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【目指せ!外交官】国土が日本の約5倍である「スーダン共和国」の基礎知識(2021年6月調査情報)

世界の国特集、今回紹介するのは、北東アフリカに位置する共和制国家「スーダン共和国」です。

「スーダン共和国」は、北がエジプト、西北がリビア、西にチャドと中央アフリカ、南に南スーダン、南東をエチオピア、東はエリトリアと国境を接している国です。

外交官になるなら押さえておきたい国の基本知識です。


「スーダン共和国」ってどんな国?

「スーダン共和国」の正式名称はアラビア語で「جمهورية السودان」、英語では「Republic of the Sudan」です。漢字では「南蘇丹」と表記されます。

「スーダン共和国」の広さ 面積・場所について

「スーダン共和国」の面積は約188万平方キロメートルで、日本の約5倍の大きさです。

「スーダン共和国」の場所は、北東アフリカにあり、北がエジプト、西北がリビア、西にチャドと中央アフリカ、南に南スーダン、南東をエチオピア、東はエリトリアと国境を接しており、東側は紅海に面し、その対岸側にはサウジアラビアがあります。

「スーダン共和国」の首都について

「スーダン共和国」の首都は「ハルツーム」で、「ハルツーム」は、ウガンダから流れる白ナイルと、エチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸に位置しています。

「ハルツーム」の人口は、2000年時点で約273万人です。

「スーダン共和国」の人口について

「スーダン共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約4,281万人であり、人口密度は、約23.82人で、第156位です。

「スーダン共和国」の成り立ちについて

「スーダン共和国」は、16世紀頃にフンジ・スルタン国が栄え、17世紀頃にフール・スルタン国が栄え、19世紀頃にオスマン・トルコ帝国支配下のエジプトの侵攻を受け、北部スーダンが支配下に組み込まれました。

1881年~1898年に「マハディ(救世主)」と称するスーダン人指導者ムハンマド・アフマドが武装蜂起してマハディ国家が建設されましたが、英国によって鎮圧され、1899年より、英国・エジプト共同統治が開始、1922年から南部スーダンが封鎖されました。

1955年8月に南部スーダンの自治・独立を求めて、軍将校と警察の一部の武装蜂起により第一次内戦が勃発し、1956年1月にスーダン共和国が独立、1958年11月に軍事クーデタによりイブラヒム・アッブードゥ軍事政権が成立しました。

1965年4月に総選挙によりウンマ党・国民統一党連立内閣が成立、1969年5月に軍事クーデタによりガファール・ニメイリ軍事政権が成立、「スーダン民主共和国」に改称、1972年2月にアディスアベバ和平成立、第一次内戦が終結しました。

1983年1月にジョン・ギャラン国軍大佐率いるスーダン人民解放運動・軍が、南部スーダンの自治獲得を目指してスーダン国軍を攻撃、第二次内戦が勃発、1985年4月にスワール・ダッハーブ国防相による軍事政権が成立しました。


1985年12月に国名が「スーダン共和国」に改称、1986年5月に民政移管によりサーディク・マハディ政権が発足、1989年6月に軍事クーデタによりオマル・バシール軍事政権が成立しました。

1993年10月にバシール中将が大統領に就任、1996年3月に総選挙が実施、バシール大統領が再任、2000年12月に大統領選挙が実施、バシール大統領に再選、2002年7月にマチャコス議定書が締結されました。

2003年にダルフール地方で武装勢力の活動が活発化、2004年7月にアフリカ連合(AU)が停戦監視等のための部隊(AMIS)派遣が決定、2005年1月に南北包括和平合意(CPA)が成立、バシール大統領が南北統一政府大統領に就任しました。

2005年4月に国連安保理が国連スーダン・ミッション(UNMIS)を設立する決議第1590号が採択、2005年7月に南北両勢力による国民統一政府成立、ギャラン第一副大統領兼南部スーダン大統領が就任しました。

2006年5月にダルフール和平合意(DPA)に署名、2006年10月に東部スーダン和平合意(ESPA)に署名、2008年1月にダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID)がAMISより指揮権を引継ぎました。

2009年3月に国際刑事裁判所(ICC)がバシール大統領に対する逮捕状が発布、2010年2月にスーダン政府がドーハにて一部ダルフール反政府勢力と即時停戦等に署名、2010年4月に総選挙が実施、バシール大統領が再選、キール南部政府大統領が当選しました。

2011年1月に南部スーダン住民投票が実施、南部スーダンの独立が決定、2011年5月にスーダン国軍がアビエ地域を占拠、2011年6月に南部2州で武装勢力の活動が活発化しました。

2011年7月に国連安保理でアビエ暫定治安部隊(UNISFA)を設立する決議第1990号および国連南スーダンミッション(UNMISS)を設立する決議第1996号が採択され、南部スーダンが南スーダン共和国として分離独立しました。

2011年7月にダルフール和平に関するドーハ合意文書(DDPD)に署名、2012年9月に南北両国政府が二国間の未解決課題に関する包括的な9つの合意文書に署名、2013年3月に南北両国政府が、2012年9月協力合意の履行マトリクスに署名しました。

2015年4月に総選挙が実施、バシール大統領が再選、2015年10月に国民対話が開始、2017年3月にサーレハ第一副大統領が首相を兼任、内閣が改造、2018年9月に内閣改造・省庁統廃合、ムウタズ・ムーサ水資源・灌漑・電力相が首相に就任しました。

2019年2月にバシール大統領が非常事態宣言が発出、2019年4月にバシール大統領が解任され、暫定軍事評議会が発足、2019年8月 暫定軍事評議会(TMC)と「自由と変化宣言」勢力(DFC)が「政治合意」と「憲法宣言」文書に正式署名、ハムドゥーク新首相が就任しました。

