地方自治体特集「中核市」シリーズ

中核市シリーズ第54回「佐世保市」について(2020年9月情報)

地方自治体特集「中核市」シリーズ、第54回は「佐世保市」です。

長崎県にある「佐世保市」の人口は2020年4月1日時点で約24万7千人と、山形県山形市に次いで国内83番目です。そんな「佐世保市」とはどんな都市なのか解説します。


※本記事は、2020年9月調査の内容です(今後更新予定です)。

「佐世保市」について

「佐世保市」は、九州地方の北西端にして長崎県の北部地方にある市で、北松浦半島の付け根から同半島の中南部までの地域を主な市域とします。

位置的には、長崎市の北北西約50kmで、市域の西側・南西部・南部は海に面し、市域東側は佐賀県と県境を接しています。

また、2006年に五島列島北端の旧北松浦郡宇久町と合併したことにより、離島部にも「佐世保市」の範囲が広がっています。

この「佐世保市」は、「長崎市」ほどではありませんが、坂の多い町並みが特徴で市域中央部の中心市街地まで山地が迫っているため、自転車はあまり利用されていません。

市域中西部の相浦地区や南部の早岐地区にも市街地があり、長崎県では長崎市に次いで2番目、人口は九州では9番目に多く、2020年4月1日時点で約24万7千人です。

県庁所在地ではない「非県都」ですが、人口規模と比較して大規模な繁華街を持つ都市であり、国から中核市および保健所政令市の指定を受けています。

かつては、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の旧海軍四軍港の一つとして鎮守府が置かれたことから、現代でも自衛隊や在日米軍の基地として伝統を受け継いでいる造船・国防の町としても知られています。

「佐世保市」の主な産業は、造船業で、戦後すぐに海軍工廠の施設を活かして設立された佐世保重工業を中心に発展し、多くの造船関連企業や造船技術を活かして設立された企業が集積しています。

観光業では、ハウステンボスや九十九島などの観光資源がることから盛んに行われ、近年は特にクルーズ船の寄港増加などで勢いづいています。

このほか、商業サービス業は、四ヶ町・三ヶ町商店街などをはじめとして「日本一元気な商店街」と評され、水産業は、網漁業・とらふぐ等漁業養殖が盛んで全国有数の漁獲量を誇っており、「佐世保市」は多様な経済構造を擁する「複合産業都市」を形成しています。


そんな「佐世保市」の気候は、一年を通して気温は概して高く、冬も対馬海流の影響によって0度以下になる事は少なく、曇天の日が多いことが特徴です。

太平洋型と日本海型の中間の気候型で、梅雨の期間が長く、高温多湿で降水量も多く、梅雨から夏にかけての集中豪雨で水害が繰り返し起きています。

快晴の日数は、年間を通じて九州でも最も少ないほうで、1年の三分の一は1ミリ以上の雨が降り、1年の半分は雨か曇りで、台風の通り道になることの多い地理条件によって台風被害も多い地域です。

>佐世保市のホームページ
https://www.city.sasebo.lg.jp/

「佐世保市」の成り立ち

「佐世保市」の成り立ちは、市制施行により、佐世保村が佐世保市となった1902年(明治35年)4月1日までさかのぼります。

同日、佐世保村の北部が分離、東彼杵郡佐世村が発足され、1923年(大正12年)4月1日に町制施行によって早岐村が早岐町となり、1927年(昭和2年)4月1日に東彼杵郡佐世村、日宇村が佐世保市に編入、広田村が早岐町に編入されました。

1930年に町制施行によって山口村が相浦町となり、1938年に北松浦郡相浦町が佐世保市に編入、1940年に町制施行によって江迎村が江迎町、大野村が大野町、世知原村が世知原町となりました。

1942年に北松浦郡大野町、皆瀬村、中里村、および東彼杵郡早岐町が佐世保市に編入、1947年に町制施行によって鹿町村が鹿町町となり、1949年に町制施行よって平村が平町となり、1950年に町制施行によって小佐々村が小佐々町となりました。

