中核市シリーズ第52回「久留米市」について

地方自治体特集「中核市」シリーズ、第52回は「久留米市」です。

福岡県にある「久留米市」の人口は2020年4月1日時点で約30万3千人と、秋田県秋田市に次いで国内67番目です。そんな「久留米市」とはどんな都市なのか解説します。


「久留米市」について

「久留米市」は、福岡県の南西部、筑後地方に位置する市で、九州の中心都市である福岡市から約40キロメートルの距離にあり、福岡市・北九州市に次いで福岡県では第3位、九州全体では第8位の人口を擁しています。

「久留米市」の北東部から南西部にかけては筑後川が流れ、ほぼ川に沿って境界が引かれており、市の南部から南東部は「耳納(みのう)連山」と呼ばれる山地で、鷹取山・発心山・耳納山などの山々が連なっています。

そんな「久留米市」は、福岡県の南部と佐賀県の東部にまたがる筑紫平野で最大の都市で、2001年に特例市に指定され、2005年に人口が30万人を突破、2008年に中核市に移行されました。

市域は、旧三潴郡・三井郡・八女郡・浮羽郡に該当し、筑後地方の中心都市であることに加えて独自の経済圏を形成しており、近年では中心市街地の商業的吸引力が低下する一方、福岡市のベッドタウンとしての機能が強まっています。

平成22年の国勢調査によると、「久留米市」の第1次産業従事者は、全体の5.7%、第2次産業従事者は18.8%、第3次産業従事者は70.6%となっています。

この「久留米市」は、全国でもトップレベルの医師数と医療機関が集積した高度医療都市で、最先端のがんワクチン研究などバイオ産業の集積も進み、農業産出額も全国トップクラスで福岡県内最大の農業生産都市でもあります。

「久留米市」の気候は、内陸型の有明気候区に属し、気温の年較差や降水量の年変化が大きいものの、雪は少なく温暖で、四季の変化に富んでいます。

>久留米市のホームページ
https://www.city.kurume.fukuoka.jp/

「久留米市」の成り立ち

「久留米市」の成り立ちは、1889年(明治22年)の市町村制度発足による市制施行にさかのぼり、当時は日本で一番人口の少ない市で、この年に現在の市域にあたる下記の32の町村が発足されました。

1)御井郡弓削村
2)金島村
3)大城村
4)北野村
5)宮ノ陣村
6)御井町
7)櫛原村
8)高良内村
9)合川村
10)国分村
11)山川村
12)上津荒木村
13)山本郡草野村
14)山本村
15)大橋村
16)善導寺村
17)三潴郡鳥飼村
18)荒木村
19)安武村
20)大善寺村
21)城島村
22)青木村
23)江上村
24)犬塚村
25)三潴村
26)竹野郡田主丸町
27)水分村
28)川会村
29)柴刈村
30)水縄村
31)竹野村
32)船越村

1894年に町制施行によって草野村が草野町に移行、1896年に郡区町村編制法によって御井郡・山本郡が三井郡、竹野郡が浮羽郡に移行、1900年に町制施行によって城島村が城島町に移行、1901年に町制施行によって北野村が北野町に移行、1917年(大正6年)に鳥飼村が編入されました。


1922年に町制施行によって国分村が国分町に移行、1923年に櫛原村が編入、1924年に国分町が編入、1939年(昭和14年)に町制施行によって大善寺村が大善寺町に移行、1940年に町制施行により善導寺村が善導寺町に移行されました。

1943年に御井町が編入、1949年に町制施行によって荒木村が荒木町に移行、1951年に合川村・上津荒木村・山川村が編入、1951年に川会村・柴刈村が合併して筑陽村となりました。

1951年に高良内村が編入、1954年に田主丸町・水分村・筑陽村・水縄村・竹野村および船越村(のちの吉井町、現うきは市)の一部が合併し田主丸町となり、1955年に荒木町・安武村が合併して筑邦町となり、1955年に城島町・青木村・江上村が合併して城島町(新町制)となりました。

