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イギリスとアイルランドが抱える問題(2022年6月)

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目次

はじめに

イギリスとアイルランドが抱える問題は、古くからある歴史問題がその発端として介在しており、現在でもその確執は雪解けをみせていません。

現在アイルランドは北アイルランドと南アイルランドに分裂して存在をしています。南アイルランドはアイルランド共和国として独立(1922年)し、北アイルランドはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国としてイギリスの1国として存在しています。

アイルランドの分裂に大きく関わったイギリスとアイルランドの歴史的問題点とは何だったのか一緒に理解してゆきましょう。

二分する以前のアイルランドとは

アイルランド島はイギリスの北西部に位置する島で、島の大きさは北海道と同じくらいです。アイルランド島に初めて人が住み始めたのは紀元前7500年頃で日本の縄文時代にあたります。

アイルランドでは英語以外にアイルランド語(ゲール語)が公用語として使用されております。これは古代から住み着く原住民ケルト人が使用していた言語です。

その後アイルランドはヴァイキングやノルマン人に征服され、イングランドの植民地となって行きます。

アイルランドがイングランドの支配下になった理由

アイルランド島は大小様々な王国によって分割統治されていました。その中の国王の一人であるレンスター王がアイルランドを統一する野望のために、ノルマン人に助けを求めます。

ノルマン人が主力となり、アイルランド島へ侵攻し、他王国を抑えたことで、1169年レンスター国王は復興します。ところが、レンスター国王は援助を受けたノルマン人を養子に迎えたことで、イングランドのヘンリー2世の怒りをかいます。ヘンリー2世はノルマン人による王朝がアイルランドに形成されることを危惧したからです。そして、自らアイルランド侵攻へと動きます。

1171年にヘンリー2世はアイルランドを征服し、末息子のジョンに当時アイルランドの最高地位であるアイルランド卿(Lord of Ireland)の称号を与えます。その後ジョンは、イングランド王となるため、実質的にアイルランドはイギリスの支配下となりました。しかし、ジョン王はアイルランドを拠点としなかったので、その時代はイングランド統治の影響はそれほど強くありませんでした。

イングランドの支配力に陰り

1315年にスコットランドのエドワード・ブルース(スコットランド王のロバート1世の弟)がアイルランド上王と称し、アイルランドの反イングランド貴族を味方につけ、アイルランドに侵攻します。その戦火にアイルランドの貴族たちはイングランド貴族に奪われた土地の多くを取り戻します。

1348年にヨーロッパ全土に起こったペスト菌の流行により、中心部に住んでいた多くのイングランド人やノルマン人が亡くなり、アイルランドは本来の姿を取り戻しつつありました。また、薔薇戦争が勃発したことで、アイルランドのイングランド人勢力はほぼ一掃されたことも影響しました。


イギリス国王ヘンリー8世によりアイルランドは再び支配下へ

自分の離婚を合法化するためにこれまでのローマ・カトリック教会から独立し、イングランド国教会(プロテスタント)を成立させたヘンリー8世は、ウェールズ、スコットランドにプロテスタントを受け入れさせて行きます。

しかしながら、カトリック教信仰の厚いアイルランドはイングランドとの対立を激化させてゆきました。ついに、アイルランドはイングランドの侵攻に勝てず、1541年ヘンリー8世によって、再占領されてしまったのです。

ヘンリー8世は最高地位であるアイルランド卿(Load of Ireland)の使用を廃止し、アイルランド議会に自らがアイルランド王であることを容認させ、アイルランド王となります。

ヘンリー8世はダブリンに行政府を置き、イングランドから多くのプロテスタントを入植させました。続く、エリザベス1世も有力なイングランドの商人たちを東北部に入植させることで東北部にイングランド色を強めてゆきます。

イギリスによって植民地化されたアイルランドの暗黒時代

ヘンリー8世のアイルランド占領から、カトリック教徒への弾圧が強まり、各地で内戦や反乱が勃発しました。イングランドは反乱を起こした懲罰として、カトリック教徒の地主の土地を没収し、イングランド入植者へ与えてしまいます。

アイルランド人は土地のほとんどを失い、小作人として労働せざる負えなくなりました。また、カトリック教徒であるだけで刑罰の対象となる刑罰法も施行され、多くのアイルランド人が刑罰により命を落とすこととなったのです。それでもアイルランド人のカトリックの信仰の火が消えることはありませんでした。

1649年、オリバー・クロムウェルはプロテスタントの一派であるピューリタンを率いてイングランドの王チャールズ1世を処刑し、共和制を樹立させます。世に言うピューリタン革命です。その勢いで、クロムウェルはアイルランドを侵略し、各地で多くのカトリック教徒を虐殺しました。

