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目指せ外交官!各国の基本的な知識をまとめました。

【目指せ!外交官】石油輸出ルートとして著名なホルムズ海峡の領海内にある「オマーン国」の基礎知識(2021年5月調査情報)

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目次

「オマーン国」ってどんな国?

「オマーン国」の正式名称はアイスランド語で「Sultanat Uman(スルタナトゥ・ウマーン)、英語では「Sultanate of Oman」です。漢字では「阿曼」と表記されます。

「オマーン国」の広さ 面積・場所について

「オマーン国」の面積は約30万9千500平方キロメートルで、日本の約85パーセントの大きさです。

「オマーン国」の場所は、アラビア半島の東端にあり、アラビア海(インド洋)とオマーン湾に面する。北西にアラブ首長国連邦(UAE)、西にサウジアラビア、南西にイエメンと隣接しています。

「オマーン国」の首都について

「オマーン国」の首都は「マスカット」で、「マスカット」は、オマーン湾にのぞむオマーン最大の港湾都市で、政治、経済、文化、教育の中心です。

「都市名」の人口は、約2万人と非常に小さく、都市圏にはスィーブ、バウシャル、ムトラなどを含み、面積は約3,800平方キロメートルです。

「オマーン国」の人口について

「オマーン国」の人口は、2020年にオマーン国立情報・統計センターが調べた時点で約448万人で、人口密度は約14.36人で174位です。

「オマーン国」の成り立ちについて

「オマーン国」は、1世紀~2世紀頃にアラブ人の移動・定住があり、7世紀にイスラムに改宗、16世紀~17世紀中はポルトガルに支配されていました。

1650年にイマーム・ヤールビ王朝によってポルトガル人が追放され、全国が統一、1749年にサイード王朝が開始、1891年に英国の保護国となり、1913年~1920年は内戦がありました。

1960年~1975年にドファール地方の反乱があり、1970年に前カブース国王が即位、2020年にカブース前国王の崩御に伴い、ハイサム国王が即位しました。

「オマーン国」の国民・宗教・言語について

「オマーン国」の国民について

「オマーン国」の人種割合は、全人口に占めるオマーン国籍の割合は、約70.6パーセント、外国人労働者は約81万6,000人を数え、約29.4パーセントを占めています。

また、大半のオマーン人は、アラビア半島に祖先を持つアラブ人ですが、現在のパキスタン南部を起源とするバローチ人や中央アジアやイランを起源とするアジャム人のほか、東アフリカにルーツを持つ人もいます。


主な外国人労働者の内訳は、インド人が約46万5,660人を数えるほか、バングラデシュ人が約10万7,125人、パキスタン人が約84,658人です。

家政婦として働くインドネシアやフィリピンから来た東南アジア人女性も多く、外国籍のアラブ人は、約6万8,986人です。

「オマーン国」の宗教について

「オマーン国」の国家宗教は、およそ四分の三がイスラム教のイバード派で、四分の一がスンナ派に属し、外国人労働者の間では、ヒンドゥー教やキリスト教が信仰されています。

なお、宗教のほか人種や性別による差別は、法によって禁じられています。

「オマーン国」の言語について

「オマーン国」の公用語は、アラビア語で、バローチ語や南アラビア諸語のシャフラ語も広く使われています。

このほか、スワヒリ語や外国人労働者の言語(ヒンディー語、シンド語、ウルドゥー語、タミル語、タガログ語)なども使用され、イギリス植民地であったことから英語は広く使われています。

なお、アラビア語の口語(アーンミーヤ)は、オマーン方言、ドファール方言、シフフ方言、湾岸方言などが使用されています。

「オマーン国」の経済状況について

「オマーン国」の通貨は、オマーン・リアルで、GDPは約793億で、世界73位です。そして、一人当たりのGDPは約14,215.58ドルで、世界53位です。

「オマーン国」の貿易について

「オマーン国」の貿易相手は主に、輸出が中国、韓国、日本、インド、アラブ首長国連邦で、輸入がアラブ首長国連邦、中国、インド、ブラジル、サウジアラビアとなっています。

