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【目指せ!外交官】エルベイ諸島からなる共和制国家「赤道ギニア共和国」の基礎知識(2021年6月調査情報)

世界の国特集、今回紹介するのは、エルベイ諸島からなる共和制国家である「赤道ギニア共和国」です。

「赤道ギニア共和国」は、リオ・ムニは北にカメルーン、南と東にガボンに隣接している国です。

外交官になるなら押さえておきたい国の基本知識です。


「赤道ギニア共和国」ってどんな国?

「赤道ギニア共和国」の正式名称は、スペイン語で「República de Guinea Ecuatorial」、フランス語で「République de Guinée Équatoriale」、ポルトガル語で「República da Guiné Equatorial」英語では「Republic of Equatorial Guinea」です。漢字では「赤道幾内亞」と表記し、その他「赤幾、赤道畿内亞」などとも表記されます。

「赤道ギニア共和国」の広さ 面積・場所について

「赤道ギニア共和国」の面積は、約2万8,051平方キロメートルで、四国の約1.5倍の大きさです。

「赤道ギニア共和国」の場所は、カメルーンの西56キロメートル、リオ・ムニの北西約259キロメートルにあります。

この「赤道ギニア共和国」は、ギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島および大陸部のリオ・ムニとエロベイ・グランデ島およびエロベイ・チコ島を併せたエロベイ諸島によって構成されています。

「赤道ギニア共和国」の首都について

「赤道ギニア共和国」の首都は「マラボ」で、「マラボ」は、ギニア湾に浮かぶビオコ島の北部沿岸部に位置します。

「マラボ」の人口は、2012年時点で約18万人です。

「赤道ギニア共和国」の人口について

「赤道ギニア共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約135.6万人であり、人口密度は、約50.12人で、第127位です。

「赤道ギニア共和国」の成り立ちについて

「赤道ギニア共和国」は、1968年10月にスペインから独立、1972年7月にマシアス・ンゲマ終身大統領が就任、1979年8月にオビアン・ンゲマ政権が成立しました。

1982年8月に軍政から民政へ移行、新憲法のもとオビアン・ンゲマ氏が大統領に就任、1989年6月に初の大統領選挙によりオビアン・ンゲマ大統領が選出、1993年11月に複数政党制下で初の国民議会選挙が実施されました。

1996年2月にオビアン・ンゲマ大統領が再選、2002年12月にオビアン・ンゲマ大統領が三選、2004年3月にクーデター未遂事件が発生、2009年2月に大統領府襲撃事件が発生しました。

2009年12月にオビアン・ンゲマ大統領が四選、2016年4月にオビアン・ンゲマ大統領が五選されました。


「赤道ギニア共和国」の国民・宗教・言語について

「赤道ギニア共和国」の国民について

「赤道ギニア共和国」の人種割合は、ほとんどがバントゥー系で、一番多いのは大陸リオ・ムニのファン人で総人口の約57パーセントを占めています。

同じくバントゥー系のブビ人は、約10パーセントで2番目に多く、ビオコ島に住み、ビオコ島の住民のほとんどはブビ人だが、少数ではあるもののフェルナンディノと呼ばれるクレオール(ムラート)やヨーロッパ人もいます。

バントゥー系は、ほかにンドウェ族、コンベ族、ブジェバ族、バレング族、ベンガ族、ベティ族がおり、イボ系は、アロ人です。

「赤道ギニア共和国」の宗教について

「赤道ギニア共和国」の国家宗教は、宗教は大部分がキリスト教で、中でもローマ・カトリックが最も多く、人口の約79.9パーセントを占めています。

「赤道ギニア共和国」の言語について

「赤道ギニア共和国」の公用語は、スペイン語で、第二公用語としてフランス語も導入されています。

また、現地語であるファン語やブビ語が主要言語で、ポルトガル語諸国共同体にもオブザーバーとして参加していることから、ポルトガル語も第三公用語として使用されています。

現地語は、上記2言語のほか、ンドウェ語、コンベ語、ブジェバ語、バレング語、ベンガ語、バセケ語、ベティ語があります。

「赤道ギニア共和国」の経済状況について

「赤道ギニア共和国」の通貨はCFAフランで、GDPは約110.3億米ドルで、世界144位です。そして、一人当たりのGDPは約6,772.73ドルで、世界86位です。

