はじめに – オーストラリアで起こった大規模森林火災
2020年、オーストラリア国内は前年9月からニューサウスウェールズ州(NSW)を中心に広がった森林火災鎮火のニュースを待ち望みながら迎えました。必死の消化活動にもかかわらず国内の至るところに燃え広がった炎は大気汚染をももたらし、煙に包まれた街や村はまるで人類の終わりでもあるかのようなおどろおどろしい様相を呈していて、とても新年の訪れを祝うような雰囲気ではありませんでした。
オーストラリアの夏は、森林火災との戦いの季節です。南半球に位置するオーストラリアでは、12月~2月の夏期には日中の気温が35~40度を超えるという地域も珍しくありません。南半球は北半球に比べてオゾン層が薄いため、年間を通して紫外線がとても強く、温帯性気候地域のシドニー・メルボルン・キャンベラなどでは、降雨量の少ない年には地面も空気も大変に乾燥していて、自然発火が起こりやすく、また火がついてしまったらあっという間に燃え広がってしまうという状況にあります。
2019~2020年の大規模森林火災は、オーストラリアの平均降水量が観測史上最も少なく、空気が乾燥していたことと、気温が過去最高平均を記録したことなどで、例年以上に火災が発生しやすい環境にあったことが大きく起因しているといわれます。
本記事では、2019~2020年のオーストラリアで起こった大規模森林火災についてオーストラリア在住に日本人によるレポートをご紹介します。
自然豊かなオーストラリア
オーストラリアの広大な土地は約4,000キロに広がり、769万平方キロメートルという国土面積は、日本のそれの約20倍にあたり、世界第6位の大きさを誇ります。ここにはシドニーやメルボルンなどの都市を中心に約2,500万人の人々が生活を営んでいます。
オーストラリアといえば、「自然豊か」そして「珍しい野生動物の宝庫」というイメージが定着しているのではないでしょうか。
実際にオーストラリア大陸で登録されている世界遺産は、そのうちの三分の二が自然遺産です。『グレート・バリア・リーフ海洋公園』、『ウルル=カタ・ジュタ国立公園』、『ブルー・マウンテンズ国立公園』など、オーストラリアの代名詞と言われる自然の産物はあまりにも有名です。
また世界最古の大陸であるオーストラリアには、他では見られない珍しい生き物が生息していることでも知られます。記録されているだけで1,350種もの固有種がいて、さらには地球上の生物種の大半がこの国に生息しているといわれています。実際にオーストラリアでは、街中からそう遠くないところでも多くのカンガルーを目にし、またさまざまな鳥のさえずりで目覚めるというように、ここでの生活において自然との触れ合いはごく当たり前のものとして受け止められています。
環境問題への取り組み
自然豊かなオーストラリアで生きる人々だからこそ、環境保護への意識は非常に高く、早くからプラスチックバッグの無料提供廃止やペーパレス化などの取り組みを個人や企業が率先して行ってきました。昨今では気候変動関連のデモ活動には、学校を休んでまで活動に参加する中学生や高校生の姿も少なくありません。節電・節水はもとより、ゴミの軽量化、そして動植物の保護などの取り組みを積極的に行っている家庭も多く、地球の温暖化対策は万全のように思えます。
しかし政府の環境問題への取り組みはというと、他の先進国に比べて見劣りすると言わざるを得ず、民間レベルの取り組み方とは大きな隔たりがあります。
オーストラリアは豊富な石炭を利用した発電を行っており、このため世界全体の温室効果ガス排出量の1.5%を占めています。昨年大方の予想を覆して再選されたスコット・モリソン首相率いる現政権は、「電気料金の引き下げ」を重要な政策の一つに掲げていて、この政策を成功させるためには石炭による火力発電をさらに活性化させることが重要だという見解を示しています。これはクリーンエネルギーの利用を望む多くの国民との間に軋轢を生んでいます。
さまざまな国が積極的な地球温暖化対策を推し進めている中、オーストラリアは保守的な姿勢を崩しておらず、例えば、イギリス、カナダをはじめとする19カ国が2050年までに温室効果ガスの排出量ゼロを目指すという目標を掲げているのに対し、オーストラリアの目標は80%削減に止まっています。モリソン政権は、これまで気候変動と森林火災は無関係というスタンスを保っていましたが、さすがに今回の大規模森林火災発生後に「政府は以前から森林火災と気候変動の関連性を認識しており、気候変動問題を軽視しているわけではない」との見解を発表するに至っています。
