はじめに
2020年8月28日、安倍晋三元首相が電撃的に辞任を発表すると、一気に「自民党次期総裁・次期首相」の話題で日本中が持ちきりになりました。今回の首相辞任は「緊急事態」と判断した二階俊博自民党幹事長が「自民党国会議員やごく一部の自民党幹部だけが参加する総裁選」の実施を決定すると、この決定が総裁選の結果に大きな影響を与えるものだとして、メディアはもとより国民からも少なからず批判の声があがりました。
近年日本と緊密な関係を築いているオーストラリアでは2019年に総選挙を終え、大方の予想に反して自由党(Liberal Party)が奇跡の勝利を遂げ、スコット・モリソン(Scott Morrison)首相率いる自由党と国民党(National Party)の連立政権下が続いています。1901年にオーストラリア連邦が成立して以降、現在に至るまでイギリス(女)王を元首とした立憲君主制による議会制民主主義の政治制度を維持しています。
イギリスと北米の政治制度を模範にしたオーストラリアの選挙制度についてご紹介します。
オーストラリアの選挙制度の歴史
1788年にイギリスによる植民地支配が始まると、オーストラリア大陸は6つの植民地に分けられ、それぞれが自治政府を持って独自の統治体制を敷きました。
当時は全ての植民地でイギリス本国の選挙制度を継承しており、職業や財産によって選挙資格の有無を決める「限定選挙権」や、同じ有権者が財産を所有する複数の選挙区で投票できる「多重投票制度」などの不公平極まりない制度も受け継がれました。これらの制度を利用した不正行為が後を絶たず、これによって各植民地が選挙制度の改革にのりだしました。
オーストラリアでの真の民主主義は、現在州都をメルボルンに置くビクトリア州からスタートしました。1855年にビクトリア州が秘密投票方式(Secret Ballot)を導入したことに端を欲して、翌56年には南オーストラリア州が限定選挙権を廃止して、全ての成年男子に選挙権を与えることを決定しました。そして南オーストラリア州は92年に成人女子にも選挙権を与え、植民地の選挙制度は大きく変化していきました。
1890年代になると、オーストラリア大陸にある全ての植民地が多重投票制度を中止して1人1票の原則を採用し、1901年にオーストラリア連邦が誕生してからも、1人1票の原則と男女平等の参政権などが継承されて、現在のオーストラリアの選挙制度の基盤となりました。
これらの歴史を踏まえてオーストラリアは世界で最も古い民主主義国家の一つとされています。
オーストラリアの政党について
オーストラリアでは現在53の団体が政党として認められています。
現政権は自由党と国民党の連立政権で、この二つの党は1996年に初めて連合を組んで以来、継続的な協力関係を築いています。現在野党第一党の労働党(Labour Party)と自由党が二大政党として、オーストラリアの政を牽引しています。労働党は国内最古の政党で、労働組合運動を発端に結成された世界で最も歴史の古い社会民主主義政党の一つです。
自由党は1949年に首相に選任されたロバート・メンジーズ(Robert Menzies)元首相が16年間、1996年に首相の座に就いたジョン・ハワード(John Howard)元首相が10年間という長期政権を樹立し、共に任期中に国家経済を建て直した実績が高く評価されています。
オーストラリアの連邦政府(Commonwealth Government)
オーストラリア連邦政府は、上院(Senate)と下院(House of Representative)の二院制の国会制度を採用しています。両院とも選挙で選ばれた議員によって構成され、議会は両院とも首都キャンベラにある国会議事堂(Parliament of Australia)で開催されます。
オーストラリアの連邦政府:上院について
オーストラリアの上院の定数は現在76議席あり、6つの州から各12名づつ、そして首都特別地域(ACT)と北部準州特別地域(NT)からはそれぞれ2名づつが選出されます。
上院議員の任期は6年で、3年ごとの定期選挙で半数が改選されるというシステムです。定期選挙は任期満了を迎える前1 年以内に行うこととされています。
オーストラリアの連邦政府:下院について
現在の下院の定数は151議席で全国151の選挙区から各1名づつの議員を選挙によって選任します。
下院議員の定数は憲法上「できる限り上院議員定数の2倍」とされています。また州別に人口比例で配分するのが原則とされているので、基本的には各総選挙後に選挙管理委員会(Australian Electoral Commission)によって州別の定数配分が見直されます。
下院議員の任期は3年ですが、任期満了を待たずに解散することもできます。
オーストラリアの選挙制度とは
