日本の食卓と米作りが変わる?政府の減反政策撤廃とその背景について

2018年に撤廃が決まった政府の減反政策。テレビやインターネットなどの各メディアで目や耳にするようになった減反政策とは一体どんな政策だったのか、そして減反政策撤廃の背景にあるのは何か、私たちの食卓にどんな影響があるかについて解説します。


政府の減反政策とは

「米の作付面積の削減」によって米の生産量を抑える政策

減反政策とは、米の作付けを行う水田の面積を減少させる事によって、日本全体の米の生産量を抑える政策を指します。面積を減少させる事から、「減反」の名前が付けられています。

減反政策は、元々政府の食糧管理制度の一環として生まれたもので、米の作付けに使っていた水田を他の農作物作付けに替える「転作」を行った農家に対して、一定の補助金が支払われる制度です。

つまり、現在の米農家はあらかじめ決められた米の作付面積内で米の生産を行っているのですが、この減反政策が生まれた背景と経緯について見てみましょう。

減反政策が生まれた経緯と背景について

戦前は現在の作付面積で半分の量しか作れなかった

米は私たち日本人の主食であり、食生活の中では切っても切れない大切な存在となっていますが、かつては米自体がぜいたく品であった時代もありました。

戦前の日本でも米作りは盛んに行われていましたが、今のように農業用の重機があった訳ではなく、田植えから稲刈り、脱穀まで全て人の手で行われていました。また、水田の水路整備や飼料なども今よりも性能が低かったため、同じ米の作付面積に対して戦前は今の約半分ほどの米しか作れなかったと言われています。

また、元々自然災害に見舞われることの多い日本では凶作となる年も少なくないので、更に米の出荷量自体は今と比べてもとても少なかったのです。このことから、米は贅沢品でもあり一部の上流階級の人や裕福な人が口にするもので、当時の日本人の主な主食は麦や芋などでした。

戦中~戦後は政府による米の食糧管理制度が始まる

時が流れると、世界大戦が開幕し日本国内も戦乱に巻き込まれる事になります。

1940年代には米を含めた食料も市場で購入するのではなく政府からの配給制になり、国民の食糧管理制度が開始されます。そして、戦後には深刻な食糧不足となり餓死してしまう人も少なくありませんでした。この時にも政府からの食糧の配給はありましたが、到底国民全体に行きわたる量ではありませんでしたので、人々が食料を得るため各地に「闇市」が生まれ、食料を始めとする物品売買が行われていました。

闇市では米も「闇米」として売買されていました。当時の市場価格はあってなかったようなものでしたので、闇米も高値で取引され、一層庶民にとって米は憧れの食べ物であり、主食としては芋や麦が多く食べられていました。

戦後の学校給食と始めとして小麦粉が出回る様になる

戦後、アメリカ軍の占領下におかれた日本では国内の食糧難を改善する為に小麦粉が大量に援助するようになります。小麦粉を日本国内に広める事によって小麦粉の受注率を上げ、アメリカ国内での小麦粉の生産性を向上させる目的も同時に達成できるので、小麦粉が支援食材として選ばれたのです。

小麦粉で作ったすいとんやパンが日本国内で広まり、当時欠食児童を救済する為に導入された学校給食でも、アメリカ軍の主導の下でパン給食は積極的に提供されました。


高度成長期には米の生産が始まるが、「米離れ」も同時に加速

高度成長期と呼ばれる1960年代半ばには、ようやく日本国内の食料供給も安定し、米も庶民の食卓に当たり前に上るようになりました。同時に、農業用の重機の開発や農業技術も飛躍的に向上したことにより、今までの米面積で倍ほどの米が生産できるようになったので、安くておいしいお米が市場に出回ることになります。

ところが、農作業の効率化と生産性が高くなった事によって今度は市場の米が余る様になってしまったのです。更に、米の安定供給が始まる前に小麦粉が広まった事によって日本の食事が欧米化しており、日本人の米離れが加速し、更に米の余剰に拍車を駆けました。現に、日本国内での一人当たりのお米の消費量は1962年がピークでしたが、以降は右肩下がりとなっています。

米の余剰を防止する為に減反政策が生まれる

今まで余っていた米は政府が買い取り、困窮家庭などへの支給に回していたのですが、余剰米が増えて政府の買い取りが増えれば増えるほど赤字となり、財政の頻拍を招きました。

これを受けて1970年代に入ると、政府は食料管理の一環として米の余剰を防ぐために減反政策をスタートさせます。減反政策の内容は、新しい水田開田の禁止、政府が買い取る米の量に限度設定をする、国内で流通する米や麦の価格や供給を政府が定める自主流通米制度の導入の他、一定の農作地面積を転作農地面積として配分、更に園芸作物や飼料、麦や豆、牧草などの生産率を同時に上げるために、これらの作物を転作すると転作奨励金という補助金が支給される、などが盛り込まれています。

実は減反政策は、あくまで「米農家の自主的な取り組み」という立場を取っていますが、現状では義務化された政策となっています。

減反政策の背景にある問題

1970年代からスタートした減反政策は、米の余剰と在籍の頻拍の防止には繋がりましたが、既存の米農家のモチベーションの低下や、経営悪化による政府への反発も招くことになりました。

年代が推移するにつれて更に日本人の年間米消費量は低下し、1980年には更に減反政策の内容を強化し、政府による米の生産調整が続けられます。そして、転作奨励金を始めとした補助金へ充てる政府の予算も減少したため十分な補助金が出ない事から、転作をする農家も減っていった結果、米の水田や農地を転作に活用せず放置する農家や米作りを止めてしまう農家が増え、荒れ果てた水田も増えてしまい、かつての日本の田園風景の景観も荒れてしまいました。

