ:芸能人のプライベートな情報や写真のスクープ、事実の誇張など、お金をかけずに人々の関心を引くようなニュース)
インターネットという技術は、私たち消費者(生活者)は、マスメディアに頼らず、自分たちで様々な知る手段を得て、また、たくさんの方に表現を伝える機会をもたらしました。
私達も国家もマスメディアも、その文明の利器を良い方向にもっていけるかどうかが、これからの日本の良い未来につながる気がします。
(2017年9月17日作成、2020年5月27日更新)
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