2019年のオーストラリア連邦議会議員総選挙は上院・下院の同時選挙となり、上院40議席は比例代表制で、下院15議席は小選挙区制で争われました。この選挙では、前述の通り大方の予想を裏切って当時も与党として政権を握っていた自由党と国民党が政権を続投するという結果に至りました。もちろんこの結果にも驚かされましたが、選挙の結果そのものよりもこの選挙の投票率に驚いた日本人も多いことでしょう。
投票率は上院92.48%・下院91.89%と、長らく投票率の低さが問題視されている日本の選挙投票率と比べると、目を疑ってしまう数字です。この結果は国民の政治に対する意識の強さの現れのようにも思われますが、実は選挙制度そのものに起因するところが大きいのです。
オーストラリアの選挙制度:投票権について
オーストラリアの投票率が世界でも上位にランキングするのは、「義務投票制」を実施しているからです。
18歳以上の全てのオーストラリア国民は投票を義務付けられていて、投票しなかった場合には罰金が課せられます。罰金額は各州や特別地域によって異なりますが、現在は20豪ドル(約1,500円)から175豪ドル(約11,000円)です。罰金勧告1回目で支払えば20豪ドル、2回、3回と催促通知が届くたびに罰金額が上がっていくというシステムです。もちろん投票できなかった正当な理由があれば、罰金は免除されます。
オーストラリアの選挙制度:立候補と選挙運動について
両院とも立候補者は投票権のあるオーストラリア国籍保持者で、かつ次のような条件を満たしている必要があります。
外国籍を保持しないこと
外国勢力の権力化にないこと
免責未決済破産者でないこと
公務員でないこと
防衛省の正規職員でないこと
公務員の立候補については、立候補希望者は落選した場合には復職できるというアレンジを事前に行った上で、退職して立候補の手続きを行う場合も多いそうで、志のある人が安心して立候補できるようフレキシブルに対応していると言えます。
選挙運動に関しては、日本のように車上から候補者の名前を連呼するような活動はなく、候補者自身が街頭で国民と立ち話をするというスタイルの選挙キャンペーンが行われます。街中にたくさんのポスターが貼られ、候補者のサポーターたちが一軒一軒住宅を回ってチラシをポスティングするのも一般的な選挙活動の一つです。
ショッピングセンターなど人通りの多いところで広報活動を行いますが、候補者同士が談笑している姿もよく目にし、一つの議席を争っている「敵同士」というよりは、それぞれの夢に向かって活動する「好敵手」と映ります。もちろんサポーターたちも和気あいあいとしている印象を持ちます。
オーストラリアの選挙制度:投票について
オーストラリアの投票制度は「死票を減らす」システムとして世界中で高く評価されています。投票制度は次の通り、上院と下院で異なる制度を設けています。
上院の制度
上院選挙に使用する投票用紙は、上下二段に分けられており、上段には政党名、下段には候補者名が記載されています。政党で選ぶか個人で選ぶかは投票者自身が判断します。
政党に票を投じる場合には、自分の選ぶ政党に “1”を記入し、他の政党にも優先順位をつけていきます。候補者で選ぶ場合も候補者全員に当選させたい候補者順に番号をつけます。
つまり候補者が100人いれば、100まで番号を付けなければならないというのが難点ですが、これが「死票を減らす」投票方法だとして評価されているのです。
下院の制度
下院選挙で使用する投票用紙には立候補者全員の名前が記されており、上院での投票方法と同様に“1”から順番に番号を付け、最終的に“1”を過半数得た候補者が「当選」ということになります。
両院において、全てに番号が付けられていない投票は無効票になってしまうので、例え多くの候補者がいる場合でも、投票者は慎重に優先順位を記載していきます。
オーストラリアの選挙制度:期日前投票について
期日前投票は国内でも海外でも行うことができます。国内で投票する場合には次のような方法を利用できます。
期日前投票所での投票
郵便投票
選挙管理委員会の移動型期日前投票(病院・介護施設・刑務所・遠隔地など)
電話投票(視覚障がい者のみ)
海外で投票する場合には、各国にあるオーストラリア大使館や領事館などで投票できる他、郵送での投票も受け付けてくれます。
オーストラリアの選挙制度:投票日について
各地に設けられた投票所の前には、選挙キャンペーンをサポートしてきたボランティアたちが、それぞれが応援する候補者に投じてもらえるよう、最後の最後まで投票者に呼びかけているので、とても賑わっている印象を受けます。
投票所の外ではカップケーキを販売する人、フェイスペインティングをする人、風船を販売する人など、まるで縁日のような光景が広がる投票所もあります。
そんな中でもひときわ「オーストラリアらしさ」を感じられるのが「ソーセージシズル(Sausage Sizzle)」のテーブルです。バーベキューが大好きなオーストラリア人は、学校や教会などのイベントで募金活動の一環として、この「ソーセージシズル」を行います。ソーセージや玉ねぎを大きな鉄板の上で焼いて、薄切りの食パンに挟んでケチャップ等のソースをかけて販売するのが「ソーセージシズル」です。
