中核市シリーズ第56回「宮崎市」について

地方自治体特集「中核市」シリーズ、第56回は「宮崎市」です。

宮崎県にある「宮崎市」の人口は2020年4月1日時点で約39万8千人と、大阪府枚方市に次いで国内43番目です。そんな「宮崎市」とはどんな都市なのか解説します。

「宮崎市」について

「宮崎市」は、九州南東部、宮崎平野の南端に位置し、大淀川が中央を流れて日向灘に注ぎ、地形は北部から西部にかけて丘陵地が連なり、南部は鰐塚山系、双石山系の山地で占められています。

市内の北端は一ツ瀬川が、中央部は大淀川、清武川、加江田川などが東流し、広大な宮崎平野を形成して日向灘に注ぎ、東部の海岸は白砂青松の砂浜が続きますが、市南部に位置する青島以南は山地が海岸まで迫っており、複雑な海岸線を呈しています。

2020年4月1日時点での人口は約39万8千人で、市街地は南の古くからある城ヶ崎に隣接している中村と、北の小さな街の花ヶ島(はながしま)・江平(えひら)が上別府村の市街化によってつながり、南北に細長く連続しています。

この「宮崎市」の市街地は、最初の市域を核として拡大し、1960年代からは平和が丘を皮切りに市街地を弧状に取り囲むようにニュータウンが次々と開発され、人口増加の受け皿となっています。

「宮崎市」の産業は、2005年の国税調査によると、第一次産業は3.8パーセント、第二次産業15.7パーセント、第三次産業は78.7パーセントです。

第一次産業は、赤江・木花・住吉・瓜生野地区を中心に、トマト・ピーマン・キュウリをはじめとする促成栽培が盛んで、マンゴーも名物の一つになっており、漁業は青島地区を中心に営まれています。

第二次産業は、旧清武町・国富町・旧佐土原町が中心で、印刷業を除いて大規模な工業は行われておらず、第二次産業の占める割合は極端に小さいことが特徴です。

第三次産業は、大都市からの交通の便が悪いため、市と周辺地域による小売業と卸売業が発達し、観光都市であることからサービス業も大きなウエイトを占め、近年では情報産業を積極的に誘致しています。

そんな「大分市」の気候は、年平均気温は18℃前後で、年間降水量は極めて多い水準にあり、日照時間も年間2,000時間を割り込むことはほとんどありません。

平均気温の高さ・年降水量多さ・年日照時間長さにおいて、いずれも全国の県庁所在地では概ね3位以内で、九州以外の住人が一般的にイメージしている「九州の気候」に最もよく当てはまる気候と言えます。

春は、3月中旬から4月にかけてすっきりしない天気が続き、天気は変わりやすく、低気圧が日本海を通過すると気温が上がって、フェーン現象により季節外れの高温になります。

夏は、5月下旬から7月上旬が梅雨で、梅雨の末期は大雨に見舞われることがあり、南西風が卓越しているためフェーン現象の影響を受けやすい7月が暑さのピークで、8月の平均気温は福岡市と比べて1℃近くも低く、九州の中では夏の暑さは穏やかです。

秋は、9月前半の残暑に続いて台風が襲来し、梅雨に匹敵する雨のシーズンで、台風がはるか南にある段階から湿った東風で強い雨が続き、11月は爽やかな秋晴れとなります。

冬は、九州各地が雪に見舞われた時でも西風の強い乾燥した晴れの日が多く、太平洋側の中でも、冬型気圧配置の下での降雪はほとんどない地域といえます。

冬の雪は、降雪そのものを観測しない年も多く積雪は稀で、日中は暖かい一方で、特に冬型が緩んだ翌朝は放射冷却で最低気温が氷点下になることがあり、東京都心よりも冬日が多いことが特徴です。

>宮崎市のホームページ
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/

「宮崎市」の成り立ち

「宮崎市」の成り立ちは、町制施行によって、下記の19の町村が発足された1889年(明治22年)5月1日までさかのぼります。

1) 宮崎町
2)大淀村
3)大宮村
4)生目(いきめ)村
5)瓜生野(うりゅうの)村
6)田野村
7)北清武村
8)南清武村
9)赤江村
10)檍(あおき)村
11)木花村
12)青島村
13)住吉村
14)佐土原村
15)広瀬村
16)那珂村
17)倉岡村
18)高岡村
19)穆佐(むかさ)村