1994年からは政府は減反政策の目的を「米の市場価格安定」ではなく「米の備蓄」に切り替え、余剰米の買い取りは止める代わりに米の生産量の上限が設けられました。そして減反政策は米の生産量の上限以下で米の生産をストップした農家、及び余った農地で自給率の低い作物を米の代わりに作った農家に補助金が出るシステムとなりました。

更に、2010年には米の価格が生産コストを下回った時にはその差額を政府が補償する「戸別所得補償」が導入され、減反を条件に農地10アールに15,000円の補助金が一律支給されるようになりました。

2018年で減反政策は撤廃される

2013年、アベノミクス政策の一環として日本政府はTPPへの参加を表明、これに伴って2018年に現状の減反政策は撤廃される事が決まりました。今まで支給されていた戸別所得補償の補助金15,000円は2014年から半額の7,500円へ減少、2018年からは支給されないようになるので、実質的な減反政策の撤廃となるのです。

なぜTPP導入すると減反政策が撤廃されるか

TPPへ参加すると、輸入品への関税が撤廃されますので安く輸入品が日本国内に入ってくるようになります。既に魚介や食肉を始めとした食材はほとんど海外からの輸入に頼っている日本ですが、TPPによって米の関税が撤廃されると、海外から安いお米もどんどん日本国内に入ってくることになりますので、政府が米の生産調整を行う必要がなくなるのです。

とはいえ、日本の農家を守るために日本は米・小麦・乳製品・砂糖・牛豚肉の5つの関税は撤廃しない事を条件にTPPへの参加を表明しましたが、アメリカから「5つは多い」と主張され、代わりに関税の大幅引き下げを受け入れることになりました。

減反政策撤廃後 日本の農家と米文化を守るためには?

TPPによって米農家は大打撃を受ける事に

TPPの発効後実際にどうなるかはまだ分かりませんが、海外からの安い輸入米が入ってくると当然消費者はそちらを購入することになり、日本の米農家は米を作っても売れなくなる事になります。これに加えて、減反政策も撤廃され補助金も貰えなくなるので、代々続く由緒正しい米農家が廃業を余儀なくされたり、日本の食卓に上る米も日本米ではなく海外産がメインとなったりする可能性もあります。

つまり、紆余曲折を経て私たちが食べている日本のおいしいお米と、日本古来の米作りの文化がなくなってしまう危険性もはらんでいるのです。

減反政策撤廃を追い風にできるか

一方で、減反政策が撤廃された事によって米作りのスタイルを変え、米農家存続の危機を回避しようという動きも生まれてきました。それが、日本のお米の「ブランド化」です。


既に日本の東北地方や北陸地方の米どころでは、多くのおいしいお米がブランド米として生産されています。今後の減反撤廃後は余った水田を利用して、農家は既存のお米の品種だけでなく新しいブランド米も同時に作り、新しい日本米の楽しみ方を定着させようとする取り組みが進んでいます。

日本米と米農家の生き残りをかけた新しい日本米の楽しみ方とは?

高級品であるお米をちょっとずつ楽しめるように

今まで日本米は少量でも1kgから、家庭用なら5kg~10kg単位で販売されていました。けれども、新しいお米の楽しみ方として、高級米であるブランド米を少量でも楽しめるようになる取り組みが行われています。

百貨店などのブランド米を取り扱う店舗にて、好きなブランド米を100g単位から購入できるようになると、「ちょっと贅沢な気分を味わいたい時」など、顧客のニーズに合わせたブランド米の販売ができるようのです。例えば、普段はオーストラリアやアメリカ産牛肉を食べている人でも、ボーナスが入った時や良いことがあった時にはちょっと奮発して国産牛肉を買うように、ちょっと良いお米をその日食べる量だけ買う事もできるようになるのです。

用途に応じた日本米が選べるようになる

既存の日本米でも、銘柄によって水分量の多さや粒の大きさ、味などに差があります。今後はより消費者のニーズに合わせた細かい特徴を持つ日本米が生産されれば、料理に合わせてお米を変えて楽しむ、といった食べ方もできるようになります。

既に米どころでは色々な新ブランド米が誕生している

例えば、宮城県では既に新しいブランド米として「だて正夢」が誕生しています。だて正夢の特徴は「冷めてもおいしい」事。お米はどうしても冷めると固くなり、風味が落ちてしまいますがだて正夢は冷めてもそのままおいしく食べられるお米として、おにぎりやお弁当にも最適なお米として大々的に今プロデュース展開がされています。

宮城県の他にも、北海道、青森県、秋田県、岩手県、新潟県といった日本を代表する米どころでは既に新ブランド米が誕生しています。用途や味の好みに応じて色々なブランド米を購入できる他、その地域を応援する意味でも購入する人も多くなっています。

今後、米どころだけでなく他の地域でも新ブランドが誕生するのか、はたまた米農家や日本米は消えてしまうのか、日本の米文化や米農家を守る新しい政策が打ち出されるのか。今後の動向に注目したいと思います。

まとめ

かつて贅沢品として庶民は口にできなかったお米も、生産力の向上によって今では当たり前に口にできるようになりました。各国との貿易の円滑化も重要ですが、日本米や米農家を守る事も重要なのではないでしょうか。農家の方が一生懸命作ったお米を、「茶碗に一粒でも残すな」と教えられて育った身としては、少し寂しさを感じます。

(文:千谷 麻理子)

本記事は、2018年1月15日時点調査または公開された情報です。
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