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アメリカの大統領 第19代 ラザフォード・ヘイズについて

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目次

はじめに

1877年から1881年までの間、アメリカ第19代大統領を務めたラザフォード・ヘイズは、アメリカ史上最も議論を呼んだ大統領選で勝利したことでも知られている人物です。南北戦争終結後、南部諸州から連邦軍を撤退させて人種に関係ない平等な待遇を目指した人物でしたが、様々な困難に直面した大統領でした。

エイブラハム・リンカーンの死後、南部再建に苦労したアメリカ政府でしたが、ラザフォード・ヘイズによってひとつの区切りを迎えることになります。今回はアメリカ第19代大統領ラザフォード・ヘイズについて解説します。

「ラザフォード・ヘイズ」のプロフィール

ラザフォード・ヘイズはオハイオ州で生まれましたが、生まれる前に父が命を落としたため母親がひとりで4人の子どもを育てるという環境で育ちました。決して恵まれた環境とは言えない家庭環境でしたが、雑貨店を経営していた父親が残した遺産のお陰で、地元の高校に通い、オハイオ州の名門大学であるケニヨンカレッジに進学できました。卒業後はハーバード大学のロースクールで法律を学び、法律事務所を開設するまでに至ります。

大学時代に政治への関心を示していたものの、弁護士としての道を歩みはじめたラザフォード・ヘイズは、オハイオ州のシンシナティ市の法務官を務めました。南北戦争が始まった1861年には陸軍に入隊し、北軍の一員として従軍します。法律家としての成功を収めていたのにもかかわらず軍隊に入隊したことは後に人生の大きな転機となります。

ラザフォード・ヘイズは南北戦争で活躍したためわずか4年で少将にまで昇進し、名声をあげるようになります。南北戦争終了後は連邦下院議員に選出され、オハイオ州知事も務めました。

1876年には共和党候補として大統領選に出馬しますが、選挙人投票でわずか1票の差で勝利します。激戦となった大統領選は後に史上最も議論を呼んだ大統領選として知られることになります。

大統領職は1期のみと明言したラザフォード・ヘイズは、南北戦争後の南部再建、教育支援、議会の権力集中を回避するなど様々な取り組みに尽力しました。しかし、わずか4年の任期で出来ることは制限されていたのでした。

「ラザフォード・ヘイズ」の経歴

大統領選まで

1822年、ラザフォード・ヘイズはオハイオ州で生まれました。父親が残した遺産によって平均的な教育を受けられたラザフォード・ヘイズは、ラテン語や古代ギリシャ語を学び成績優秀な生徒だったとされています。1842年にはケニヨンカレッジを首席で卒業し、卒業生総代を務めました。

1843年、法律学を本格的に学び始めたラザフォード・ヘイズはハーバードロースクールに進学し、1845年にはオハイオ州のフリーモントで弁護士事務所を開設します。駆け出しの弁護士ではあったものの、誠実な人柄を評価されて顧客を獲得していきました。

1847年、結核の疑いがあると診断されたため療養を兼ねて長期旅行にでかけます。その際に訪れたオハイオ州のシンシナティで弁護士として再出発することを決意し、1850年に同市で弁護士仲間と共同事務所を構えました。大都市だったシンシナティではこれまで以上に顧客を獲得し弁護士として成功を収め、1852年には教会で出会ったルーシーと結婚します。

1861年、南北戦争が始まったため弁護士を辞めて陸軍に入隊します。成功を収めていた弁護士業を辞めてまで北軍の一員に参加した背景には、結核によって軍隊への参加を見送った後ろめた気持ちがあったためとされています。しかし、この断ち切った思いが南北戦争での活躍に繋がり、大統領就任への足がかりになるのでした。


1865年まで南北戦争に参加したラザフォード・ヘイズは戦闘によって5回の瀕死の重傷を負いました。回復するたびに戦地へ出戻る姿は周囲からも高く評価され、最終的には少将にまで昇格しました。少将へは名誉昇進だったことから南北戦争での活躍は目覚ましかったと言えます。

南北戦争での活躍後はオハイオ州選出の下院議員に選ばれ、続けて地元のオハイオ州知事を歴任します。そうして迎えた1876年の大統領選では共和党候補として指名を獲得し、民主党候補のサミュエル・ティルデンと一騎打ちになります。そして、この大統領選はアメリカ史に残る議論を呼ぶ選挙になるのでした。

大統領職

1876年、共和党のラザフォード・ヘイズと民主党のサミュエル・ティルデンによる大統領選が行われました。一般投票ではサミュエル・ティルデンが優勢、さらに選挙人投票においても184対165という結果になりました。しかし「集計されていない(選挙人票の)20票」というものが存在することが明らかになります。