2月4日、新年初の国会は気候変動問題への積極的な取り組みを政府に求める多くの人々で賑わいました。国会議事堂に集結した人々は、声高に気候変動問題への方針転換を求め、ものものしい雰囲気の中で議会は開催されました。
2019年9月 森林火災シーズンの到来
2019年9月、例年より3ヶ月も早くNSW州の山々が燃え始めました。
ここまで大規模な火災になった原因はインド洋で起きる「ダイポールモード現象」が招いた記録的な猛暑、そして記録的干ばつによるところが大きいのではないかと言われていますが、発火の原因についてはさらなる調査が行われています。自然発火に加えて人的な出火も報告されており、1月6日のNSW州警察当局は205件の山火事関連の罪で、40人の少年を含む183人に対して法的措置を取ったことを発表しています。起訴罪状は放火、火気禁止の遵守命令違反、そしてタバコのポイ捨てによるもので、最高5,500豪ドル(約40万円)もしくは最長12ヶ月の禁固刑に処されます。
自然発火については、オーストラリアのアイコンとも言えるユーカリに起因することが多いと言われています。ユーカリは現地の人からはガム・トゥリー(Gum Tree)と呼ばれ、農村地域はもとより都市部でも町のいたるところに生育しています。爽やかな匂いを発するユーカリは、人間に安らぎを与える樹木として、長く人々に愛されています。その一方でユーカリの葉には引火性物質のテルペンが多く含まれているため、高温や落雷などがきっかけで自然発火しやすく、火がついたらあっという間に燃え広がってしまうという特徴があり、森林火災を引き起こす原因となっているというわけです。火種を保ったままの葉や茎が強風にあおられて遠くへ飛び火してしまうこと(スポットファイヤー)も多々あり、これらの事情が消化活動をますます困難にします。
本格的な夏の到来を前に、多くの地域で火気禁止の遵守命令を発令しますが、残念ながら 通常通りアウトドアでバーベキューを楽しんだり、車の窓からのポイ捨て現場を目撃することも多く、夏の森林火災は毎年必ず起こるものだという認識のもと、危機感を抱かなくなってしまっているという人も多いのかもしれません。少しの気の緩みが大きな惨事をもたらすことを今一度肝に銘じる必要がありそうです。
苦戦を強いられた消火活動
今回の大規模森林火災では、3,000棟を超える家屋が消失、死者30余命、そして犠牲になった動物の数は10億匹以上にも及ぶといいます。当然経済においても甚大な被害が報告されていて、観光業だけでもその損失は3,400億円を超えると言われています。また焼失した農地や森林は日本の国土の半分にも及び、農作物、食肉及び肉製品、そして乳製品などの値上げにより、一般家庭の家計をも圧迫するのではないかと懸念されています。
必死の消化活動が行われているにも関わらず、これほどまでの長期間に渡ってなぜ森林は燃え続けたのでしょうか。前述のとおり、異常気象によるところが大きいと言われる今回の大規模森林火災ですが、予想以上に長引いてしまったことへの人々の苛立ちもあり、連日さまざまな媒体で原因究明を図るべく、専門家へのインタビューや市民の声などが取り上げられました。特に人的要因の追及では白熱した意見が交換され、中でも「バックバーニング(計画消失)のありかた」と「消化活動の充実」という二点が大きくてとりあげられました。
原因の考察1:バックバーニングの在り方について
世界最古の文化を持つオーストラリアの先住民アボリジナルの人々は、太古からバックバーニングを行うことで、彼らの広大な大地を火災から守り、そして管理してきました。バックバーニングとは万が一に備えて、決められた区画を計画的に火をつけて燃やしてしまうという方法です。通常は消防隊がこの作業を行いますが、今回のように空気が乾燥した状態では、計画的とはいっても、実行するには大きな危険が伴うため、実施を見合わせざるを得なかったという地域も多かったようです。
森林保護の必然性を強く訴える人々の中には、このバックバーニングという火災防止策に異議を唱える人もおり、実施するためには以前にも増して慎重に計画、対象地域住民と密接にコミュニケーションを図ることで、トラブル回避を目指すことが重要になっています。
原因の考察2:消化活動は誰がする?