アイルランド人は土地を所有できないばかりか、高職につくことも、学問を学ぶ事も出来なくなり、アイルランド語の使用までも禁じられました。イングランドはアイルランド人を抑え込み植民地化を更に強固なものにしていったのです。

クロムウェルの侵略により、アイルランドの人口の3分の1が死亡し、その他多くの人々が他国へ亡命を余儀なくされました。未だに、アイルランドではオリバー・クロムウェルは悪名高い人物として有名です。

アイルランドを襲う更なる自然災害

1740年代にアイルランドを襲った2度の大寒波はアイルランド大飢饉と呼ばれ、もともと小作人で食べるものが十分でなかった貧しいアイルランド人の多くの命を奪うこととなりました。

1845年~1849年の4年間にヨーロッパ全域を襲ったジャガイモの疫病により、アイルランドは再び壊滅的な被害を受けました。

イングランド人の小作人となったアイルランド人は肥沃な土地で耕作される小麦はイングランド人やスコットランド人の地主に没収され、僅かな不毛地帯でジャガイモを耕作して命をつないでいたためです。

アイルランドの多くの民がこの『ジャガイモ飢饉』で食料難に直面しているにも関わらずイングランドやスコットランドの地主たちはアイルランドから食料を輸出することを止めませんでした。そのため、100万人近いアイルランド人が餓死し、多くのアイルランド人が故郷を捨てアメリカやカナダに海を渡って、移民しました。

アイルランド人を乗せた船は「棺桶船」と呼ばれ、多くの人が新境地を見つけられずに、船上で息絶えて行ったことは有名な話です。
アメリカ大統領のケネディ家の祖先も、アイルランドからの移民の一人です。この大飢饉でアイルランドの人口はすでに半分にまで減少したとまで言われています。

南アイルランドの独立

1775年のアメリカ独立戦争、1789年のフランス革命が起こるとアイルランド人の改革を求める動きが活発化され、宗教の自由とイギリス支配からの独立を掲げる内乱が各地で起こります。


1919年~1921年にかけてアイルランド独立戦争が勃発し、イギリスは停戦の要求の条件に1921年英愛条約をアイルランドと締結します。その内容は、南アイルランドはイギリス連邦下のアイルランド自由国となり、イギリスからの入植者かつプロテスタントの多い北部は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまるという内容でした。

1937年にアイルランド憲法が制定され、アイルランド自由国は「エール」へと国名を変更し、その後1949年には完全にイギリスから独立した「アイルランド共和国」として成立します。しかしながら北アイルランドがイギリスに留まったことに反対するアイルランド統一派は、イギリス軍に攻撃やテロ行為を続け、その戦いで数千人の命が奪われました。

北アイルランドを統一したいアイルランド統一派

北アイルランドがイギリスに残留したことを不服とするアイルランド統一派(IRA暫定派、アイルランド国民解放軍、アスター防衛同盟、アスター義勇団など)は、その後もイギリス軍に対して武力抗争を頻繁に起こすこととなります。

イギリスはアイルランド統一派集団をテロ組織と認識し抗戦、その戦いは1960年代後半から2007年8月にイギリスとアイルランド統一派間で締結された、完全武装解除を見るまで続きました。しかしながら未だにカトリック教徒による反プロテスタント行動として、北アイルランドに対する暴動、爆破、銃撃事件などは後を絶ちません。

アイルランド共和国の現状

アイルランドの人口は500万人弱(2020年統計)で、これまで多くの国民を戦争や飢餓で失う以前の一番多かった人口の時代と比べれば少ない数と言えます。しかしながら、国内総生産は27位(2020年)で、税率を低く抑えることで外資を集めることに成功しており、現在は豊かな国の一つと数えることが出来ます。

まとめ

2011年にエリザベス女王はイギリスから独立を勝ち取るために亡くなった英雄たちの記念碑に献花をし、トニー・ブレア前英国首相は、1997年アイルランドに対して「ジャガイモ飢饉」のイギリスの対応を正式に謝罪しました。未だにイギリス人とアイルランド人の中にはくすぶった感情を持っている人達も多いのも事実です。

参考資料サイト

【2021年】最新世界GDP(国内総生産)ランキング 2050年の予測も紹介 | ELEMINIST(エレミニスト)(外部サイト)

飢餓と移民の歴史を踏まえて、今のアイルランドがある (1) | フランス,オーストリア,アイルランド【さっちゃんのヨーロッパ】 (sachan.work)(外部サイト)

本記事は、2022年6月22日時点調査または公開された情報です。
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この記事を書いた人

公務員総研編集部のMです!
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