2019年9月にハムドゥーク新首相が新暫定政府が設立、2020年6月に国連スーダン統合移行支援ミッション(UNITAMS)の設立が採択されました。

2020年10月に南スーダンの首都ジュバで、暫定政府とSRFとの間で8月の和平協定に関する最終合意が署名、2020年10月にトランプ米大統領がスーダンをテロ支援国家リスト(SSTL)から除外する意向が表明されました。

「スーダン共和国」の国民・宗教・言語について

「スーダン共和国」の国民について

「スーダン共和国」の人種割合は、北部のナイル・サハラ語族ヌビア諸語を話すヌビア人、中部のヌバ山地のニジェール・コンゴ語族コルドファン語派を話すヌバ族や南部のカドゥ諸語を話す民族など非アラブ黒人が約52パーセントです。

また、北部を中心にアラブ化した黒人や黒人との混血を含む「アラブ系」が総人口の約39パーセント、東部のアフロ・アジア語族クシ語派ベジャ語を話すベジャ人が約6パーセント、外国人が約2パーセント、その他が約1パーセントとなっています。


なお、ダルフールの北部にはザガワ族が、中部にフール人が、南部にバッガーラ族が居住しています。

「スーダン共和国」の宗教について

「スーダン共和国」の国家宗教は、スンナ派を中心とするイスラム教が約70パーセント、南部非アラブ人を中心にアニミズムなどの伝統宗教が約18パーセント、キリスト教が約5パーセントで、北部に20万人程のコプト教徒がいます。

キリスト教徒の多い南スーダンの分離独立に伴い、相対的にスーダンにおける非イスラム教徒比率は下がり、現在はスーダンにおけるイスラム教徒比率は、周辺の北アフリカ諸国同様、絶対多数派です。

現在は北部のコプト教徒、コルドファン丘陵地域のいくつかの伝統宗教やキリスト教を信仰する民族グループを除き、国民の大多数がイスラム教徒となっています。

南スーダンが独立したことで、キリスト教徒への迫害が強まっており、スーダン国内のキリスト教徒は市民権を失った状態にあります。

「スーダン共和国」の言語について

「スーダン共和国」の公用語は、アラビア語(スーダン方言)と英語で、ヌビア語など非アラブ民族語も広く話されています。

「スーダン共和国」の経済状況について

「スーダン共和国」の通貨はスーダン・ポンドで、GDPは約189億米ドルで、世界96位です。そして、一人当たりのGDPは約775.04米ドルで、世界177位です。

「スーダン共和国」の貿易について

「スーダン共和国」の貿易相手は主に、輸出は、中国、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、インド、エジプトで、輸入は、中国、ヨルダン、インド、エジプト、アラブ首長国連邦となっています。

「スーダン共和国」の主な輸出品目は、輸出が、石油、食用油、金、家畜(羊) などで、輸入品目は、航空機部品、さとうきび、医薬品、トラクター、小麦粉などです。

「スーダン共和国」の政治・政策について

政治体制について

「スーダン共和国」は、共和制で、議会は立法評議会の設立を準備中です。

「スーダン共和国」の元首・首相について

「スーダン共和国」の元首について

「スーダン共和国」の元首は、アブドゥルファッターフ・ブルハン・アブドゥルラフマーン・ブルハン主権評議会議長です。

「スーダン共和国」の首相・外相について

「スーダン共和国」の首相は、アブダッラー・ハムドゥークで、外相は空席です。

「スーダン共和国」の国防・軍事制度・兵役について

「スーダン共和国」は、アラブ・アフリカ諸国との友好関係の維持を外交の基盤とし、非同盟・内政不干渉、アラブ・イスラム諸国との連帯、善隣、相互協力が主要原則となっています。

2019年の新暫定政府の設立、ダルフール情勢改善等を踏まえ、欧米諸国との関係も改善傾向にあります。

また、2020年10月にはトランプ米大統領がスーダンをテロ支援国家リスト(SSTL)から除外する意向を表明したほか、トランプ大統領、ネタニヤフ・イスラエル首相、ブルハン主権評議会議長およびハムドゥーク首相による電話会談が行われ、スーダンとイスラエルとの国交正常化を発表するなど、スーダンと国際社会の関係は急激に改善されつつあります。

軍事力は、2018年現在、国防費は不明、兵役は18~30歳を対象とする徴兵制で、任期は2年間です。

兵力は、陸軍が約10万人、海軍が約1,300人、空軍が約3,000人となっています。

「スーダン共和国」と「日本」の関係は?

「スーダン共和国」と「日本」の政治関係は、日本のスーダン承認は、1956年1月6日で、公館設置は、日本側の公使館設置は在エジプト大使兼任で1957年2月、大使館昇格は1961年4月です。

「スーダン共和国」は、大使館の設置が1961年9月、大使館の閉館が1970年2月、大使館の再開が1973年8月です。


経済関係は、対日貿易においては、2017年現在、品目は、輸出が原油などで、輸入がバス・トラック、乗用車、タイヤなどで、貿易額は、輸出が約28.19億円、輸入 が約53.92億円、進出企業が3社です。

文化関係は、留学生交流は、これまでスーダン人学生80名以上が日本に留学した実勢があり、学術交流は、京都大学とハルツーム大学、神戸大学農学部とゲジーラ大学農業科学部、鳥取大学とスーダン農業研究機構などがあります。

スポーツ交流は、2014年11月、2015年2月に日本のレスリング専門家がスーダン人レスリング選手を指導したことがあります。

在留邦人数は、2017年10月現在で134名、在留当該国人数は、2017年12月現在で230名です。

まとめ

以上、国特集「スーダン共和国」でした。

ちなみに、「スーダン共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「127位」でした。

本記事は、2023年1月15日時点調査または公開された情報です。
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