「赤道ギニア共和国」の貿易について

「赤道ギニア共和国」の貿易相手は主に、輸出が、中国、インド、スペイン、米国で、輸入が、米国、スペイン、中国、イタリアとなっています。

「赤道ギニア共和国」の主な輸出品目は、輸出が、石油製品、化学品、木材、機械類で、輸入が、機械類、飲料品、電子機器、鉄鋼製品です。

「赤道ギニア共和国」の政治・政策について

政治体制について

「赤道ギニア共和国」は、共和制で、議会は二院制で、国民議会は100議席で任期は5年、上院は70議席で任期は5年です。

「赤道ギニア共和国」の政策

「赤道ギニア共和国」は、1979年に叔父であるマシアス・ンゲマ大統領政権をクーデターで倒したオビアン・ンゲマ大統領による長期政権が続いています。

1991年以降は複数政党による選挙が実施されましたが、実質的には与党PDGEの独裁政権が続いています。

2002年および2004年にクーデター未遂事件が発生したほか、2009年2月にも武装集団が大統領府を襲撃する事件が発生するなど、不安定要素も見受けられますが、同年11月大統領選挙が平穏に実施され、オビアン・ンゲマ大統領が四選されました。

2011年11月、大統領の三選禁止、副大統領職の設置、上院の設置等を定める改正憲法案が国民投票で可決され、同改正憲法は翌年2月に公布され、2016年4月の大統領選挙において、ンゲマ大統領が五選されました。


「赤道ギニア共和国」の元首・副大統領・首相・外相について

「赤道ギニア共和国」の元首について

「赤道ギニア共和国」の元首は、テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領です。

「赤道ギニア共和国」の副大統領・首相・外相について

「赤道ギニア共和国」の副大統領は、テオドロ・ンゲマ・オビアン・マングで、首相は、フランシスコ・パスクアル・オバマ・アスエ、外相は、シメオン・オヨノ・エソノ・アンゲです。

「赤道ギニア共和国」の国防・軍事制度・兵役について

「赤道ギニア共和国」は、 善隣外交を基本に、主要国との関係強化に努める現実路線で、人権抑圧問題により悪化していたスペインとの関係も改善されつつありましたたが、2004年のクーデター未遂事件等により関係が再び冷却化しています。

米は1995年に閉鎖した在赤ギ米国大使館を2003年10月に再開され、2009年にスペインとの間で投資促進を目的とした新協力協定に署名、同年8月には米国とギニア湾の安全を協議する等、米国や旧宗主国スペインとの関係改善が進んでいます。

また、1985年にフラン圏に加入、1997年に仏語を第二公用語とする等、仏との関係も緊密化ししており、隣国ガボンとの間で領土問題(国境付近のンバニエ島等)を巡り緊張状態でしたたが、2011年2月には国連の仲介の下に協議が行われ、この問題を国際司法裁判所に付託することで合意しました。

2010年4月に中部アフリカ経済通貨共同体(CEMAC)の議会がマラボに設置されたこともあり、CEMAC及び中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS・CEEAC)加盟国内での影響力が増大しています。

また、2011年アフリカ連合(AU)議長国を務め、同年6月には赤道ギニアで初めてAU総会が開催されました。

軍事力は、軍事支出は、2015年現在、推定で約700万ドル、兵役は志願制、兵力は、約1,450人で、その内訳は、陸軍が約1,100人、海軍が約250人、空軍が約100人です。

「赤道ギニア共和国」と「日本」の関係は?

「赤道ギニア共和国」と「日本」の政治関係は、1968年11月に日本は赤道ギニアを国家承認し、1980年10月に外交関係が樹立、1981年4月に我が方大使館が開設され、在ガボン大兼轄となりました。

1982年1月に赤道ギニア大使館が開設、2006年10月のオビアン・ンゲマ大統領訪日(実務訪問賓客)および2016年8月の第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)の機会に、日・赤道ギニア首脳会談が実施されました。

経済関係は、対日貿易において、2019年現在、輸出は約36億4,702万円、輸入は約3,980万円、主要貿易品目は、2019年現在、輸出は天然ガス、アルミニウムなど、輸入は、医薬品・機械類などとなっています。

在留邦人数は、2021年4月現在で11人、在日当該国人数は、2020年6月現在で5人です。

まとめ

以上、国特集「赤道ギニア共和国」でした。

ちなみに、「赤道ギニア共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「132位」でした。

本記事は、2023年1月27日時点調査または公開された情報です。
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