「オマーン国」の主な輸出品目は、石油・天然ガス、メタノール、尿素で、輸入品目は、鉄鉱石、鋼鉄管、携帯電話です。

「オマーン国」の政治・政策について

政治体制について

「オマーン国」は、君主制で、国王が首相・国防省を兼任しています。

議会は、1981年に国家諮問評議会が創設され、1991年に選挙制によって諮問議会に移行されました。

1997年に勅撰の国家評議会が設置されて、二院制となり、2011年に国家基本法が改正され、両議会に立法権及び監査権が付与され、男女ともに参政権があります。

内政の経緯としては、1970年の宮廷革命によって即位した前カブース国王が、前国王の鎖国政策の転換を図り、1971年に国連加盟を締結し、石油収入を基盤とした経済建設、国内宥和を推進し、国王は諮問議会設置や毎年の地方巡幸を通じて民心の掌握に努めてきました。

1996年に憲法に相当する国家基本法が制定、2010年12月以降の中東・北アフリカ情勢の変化等の影響によって、2011年2月以降は、各地で労働環境の改善等を求めるデモやストライキが発生し、国王は政治改革や社会サービスの向上を発表しました。


2011年10月に国家基本法が改正、議会に立法権および監査権が付与、2020年1月に50年にわたってオマーンを統治していたカブース国王が崩御し、翌11日にハイサム殿下が王位を継承し、2020年8月に内閣改造・省庁統廃合が実施されました。

「オマーン国」の元首・首相・国防省・外相について

「オマーン国」の元首について

「オマーン国」の元首は、ハイサム・ビン・ターリク・アル・サイード国王陛下です。

「オマーン国」の首相について

「オマーン国」では、国王が首相・国防省を兼任しています。

ちなみに、閣僚評議会担当副首相は、ファバド・ビン・マフムード・アル・サイードで、国防担当副首相は、シハーブ・ビン・ターリク・アル・サイードです。

「オマーン国」の外相について

「オマーン国」の外相は、バドル・アル・ブサイディです。

「オマーン国」の国防・軍事制度・兵役について

「オマーン国」は、非同盟中立、全方位・善隣外交で、米、英、GCC諸国との関係を重視しています。

中東和平の実現および隣国のイエメン情勢では、政治的な解決へ向けて尽力しています。

軍事力は、2019年の予算は約90億ドル、兵役は志願制です。

兵力は、約4万2,600人で、その内訳は、国王親衛隊が約6,400人、陸軍が約2万5,000人、海軍が約4,200人、空軍が約5,000人、その他が約2,000人です。

「オマーン国」と「日本」の関係は?

「オマーン国」と「日本」の関係は、日本の援助実績は、2010年度現在、無償資金協力は約10.69億円、技術協力実績は、約140.05億円です。

政治関係は、1971年にオマーンを国家として承認、1972年5月に外交関係が設定、1980年に大使館が設置、1983年に本任大使が着任、オマーンでは1979年に在京大使館が開設されました。

2011年3月の東日本大震災に際しては、日本に対するLNGの追加供給や1000万米ドル(約8億円)の義援金を提供、2014年1月に「日本とオマーン国との間の安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」等が発出されましたた。

経済関係は、2019年現在、日本の輸入が約2,981億円、日本の輸出は2,307億円で、主要輸出品目は、石油、天然ガス、石、砂等の粗鉱物、主要輸入品目は、自動車、鋼鉄管、機械、自動車部品です。

在留邦人数は、2020年現在で、約121人です。

まとめ

以上、国特集「オマーン国」でした。

ちなみに、「オマーン国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「82位」でした。

FIFAデータ

https://fifaranking.net/ranking/

本記事は、2022年10月31日時点調査または公開された情報です。
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この記事を書いた人

2021年に公務員総合研究所に入所した新人研究員。

好きな言葉は、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」

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