アメリカ南部のテネシー州は東京と同じ緯度にあるため日本に似た気候が特徴です。日本との繋がりも深く、自動車メーカー日産の北米本社機能があります。また、カントリーミュージック発祥の地でもあり、ブルースやゴスペルなどいわゆるブラックミュージックが盛んなことでも有名です。
そんなテネシー州ですが、南北戦争、人種差別、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺事件などアメリカ史のなかでも重要なことが起きた場所でもあります。今回はテネシー州の特徴や歴史についてご紹介します。
テネシー州の特徴
2018年現在、テネシー州の総人口は約671万人です。人口は全米で17番目に多く、州民の75パーセントは白人、17パーセントが黒人とされており、南部らしく黒人の比率が多いことが特徴です。第二次世界大戦が終わった1945年頃から人口は右肩上がりで増え続けています。
テネシー州はこれまでにアンドリュー・ジャクソン、ジェームズ・ポーク、アンドリュー・ジョンソンの3人の大統領経験者を輩出しています。また、同州は2000年の大統領選で過去最も僅差でジョージ・W・ブッシュに敗れ、後にノーベル平和賞を受賞したアル・ゴア氏の活動拠点でもあります。
テネシー州が一躍知られることになった出来事のひとつに「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺事件」があります。これは1968年4月4日、同州のメンフィスにあるモーテルでキング牧師が白人男性に射殺された事件です。キング牧師は人種差別撤廃を訴えた公民権運動の中心的存在で、1963年にワシントンD.C.で行った「I have a dream…」という演説でよく知られ、現代ではアメリカ人で知らない人はいないと言われる人物です。
キング牧師が銃弾に倒れたようにテネシー州は人種差別が根強い州のひとつとして知られています。その背景には南部諸州で活発だった奴隷制度があります。南部の広大で肥沃な土地は様々な農作物を栽培するのに適しており、必然的にたくさんの農場(プランテーション)が誕生しました。その際の労働力として多くのアフリカ系黒人が連れてこられたのです。
さらに、奴隷が解放されて以降も黒人奴隷の子孫たちは人種差別を受け続け、南部諸州に多い白人特権階級または白人至上主義者によって虐げられてきました。この風潮は現在でも続いており、2017年にはテネシー州で白人至上主義者が大規模な集会を開き全米で話題になったほどです。
このように政治的な背景は悲しく暗いものがありますが、同州では奴隷たちによってブルースやゴスペルが生み出され、それに影響を受けてカントリーミュージックやロックンロールなども誕生しました。現在では世界中で親しまれているこれらの音楽のルーツはテネシー州を始めとするアメリカ南部にあるのです。
テネシー州は奴隷制度や人種差別など負の歴史があるものの、同州のナッシュビルやメンフィスなどはブラックミュージック発祥の地としてアメリカの新しい観光地になりつつあります。
テネシー州の歴史
テネシー州は、1796年にアメリカ合衆国16番目の州になりました。この地では12,000年以上前から人が生活をしていたとされていますが、白人による本格的な開拓は1540年にスペイン人探検家のエルナンド・デ・ソトが訪れたことから始まります。
もともとはインディアンのマスコギー族やチカソー族などが生活をしていましたが、州北部からヨーロッパ系白人が開拓を進め、南部にいたチェロキー族など多くのインディアンは南のミシシッピやジョージアなどへ追い出されました。さらに、インディアンの多くはヨーロッパからの疫病によって大半が命を落としたとされています。
テネシー州は州になる以前はノースカロライナの一部として扱われていました。1789年にノースカロライナ州がアメリカ合衆国憲法に批准、加盟したことで西部の領土だったテネシーが合衆国に譲渡されました。ノースカロライナ州は南北戦争に貢献した兵士に対する報償の意味を込めてテネシーの領土を国に一旦譲渡しましたが、結果的に南北戦争で南軍が負けたことによりこの土地は兵士への報償としては使われませんでした。
アメリカ政府はテネシーの土地を「南西部領土」とし、3つに分割後それぞれで政治機能を持たせました。そして、1795年には南西部領土の人口が増えたことで州に昇格できる権利を得て、住民投票によって州へ昇格させることが決定します。それに伴い、アンドリュー・ジャクソンを下院議員として選出し、彼は後に大統領に選ばれることになります。