価格はさまざまですが、一つ3~5豪ドル(220円~380円程度)が一般的です。選挙の際には学校や図書館などの公の場所が投票所として使用されるため、PTAや地域団体などが、それぞれの活動資金を集めるために行う場合が多いようです。
2016年の総選挙の際に当時首相だったマルコム・ターンブル(Malcolm Turnbull)」が、夫人と共に投票所に現れた際に「豪州の民主主義は、ソーセージシズルの香りなしでは成り立たない」と発言したことから、選挙の際に販売するソーセージシズルは「民主主義ソーセージ(Democracy Sausage)」と称されるようになりました。
このようなさまざまな取り組みは有権者が楽しめるようにという配慮からとのことで、こういうアイデアも投票率の底上げに一役買っているのかもしれません。
オーストラリアの選挙制度:当選者決定
投票方法と同じように、当選者の決定についても上院と下院では異なるシステムを採用しています。
上院の当選者決定には「クオータ(Quota)」という数字が用いられます。
クオータとは「{有効票÷(改選議席+1)}+1」という数式ではじき出される数字のことで、この数字が当落の指標となります。得票数がクオータに達した候補者が上院議員の座を手に入れ、当選者の得票がクオータを上回った場合には、上回った分の得票を「余剰分の票÷当選者の全得票」という数式に当てはめて算出される数字を、該当の候補者に振り分け、合計得票数がクオータに達すれば「当選」ということです。
何度も何度も繰り返しこの作業を行って当選者を確定しますが、全議席が埋まる前に余剰分を配分してもクオータに達する候補が出ない場合には、その時点で得票が最下位の候補者を除き、優先順位が“2”の候補者に得票を振り分ける作業を繰り返すという、なんとも時間と手間のかかる作業で投票者を決定していきます。
下院では有効投票の中で“1”の票を過半数取った候補者が「当選」となります。どの候補者も得票数が過半数に及ばなかった場合には、“1”の得票が最も少なかった候補者が落選となり、落選した候補者に投じた投票者が2位に選んだ候補者に票が割り振られます。このようにして同じ作業を繰り返し全議席を埋めていきます。
言葉で説明するのはなかなか難しいシステムではありますが、より公平に民意が反映されるシステムして評価されています。支持する候補者に一票を投じるだけでなく、当選させたくない候補者に最下位をつけることで、その候補者は「代議士として相応しくない」という思いを伝えることができます。
オーストラリアの選挙制度:首相任命について
菅政権発足で物議を醸した首相の選任については、オーストラリアでも同様のシステムが用いられています。
首相は下院多数党の党首が就任し、首相の任命はイギリス(女)王の代理である総督(Governor General)がその役割を担っています。自由党と国民党の連立政権下では自由党の党首が首相を、国民党の党首が副首相を務めるのが一般的です。
そして労働党政権下では党首が首相に就任します。ここ数年は、自由党と国民党の連立政権下でも労働党の政権下でも派閥争いによる党内選挙での党首交代・首相交代劇が繰り返されています。
さいごに
最後に申し上げておきたいのは、オーストラリア人の多くは「義務投票制でなかったとしても、もちろん投票する」と言い、その理由として「自分の投じる一票が、自分の生活に影響を与えるから」だと言います。
オーストラリアでは、教育の一環として子供の頃から「人権」や「環境問題」などの社会問題に触れる機会も多く、特に「差別」の問題には敏感だと感じます。オーストラリア人は「フェア・ゴー(Fair Go)=公平」を重んじる国民なので、正しくないと思ったことには、デモ活動などを通じて積極的に意思表示をする人が多いのです。
中学生・高校生も積極的にデモ活動に参加し、そういった子供たちのアクションを学校も親たちもサポートするという体制が整っているように感じます。
日本でももっと積極的に自分たちの周りでどんなことが起こっているのか、社会がもっと豊かになるためにはどんなことができるのかなどを語るチャンスができれば、投票率は徐々に回復していくのではないでしょうか。
まとめ - 編集部より
以上、「オーストラリアの選挙制度について」でした。
日本と比べて投票率の高いオーストラリアの選挙について、また市役所に行くだけじゃない期日前投票の方法など、日本も参考にできる点が多いのではないでしょうか。
本記事を通して、オーストラリアに住む人の多くが「自分の投じる一票が、自分の生活に影響を与えるからこそ、義務投票制でなかったとしても、もちろん投票する」と考えていることもわかりました。
この視点は、オーストラリアの人々に限らず、私たちみんなが持つべき考えではないでしょうか。
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