1951年に町制施行によって井村が吉井町となり、1954年に北松浦郡柚木村、黒島村が編入、1955年に東彼杵郡折尾瀬村・江上村・崎針尾村が佐世保市に編入、平町と神浦村が対等合併し、宇久町が発足されました。

1958年に東彼杵郡宮村が佐世保市に編入、鹿町町が「ししまちちょう」から「しかまちちょう」に改称、2001年(平成13年)に特例市に移行、2005年北松浦郡吉井町・世知原町が佐世保市に編入されました。

2006年に北松浦郡小佐々町・宇久町が佐世保市に編入、2010年に北松浦郡江迎町・鹿町町が佐世保市に編入、2016年(平成28年)4月1日に中核市に移行されました。

佐世保市長「朝長 則男」(ともなが のりお)さんはどんな人?

2007年4月30日から佐世保市長を務める「朝長 則男」さんは、1949年2月12日に生まれました。

経歴は、1971年(昭和46年)に青山学院大学経済学部を卒業、1971年に医療法人白十字会、社会福祉法人佐世保白寿会に勤務、1987年に佐世保市議会議員(2期)に就任、1994年(平成6年)に長崎県議会議員(4期)に就任しました。

その後、2004年に長崎県議会副議長に就任、2007年に第28代佐世保市長に就任、2011年に第29代佐世保市長に就任、2015年に第30代佐世保市長に就任、2019年に第31代佐世保市長に就任しました。

趣味は、「野球、ドライブ、旅行」で、好きなものは「アイスクリーム、トマト」だそうです。


>佐世保市長公式ホームページ
https://www.city.sasebo.lg.jp/mayor/soumu/hishok/

「佐世保市」の行政プラン

「佐世保市」は、環境が変化うる現代社会において民間連携によて持続可能な行政を運営するため、平成29年度から令和3年度までの「第6次佐世保市行財政改革推進計画(後期プラン)」を策定しました。

このプランを推進するため、「佐世保市」は、大きく分けて下記の4つの基本方針を提示しました。

1)行政活動の再構築(施策事務事業の見直し、民間活力の活用、情報化の推進、広域連携の推進)
2)行政体制の整備(迅速で柔軟な行政体制の構築、定員管理や給与等の適正化、人材の活性化、公営企業の経営健全化)
3)パートナーシップの構築(市民協働の推進、情報共有の推進)
4)財政の健全化(質の高い財政運営、信頼される財政運営)

さらに、「佐世保市」は、この基本方針に基づき、4つの基本方針とその取組を示しました。

1)行政活動の再構築
・施策事務事業の見直し
・民間活力の活用
・情報化の推進
・広域連携の推進

2)行政体制の整備
・迅速で柔軟な行政体制の構築
・定員管理の適正化
・給与等の適正化
・人材の活性化
・公営企業の健全化(水道・下水道事業、交通事業)

3)パートナーシップの構築
・市民協働の推進
・情報共有の推進

4)財政の健全化
・質の高い財政運営
・信頼される財政運営

このように「佐世保市」は、具体的な取組工程や成果目標などを設定し、改革工程表を1年ごとに見直すことにより、後期プランの着実な推進を図っています。

▼参考URL:佐世保市|「第6次佐世保市行財政改革推進計画(後期プラン)」[平成29年度~令和3年度]の推進について

まとめ

以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第54回は長崎県の「佐世保市」についてご紹介させていただきました。

本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。

地方自治体特集「中核市」シリーズ 記事一覧

本記事は、2020年12月22日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

気に入ったら是非フォローお願いします!
NO IMAGE

第一回 公務員川柳 2019

公務員総研が主催の、日本で働く「公務員」をテーマにした「川柳」を募集し、世に発信する企画です。

CTR IMG