テネシー州が開拓されるようになってからは隣接するケンタッキー州やバージニア州などから奴隷を引き連れた開拓者が集まるようになります。多くは農園を開き、穀物の栽培や家畜の飼育を始めました。この頃、憲法制定会議では奴隷制度撤廃が議論されるようになっていましたが、テネシー州はことごとく否決し立場を明確にします。
テネシー州では開拓当初に4,000人程度だった奴隷がわずか30年足らずで15万人にまで膨れ上がり、1860年の最盛期には28万人と州民25パーセントを占めるまでになりました。奴隷の働きによって白人の農園主は大富豪になったと言われています。この成功こそが後の南北戦争で奴隷制度撤廃に反対する大きな理由になるのです。
南北戦争では南軍として戦うことになるテネシー州ですが、1861年に南軍のなかでは最も遅く合衆国から離脱しました。この背景には州の内部で離脱派と反離脱派が対立したことがあります。テネシー州東部は一貫して離脱に反対しましたが、西部は80パーセント以上が離脱に賛成していました。結局、中部が離脱に傾いたことにより合衆国から離脱し、アメリカ連合国として戦うことになったのです。
北軍の勝利に終わった南北戦争後、1865年に奴隷制度を禁止する州法を可決し、全州で奴隷制度を廃止する合衆国憲法修正第13条にも批准しました。リンカーン大統領が暗殺された後に大統領に就任したテネシー州選出のアンドリュー・ジョンソンの働きによって同州は合衆国に再加盟しました。
テネシー州は合衆国に再加盟後も白人に有利でなおかつ白人が支配を続ける政策を続けました。州内のアフリカ系アメリカ人や低所得の白人などからは膨大な投票税などを課すなどして実質的に選挙権を剥奪しました。白人と有色人種を区別するような様々な法律をまとめて「ジム・クロウ法」と呼びます。
1950年から1960年にかけて黒人たちによる大衆運動である「公民権運動」によってこのジム・クロウ法は見直され、1964年にリンドン・ジョンソン大統領が公民権法を成立させたことで廃止されました。
テネシー州の歴史は奴隷制度、南北戦争、ジム・クロウ法、そして公民権運動と密接な関係があると言えます。
テネシー州の政治情勢
テネシー州では2012年、2016年の大統領選の際には共和党を支持しています。1960年以降の大統領選のほとんどは共和党候補が勝利しており、2000年には同州選出の民主党のアル・ゴアが出身州で負けたことは話題を呼びました。州内では都市部では民主党が強いものの、田園部では共和党の方が圧倒的に人気があります。
1960年以前のテネシー州は黒人には選挙権がなかったため白人に優位な政策が採用されていました。人種差別が選挙権にも及んでいたのです。
テネシー州の経済
2018年時点、テネシー州の失業率は3.4パーセントでアメリカの平均値を下回っています。現在でも主産業は綿花や家畜などが中心ですが、近年では音楽の町としてナッシュビルやメンフィスが観光地として人気があります。
日系企業も進出しており日産の北米本社がナッシュビルにあります。また、物流大手のフェデックス、酒造メーカーのジャック・ダニエルズ、ギターのギブソンなどがテネシー州に拠点を構えています。
テネシー州の税金
2018年時点、テネシー州の消費税は9.46パーセントです。連邦税が7パーセントで、地方消費税の平均が2.46パーセントです。南部諸州のなかでルイジアナ州に次いで高い消費税率です。所得税は給与などは対象外とされていますが、他州とは異なり食品までも課税対象のため税の負担は大きいと言えます。
テネシー州の銃や薬物問題
テネシー州ではマリファナは全面的に禁止されています。テネシー州に隣接する州の多くは全面的にマリファナが禁止されているので南部の典型と言えます。テネシー州の銃に関する取り組み格付けは最低ランクの「F」グレードです。また、州民10万人に対して銃の犠牲者は16名と多く、都市圏のナッシュビルでは治安問題が課題です。
テネシー州の教育または宗教事情
テネシー州の教育水準は全米の平均水準と同じ程度とされていますが、高校卒業率と2年制大学の卒業率は全米トップ10に入っています。テネシー州では1920年代に聖書と食い違うことを理由に進化論を教えることが禁じられていました。裁判にまでなったこの事案は「Monkey Trial(モンキー裁判)」として全米で話題になりました。
テネシー州の宗教はキリスト教が多く、アメリカ公共宗教研究所が行った調査によると州都のナッシュビルは全米で最も信仰心が厚い都市という結果になりました。
まとめ
テネシー州は近年ではブルースやカントリーミュージックが誕生した場所として注目されていますが、歴史を振り返ると奴隷制度や人種差別が長く続いた場所でもあることを知っておくといいでしょう。
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