1955年に北野町・弓削村・大城村・金島村が合併して北野町(新町制)となり、1955年に対等合併・町制施行によって犬塚村・三潴村が三潴町となり、1956年大善寺町が筑邦町に編入、1958年に宮ノ陣村・山本村が編入、1959年に大橋村が善導寺町に編入、1960年に草野町が編入、1967年に筑邦町・善導寺町が編入されました。

1989年(平成元年)に三潴郡三潴町が筑後市と境界変更、1989年に三潴郡城島町が大川市と境界変更、八女郡広川町と境界変更、1991年に一部が八女郡広川町に編入・境界変更、1992年に小郡市と境界変更、1994年に久留米市および三潴郡三潴町が境界変更、1995年に三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更されました。

1996年に筑後市の一部が編入・境界変更、1996年に八女郡広川町と境界変更、1996年に浮羽郡田主丸町が浮羽郡吉井町と境界変更、1997年に三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更、1998年に三潴郡城島町が大川市と境界変更、2000年に三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更されました。

2001年に浮羽郡田主丸町が朝倉郡朝倉町および浮羽郡吉井町と境界変更、2001年に特例市に移行されました。

2001年に三潴郡城島町が三潴郡大木町と境界変更、2003年に三潴郡三潴町が筑後市および三潴郡大木町と境界変更、2003年に三井郡北野町が小郡市と境界変更、三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更、八女郡広川町と境界変更されました。

2005年に北野町・三潴町・城島町・田主丸町が編入され、2008年に中核市に移行されました。

久留米市長「大久保 勉」(おおくぼ つとむ)さんはどんな人?

2018年1月から久留米市長を務める「大久保 勉」さんの経歴は、1961年(昭和36年)3月11日に生まれ、1984年に京都大学経済学部を卒業、株式会社東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行しました。

その後、1994年(平成6年)にモルガン・スタンレー証券に入社、1998年に同社マネージング・ディレクターに就任、2004(平成16)年に退社し、参議院福岡選挙区より初当選(2期12年)しました。

2012年に財務副大臣に就任、2013年に参議院経済産業委員長に就任、2016年に参議院議員を退任、2018年に久留米市長に就任しました。

趣味は、「マラソン、マウンテンバイク、スイミング、読書、旅行」だそうです。

>久留米市長公式ホームページ
https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080shisei/2010shoukai/3010shichou/

「久留米市」の行政プラン

「久留米市」は、21世紀の都市づくりの指針として「水と緑の人間都市」を基本理念とし、目指す都市の姿、それを達成するための都市づくりの柱・方向などを定めた「久留米市新総合計画 基本構想」を策定し、目標年次を第1四半期(2025年)としました。


この基本構想は、久留米市の21世紀の都市づくりの指針となるもので、環境の変化に戦略的に対応し、市民と行政が協働して目指す都市の姿を明確にするもので、下記の3つを基本理念としています。

1)個の存在や個性を尊重し、その自立性を大切に
2)自然と都市、人と人、人と自然の共生を大切に
3)本市の誇る地域資源である水と緑を大切に

さらに、「久留米市」は、これらの理念に基づき、下記の3つの目指す都市の姿と、それぞれの施策を展開しています。

1)誇りが持てる美しい都市久留米
・四季と歴史が見えるまち
・快適な都市生活を支えるまち
・外で活動したくなるまち
・環境を育み共生するまち

2)市民一人ひとりが輝く都市久留米
・人権の尊重と男女共同参画が確立されたまち
・安全で安心して暮らせるまち
・心豊かな市民生活を創造するまち
・多様な市民活動が連帯するまち
・子どもの笑顔があふれるまち
・健康で生きがいがもてるまち
・お互いのやさしさと思いやりの見えるまち

3)活力あふれる中核都市久留米
・知恵と技術を創造するまち
・アジアに開かれたまち
・人と情報が行き交うにぎわいのあるまち
・拠点都市の役割を果たすまち

このように、「久留米市」では、都市を創るための基本的なシステム・方法を重要な柱として提示し、基本構想の推進を図っています。

▼参考URL:久留米市|基本構想(平成13年度から令和7年度)

まとめ

以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第52回は福岡県の「久留米市」についてご紹介させていただきました。

本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。

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本記事は、2020年12月20日時点調査または公開された情報です。
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