中核市シリーズ第53回「長崎市」について

地方自治体特集「中核市」シリーズ、第53回は「長崎市」です。

長崎県にある「長崎市」の人口は2020年4月1日時点で約41万1千人と、富山県富山市に次いで国内39番目です。そんな「長崎市」とはどんな都市なのか解説します。

「長崎市」について

「長崎市」は、長崎県中部に位置する市で、長崎県の県庁所在地であり、中核市に指定されています。

古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市で、江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ち、主にオランダなどのヨーロッパから多くの文化が入ってきました。

この「長崎市」は、外国からの文化流入の影響や坂の多い街並みであることから他の都市とは異なる景観を有しており、人口は長崎県で最大で人口密度も高いため、山間部にも建物が密集しています。

市域は、長崎半島および西彼杵半島で、諫早市・西海市・西彼杵郡時津町・長与町に隣接し、市の形状は全国的に見ても数少ない「すり鉢」状となっています。

「長崎市」の中心部は、三方を山に囲まれ、女の都(めのと)・三原・本原・西山・片淵・小島(こしま)・稲佐(いなさ)・小江原(こえばる)・西町・滑石(なめし)など住宅地の多くは、山の斜面が利用されています。

そのため「階段の街」「坂の街」として有名で、坂が多いため自転車に乗る人は少ない一方で原付バイクが多く、ナンバープレートの登録番号が5桁になっています。

この「長崎市」の中心部を流れる川には、北部から南下し長崎港に注ぐ浦上川と、市の北東部から長崎港へ注ぐ中島川とがあり、それぞれの川沿いに平地と埋立地があり、商業地や公共施設が集中しています。

「長崎」の地名は、現在の県庁を先端とする岬に居を構えた桓武平家九州千葉氏本家が、岬の長さから長崎氏と名乗ったことに由来するとの説や、長崎御崎に館を構えた北条内管領家の鎌倉長崎氏から枝分かれした九州長崎氏に由来するとの説があります。

「長崎市」の産業は、工業・造船業は、三菱重工業長崎造船所、三菱電機などの工場が集中し、三菱の企業城下町とも言われています。

観光業は、鎖国時代から港が海外に開かれていたため、異国情緒のある街として知られるとともに原子爆弾の被爆地であることから、修学旅行の目的地とする学校も少なくありません。

水産業は、長崎漁港の捕鯨や東シナ海を漁場とする「以西底引き網」の基地として繁栄し、畜産業は、西彼杵半島南部で肉牛・乳牛の養育も行われています。

「長崎市」の気候は、年間平均気温は17.4℃、年降水量は約1,678ミリで、暖流の影響が強く、九州の他都市に比べて寒暖の差が小さいことが特徴です。

近年は、大雪が多く、長崎のご当地ソングの多くに雨が登場するため、雨が多いと思われがちですが、年降水量が突出して多いわけではありません。

>長崎市のホームページ
https://www.city.nagasaki.lg.jp/

「長崎市」の成り立ち

「長崎市」の成り立ちは、市制施行により、長崎区の全域および上長崎村・下長崎村の各一部の区域をもって長崎市が発足した1889年(明治22年)4月1日まで遡ります。

1898年(明治31年)に深堀村から香焼村が分立され、下長崎村の全域および上長崎村・戸町村・淵村の各一部が編入、淵村から小榊村が分立されました。

1919年(大正8年)に町制施行によって茂木村が茂木町となり、1920年(大正9年)に上長崎村・浦上山里村がを編入、1938年(昭和13年)に西浦上村・小ヶ倉村・土井首村・小榊村が編入、1948年に町制施行によって島村が高島町となりました。

1950年に福田村の一部が編入され、1955年に福田村・深堀村・日見村が編入、町制施行によって矢上村・戸石村・古賀村が新設合併し東長崎町が発足、為石村・川原村・蚊焼村が新設合併し、町制施行によって三和町が発足、神浦村・黒崎村が新設合併し、外海村が発足されました。

同年、町制施行によって高浜村の一部・野母村・脇岬村・樺島村が新設合併し、野母崎町が発足、高浜村の残部(端島名)と高島町が新設合併し、あらためて高島町が発足されました。

1959年に村松村の一部と長浦村が新設合併して琴海村が発足され、1960年に町制施行により外海村が外海町となり、1961年に町制施行によって香焼村が香焼町となりました。

1962年に茂木町・式見村が編入、町制施行によって伊王島村が伊王島町となり、1963年に東長崎町が編入、1969年に町制施行によって琴海村が琴海町となり、1973年に三重村が編入、時津町の一部(横尾地区)が編入されました。

1997年に特例市に移行、2005年(平成17年)に香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・三和町・外海町が編入、2006年に琴海町が編入されました。

2005年の市町村合併で、長崎半島西南部や有人島の離島である伊王島・高島・池島、石炭産業の衰退で無人島となった端島(通称:軍艦島)が編入合併されました。

2006年1月4日の市町村合併では大村湾沿岸の旧琴海町が編入合併され、2008年4月1日より中核市に移行されました。

長崎市長「田上 富久」(たうえ とみひさ)さんはどんな人?

2007年4月22日から長崎市長を務める「田上 富久」さんは、1956年(昭和31年)12月10日に生まれ、経歴は、1980年に長崎市役所に入所、2002年(平成14年)に長崎市観光部観光振興課主幹に就任、2004年に長崎市企画部統計課長に就任しました。

2007年4月に第32代長崎市長に就任、2011年4月に第33代長崎市長に就任、2015年4月に第34代長崎市長に就任、平成31年4月に第35代長崎市長に就任しました。

好きな言葉は、「一隅を照らす」で、尊敬する人は、「勝 海舟、山田 方谷」だそうです。

>長崎市長公式ホームページ
https://tomihisa-taue.jp/

「長崎市」の行政プラン

「長崎市」は、人口の減少や少子高齢化が今後も進展するなか、健全で効果的・効率的な行政運営を行うため、令和元年度から令和5年度までの5年間を実施計画とする「長崎市行政経営プラン」を策定しました。

このプランを実現するため、「長崎市」は、大きく分けて下記の5つの柱を打ち出しました。

1)長崎市のまちづくりの理念・方針
2)長崎市行政経営プランの位置づけ
3)これまでの行財政改革の取組
4)長崎市の現状と今後の見込み
5)新しい行政経営の取組み

さらに、これらの柱に基づき、「長崎市」は人材や財源を効率的に活用するため、下記の2つの取組みとそれぞれの実施項目を掲げました。

1)全庁的な取組み
・ICT技術の導入
・ 庶務業務の集約、民間委託
・ 窓口受付マニュアルの電子化、検索システム構築
・ 総合窓口支援システムの導入
・ 文書管理システム(電子決裁)導入
・ 財務会計システムの電子決裁化
・ 行政サテライトの検証
・ 外郭団体等の見直し
・ 維持管理業務の包括民間委託
・ 窓口業務の民間委託
・ 未利用地の売却
・ 施設の民間移譲
・ オープンデータの公開

2)各部局の主な取組み
・公の施設への指定管理者制度導入
・給与事務等業務の民間委託の拡大
・市税等収納窓口の民間委託
・データ入力業務の民間委託

このように「長崎市」は、必要な市民サービスの維持・向上を図るため、人員や財源などを効率的・効果的に活用する「行政経営」に重点的に取り組んでいます。

▼参考URL:長崎市|長崎市行政経営プラン(令和元年度~令和5年度)を策定しました

まとめ

以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第53回は長崎県の「長崎市」についてご紹介させていただきました。

本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。

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本記事は、2020年12月3日時点調査または公開された情報です。
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