この20票はフロリダ州、ルイジアナ州、サウスカロライナ州、オレゴン州の票で、議会は民主党から5名、共和党から5名、そして最高裁判事の5名から成る選挙委員会を設立して20票の有効性を判断することにしました。

選挙委員会は20票すべてがラザフォード・ヘイズへの票と結論付け、最終的に184対185となり、ラザフォード・ヘイズが勝利しました。この背景には選挙委員会の民主党派と共和党派それぞれが妥協案を持ち合ったことがあります。(1877年の妥協)

南部寄りの民主党はラザフォード・ヘイズの勝利を黙認する代わりに、連邦軍が南部から撤退することを条件にしました。さらに、ラザフォード・ヘイズは密約として、南部出身者を郵政長官に配置し、南部周辺の鉄道整備や河川工事などに政府から助成金を出すことを約束したとされています。

この結果を受けた民主党支持者たちは裏取引を疑い、ラザフォード・ヘイズへの脅迫も起きたため、前大統領だったユリシーズ・グラントはワシントンD.C.周辺の警備を強化したほどだったとされています。

波乱の大統領選を制したラザフォード・ヘイズは妥協案に従って南部諸州に留まっていた連邦軍を引き上げさせました。このことは連邦政府による南部再建の実質的な終結を意味し、共和党の権力が及ばない南部州の始まりでもありました。エイブラハム・リンカーンの死後、アンドリュー・ジョンソン、ユリシーズ・グラントともに南部再建に失敗し、ラザフォード・ヘイズ政権で南部再建を頓挫させた形になったのです。

ラザフォード・ヘイズの決断によって南部諸州で進みつつあった黒人奴隷解放の流れは止まり、再び白人支配層が権力を握るようになりました。この際にラザフォード・ヘイズは、黒人は南部の白人によって管理されるほうが安全と発言しており、南部での黒人差別の時代が再び始まろうとしていました。

ラザフォード・ヘイズは大統領選で勝利をしたものの、目立った功績は残せずに任期を終えました。ラザフォード・ヘイズが連邦軍を南部から撤退させたことは、連邦政府が南部再建を断念し、南部での負の時代を再びスタートさせる結果になったのでした。

ポイント1:アメリカ史上最も議論を呼んだ大統領選

ラザフォード・ヘイズとサミュエル・ティルデンが争った1876年の大統領選は集計されていなかった20票を巡って揉めた大統領選でしたが、実際には共和党と民主党それぞれの妥協で決着しました。この「1877年の妥協」と呼ばれる議論によって南部は連邦軍の支配から解放されました。

これによって南部での黒人差別は加速し、黒人の選挙権剥奪、人頭税の課税などが実施されて、南部の黒人は南部に住み続けることさえも難しくなります。このことは後の「黒人の大移動(Great Migration)」に繋がります。

ポイント2:中国人移民問題

ラザフォード・ヘイズはカリフォルニア州の人口の9パーセントを占めつつあった中国人移民を禁止しようとする法案に拒否権を使って反対した人物としても知られています。ラザフォード・ヘイズは中国との関係悪化を恐れ、人数の制限はするものの、中国人移民を禁止することは回避しました。

中国人移民が増え続けた背景には、アメリカ全土で鉄道建設が進められていた際の安価な労働力として歓迎されていたためです。しかし、鉄道建設がひと段落すると職を失った中国人移民は白人の職を奪う脅威と見なされたのです。ラザフォード・ヘイズの行動はアメリカ政府の都合の良さによる軋轢を避けたかったとされています。

ポイント3:公職制度改革

ラザフォード・ヘイズは大統領として目立った功績はなかったものの、アンドリュー・ジョンソン政権以降続いていた上院議会主体の政治体制(猟官制度またはスポイルズ・システム)を改めることに成功したとされています。


エイブラハム・リンカーンの死後、上院議会は閣僚人事にも影響力を持ち、上院の都合が良い人事を優先していました。ラザフォード・ヘイズは官職任命権を始め、猟官制度を廃止し、人事は党派ではなく成果主義を優先することで建国当初の政府を取り戻そうとしました。失われつつあった大統領の権力を取り戻すことに貢献したことは功績と言ってもいいでしょう。

まとめ

ラザフォード・ヘイズは議論を呼ぶ大統領選で勝利しましたが、実質的に南部再建を諦めた大統領でもあります。このことは、南部での差別が加速することに繋がったため評価が分かれる点です。一方で、上院主体の政治体制を改めたことは評価されるべき功績と言えるでしょう。

ラザフォード・ヘイズに関する豆知識

・大統領引退後は教育支援、貧困差の是正に尽力したとされています。黒人の教育を応援するなど大統領時代とは対照的な活動をしながら晩年を過ごしています。

本記事は、2019年3月3日時点調査または公開された情報です。
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公務員総研の編集部です。公務員の方、公務員を目指す方、公務員を応援する方のチカラになれるよう活動してまいります。

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