今回の森林火災では、NSW州だけでも3,000人の人材が消化活動に投入されました。しかしそのうちの90%がボランティア消防士(Volunteer Firefighters)だと聞き、我が耳を疑いました。オーストラリアの森林火災は、気温が上昇する夏季に限定されているといっても過言ではないことから、一過性の出来事のために、多くの人材を雇用するだけの経済的余裕はないということなのでしょう。
ボランティア消防士たちは命がけの消化活動を無償で、そして中には有給休暇まで利用しながら地域の安全のために活動するといいます。例えばNSW州ではNSWルーラル・ファイヤー・サービス(NSW Rural Fire Services-NSW RFS)が消化活動を取りまとめており、現在72,000人を超える人々がボランティア消防士として名を連ねています。この種の団体としては世界一の規模を誇るNSW RFSは、連邦政府・州政府そして各種保険会社からの補助金が全体の収入の8割を占めます。支出はというと、大半は消防施設の修改築や設備購入に充当されるといいます。どの州にもこれと同様の団体があり、どこも多くのボランティアの人々の尽力によって運営が成り立っています。
とりわけ今回の森林火災は5ヶ月にも及んだため、多くのボランティア消防士たちは、燃え上がる炎との戦いだけでなく、休職中の生活費など、パーソナルファイナンスとの戦いをも強いられました。そればかりか、今回の大規模森林火災では、消化活動中に起きた事故によって支援活動のため訪豪中だったアメリカ人3名を含む、合計33名のボランティア消防士たちが命を落としました。これまでボランティア消防士個人への補助金の支給には否定的な立場をとってきたモリソン政権も、さすがに今回ばかりはボランティア消防士への特別手当支給を決定し、総額約5,000万豪ドル(約38億円)を捻出することが予想されています。
モリソン首相は後方・上空支援を行うとして、オーストラリア軍からも2,000人を動員、さらには日本、アメリカ、カナダ、ニュージーランドなど、合計7カ国から、消火ならびに救援活動への支援を得て、鎮火作戦を本格化させました。日本からは自衛隊員70人と共に、航空自衛隊のC130輸送機2機が派遣され、救援活動に尽力しました。
一連の政府の対応は、いずれも火災の激化に伴って少しずつ講じられていった感は否めず、モリソン政権の危機管理能力を疑う声が高まりました。さらにこれ以前にも、モリソン首相が未だ森林火災が収束していないにも関わらず、年末を家族と過ごすべくハワイでのホリデーに旅立ってしまったため、火災悪化の報を受けてホリデーを短縮して急遽帰国はしたものの、国民から猛烈に非難されてモリソン政権の支持率は急落しました。
錯綜する情報 - インフォデミック
今回の森林火災では、多くの人々がNSW RSFが運営する緊急情報アプリ『ファイヤー・ニア・ミー(Fire Near Me)』を利用して各人情報収集に努めていたことが印象に残ります。また煙による大気汚染の状況もアプリで情報収集につとめる人も多く、「首都キャンベラの大気は世界一汚染されている」というショッキングな一報もアプリを利用する人々の間で瞬時に広がりました。
一方で誤った情報が拡散されたという苦い事例もあります。オーストラリア全土が燃えていることを示す地図が、あたかも真実であるかのようにSNSを通じて拡散されてしまったことや、環境問題を党のプライオリティーの一つに掲げるグリーン党(The Greens)がバックバーニングの実施を阻止していたために、このような大規模災害につながってしまったという情報が流れたことなどが挙げられます。前者はすぐに誤報であったことが確定しましたが、後者については、未だその真実は闇の中です。
良しにつけ悪しきにつけ、インターネットが普及した現代では情報は瞬く間に広がり、人々の思考や行動に大きな影響を与えます。誤った情報に踊らされることのないよう、真実を見極める力を磨くことは、現代を生きる我々にとって必要不可欠だということを改めて痛感したオーストラリア在住者も多かったのではないでしょうか。
まとめ
NSW消防局が事実上の制圧宣言をしたのは、奇しくも2月14日、バレンタインデーでした。クリスマスも年明けも返上して炎と戦った人々が、愛する家族の下へ帰れる、正にうってつけの日だったのではないでしょうか。
多くの人々の多大な努力と、1990年以来の降水量を記録する大雨に見舞われた地域もあったため、この恵みの雨が大きな助力になったことは言うまでもありません。森林火災から一転して洪水の被害に見舞われたという地域もあり、また首都キャンベラではゴルフボール大のひょうに襲われるなど、気候変動によってもたらされる災害の怖さを思い知らされた2020年の年明けでした。
今回の災害の苦い経験を経て、モリソン政権が気候変動問題への取り組みを大幅修正するのか、今後の動向が注目されます。
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