1891年に北清武村・南清武村が合併して清武村となり、1896年に佐土原村に町制が施行、北那珂郡が宮崎郡に編入、1916年(大正5年)に大淀村に町制が施行、1920年に高岡村に町制が施行、1924年に宮崎町・大淀町・大宮村の合併によって市制が施行されました。

1926年に赤江村に町制が施行、1932年(昭和7年)に檍村が編入、1943年に赤江町が編入、1950年に田野村・清武村に町制が施行、1951年に瓜生野村・木花村・青島村・倉岡村が編入、広瀬村に町制が施行されました。

1955年に高岡町が西諸県郡野尻町大字紙屋の瀬越地区に編入、佐土原町・那珂村が合併して佐土原町となり、高岡町・穆佐村が合併して高岡町となり、1957年に住吉村が編入、1958年に佐土原町・広瀬町が合併して佐土原町となりました。

1963年に生目村が編入、1989年(平成元年)に佐土原町が西都市の一部を編入、
1990年に清武町と境界変更、高岡町と境界変更、1992年に清武町の一部が編入、
1998年に中核市に指定され、清武町と田野町が境界変更されました。

2002年に清武町と境界変更、高岡町と境界変更、2005年に佐土原町が児湯郡新富町大字下富田の二ツ立地区が編入、2006年に田野町・佐土原町・高岡町が編入、2010年に清武町が編入されました。

宮崎市長「戸敷 正」(とじき ただし)さんはどんな人?

2010年2月6日から宮崎市長を務める「戸敷 正」さんは、1952年(昭和27年)8月31日に生まれました。

経歴は、宮崎県立農業大学校指導学部を卒業後、1974年に佐土原町役場に入庁、1998年に佐土原町長に就任、2002年(平成14年)に佐土原町長に就任(2期)、2010年に宮崎市長に就任、2012年に宮崎県市長会長に就任しました。

2014年に宮崎市長に就任(2期)、平成26年に宮崎県市長会長に就任(2期)、2016年に宮崎県市長会長に就任(3期)、2018年に宮崎市長に就任(3期)しました。

>宮崎市長公式ホームページ
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/mayor/

「宮崎市」の行政プラン

「宮崎市」は、県総合計画「未来みやざき創造プラン」の基本目標である『未来を築く新しい「ゆたかさ」への挑戦』を実現するため、「みやざき行財政改革プラン(第二期)」に基づき、下記の4つの視点で行財政改革を推進してきました。

1)「効率的で質の高い行政基盤の構築」
2)「県政運営を支える人材づくりと県有財産等の資産の有効活用」
3)「県民ニーズに即した行政サービスの提供」
4)「持続可能な財政基盤の確立」

今後、「宮崎市」は、これらの基本理念や行財政改革の視点等の大きな方向性は継承し、限られた人員・財源の中で、多様化・高度化する県民ニーズに的確に対応できる「しなやかな県庁」を目指すため、「みやざき行財政改革プラン(第三期)」を策定しました。

具体的には、「県総合計画の基本目標『未来を築く新しい「ゆたかさ」への挑戦』を支える持続可能な行財政基盤の確立」を基本理念とし、下記の4つの視点と重点的な取組を掲げました。

1)視点1:効率的で質の高い行政基盤の構築
・行政需要に対応した簡素で効率的な組織体制の見直し
・適正な定員管理
・公社等改革の推進
・危機事象への対応
・信頼性を高める行政運営
・県政運営の透明性の確保

2)視点2: 県民ニーズに対応した行政サービスの提供
・県民ニーズの的確な把握と県民サービス・利便性の向上
・県民等との連携・協働
・市町村等との連携

3)視点3: 県政運営を支える人材づくりと働き方改革の推進
・県政を担う人材の育成・確保
・女性職員が活躍できる職場環境の整備
・職員の意識改革と働きやすい職場づくり
・公務能率の向上

4)視点4: 健全な財務基盤の構築と資産の有効活用
・自主財源の確保とコスト縮減
・県有財産等の資産の有効活用

このように、「宮崎市」は、人材や環境整備、事務を見直し、公務能率の向上を図る「働き方改革」に重点的に取り組み、県民本意の行財政改革を推進しています。

▼参考URL:宮崎市|みやざき行財政改革プラン(第三期)の策定について

まとめ

以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第56回は宮崎県の「宮崎市」についてご紹介させていただきました。

本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。

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本記事は、2020年12月5日時点調査または公開された情報です。
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