「東ティモール民主共和国」ってどんな国?
「東ティモール民主共和国」の正式名称はテトゥン語で「Republika Demokratika Timor Lorosa’e( レプブリカ・デモクラティカ・ティモール・ロロサエ)」、ポルトガル語では、「República Democrática de Timor-Leste(レプーブリカ・デモクラーティカ・ド・ティモール・レスト)」、英語では「Democratic Republic of Timor-Leste」です。漢字では「東帝汶」と表記されます。
「東ティモール民主共和国」の広さ 面積・場所について
「東ティモール民主共和国」の面積は約1万4,900平方キロメートルで、東京、千葉、埼玉、神奈川の首都4都県の合計面積とほぼ同じ面積です。
「東ティモール民主共和国」の場所は、東南アジアの環太平洋火山帯(環太平洋造山帯)の一部である小スンダ列島に属するティモール島の東部にあり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成される島国で、南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアが、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州があります。
「東ティモール民主共和国」の首都について
「東ティモール民主共和国」の首都は「ディリ」で、「ディリ」は首都としては、ティモール島の北東部に位置し、座標は、南緯8度34分、東経125度34分です。
「ディリ」の人口は、2002年現在、約15万人です。
「東ティモール民主共和国」の人口について
「東ティモール民主共和国」の人口は、東ティモール財務省が2018年に調べた時点で約126.1万人(推定値)であり、人口密度は、約88.61人で、第91位です。
「東ティモール民主共和国」の成り立ちについて
「東ティモール民主共和国」は、16世紀以前にはリウライ(王)が割拠し、王国が乱立、16世紀前半にはポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服、17世紀半ばにはオランダ、西ティモールを占領、1701年にポルトガルがティモール全島を領有しました。
1859年にリスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割、1942年に日本軍がティモール全島を占領、1945年に第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復、西ティモールはインドネシアの一部として独立しました。
1974年にポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まり、1975年に独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化し、フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍によって東ティモールが侵攻・制圧されました。
1976年にインドネシア政府によって、東ティモールを第27番目の州としての併合が宣言、1991年11月にサンタクルス事件が勃発、1998年5月にスハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領に就任、インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換しました。
1999年に6月11日、国連安保理によって国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立が決定、8月30日に独立についての住民投票が実施されましたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化し、UNAMETは撤退しました。
これを受けて、9月15日、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定、10月25日、国連安保理によって国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立が決定され、国連が東ティモールを統治することとなり、セルジオ・デ・メロ氏が代表に就任しました。
2002年4月14日に大統領選挙が実施、グスマン氏が当選、5月17日に国連安保理によってUNTAETにかえて国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立が決定、5月20日、東ティモール民主共和国独立が回復、アルカティリ氏が初代首相に就任しました。
2005年4月28日に国連安保理によってPKOミッションが終了され、国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立が決定、2006年に西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化しました。
15万人に上る住民が国内避難し、この責任を取って、アルカティリ首相が辞任、後任としてラモス=ホルタ氏が首相に就任しました。
政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアによって国際治安部隊が派遣、国連安保理によってPKOミッションである国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立が決定されました。
2007年4月9日に、大統領選挙が実施、大統領選挙決選投票の結果、ラモス=ホルタ前首相が当選、6月30日に国民議会議員選挙が実施、グスマン前大統領が首相に就任しました。
2008年2月11日に、ラモス=ホルタ大統領およびグスマン首相襲撃事件が発生、ラモス=ホルタ大統領、重傷を負、2月12日に非常事態宣言が発出、5月8日に非常事態宣言が解除されました。
2009年5月にUNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲が開始、2011年3月に全13県で移譲が完了、2010年4月7日に国づくりの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要が発表されました。
2011年8月20日に政府によって東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典が実施、2012年3月17日に、大統領選挙が実施、4月16日に大統領選挙決選投票が実施、ルアク前国軍司令官が当選しました。
5月20日に独立10周年記念式典および大統領就任式典が開催、7月7日に国民議会選挙が実施、グスマン首相の続投が確定されました。
8月8日に第5次立憲政府が発足、12月31日にマンデートの終了により、UNMITの任期が満了、PKOミッションが終了、2014年7月23日にディリにてポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)サミットが開催されました。
2015年2月5日にグスマン首相がルアク大統領に辞表を提出、2月9日にルアク大統領がグスマン首相の辞表を受理し、これを正式に発表、2月11日に大統領府によって第6次立憲政府閣僚名簿が発表されました。
2月16日に就任式にて、アラウジョ新首相率いる第6次立憲政府が発足、グスマン前首相は、指導大臣兼計画・戦略投資大臣として内閣に残留、2017年3月20日に大統領選挙が実施、ル・オロ東ティモール独立革命戦線(フレテリン)党首が当選しました。
5月20日に独立15周年記念式典および大統領就任式が開催、7月22日に国民議会議員選挙実施、フレテリンが第一党となり、9月15日にアルカティリ新首相率いる第7次立憲政府が発足、2018年1月26日にル・オロ大統領によって国民議会解散が発表されました。
5月12日に国民議会議員選挙が実施され、東ティモール再建国民評議会(CNRT)、国民解放党(PLP)、東ティモールの尊厳と繁栄を希求する政治団体(KHUNTO)の3党が連合を組んだAMPが過半数を占めました。
6月22日にルアク新首相(PLP党首)率いる第8次立憲政府が発足、2020年1月17日に国民議会における2020年度予算案審議に際して、政権与党AMP内の分断により同案が否決されたことを契機に、各政党間で新たな合従連衡が模索されました。
その結果、5月29日までにフレテリン、PLP、KHUNTO、民主党(PD)の4党からなる新たな国民議会多数派を基盤に第8次立憲政府が運営される体制が確立され、同日および6月24日に同体制に基づく内閣改造が行われました。
「東ティモール民主共和国」の国民・宗教・言語について
「東ティモール民主共和国」の国民について
「東ティモール民主共和国」の人種割合は、メラネシア人が大部分で、そのほかに客家である華僑、インド系移民の印僑、ポルトガル人とメラネシア人の混血であるハーフカスト、ごく少数のカーボベルデなどアフリカ系の移民などが存在します。
「東ティモール民主共和国」の宗教について
「東ティモール民主共和国」の国家宗教は、キリスト教の信徒が国民の約99.パーセントを占め、アジアではフィリピンと並びキリスト教信仰が盛んな国です。
キリスト教徒の大半は、ローマ・カトリックに属し、それ以外はプロテスタント諸派に属しています。
キリスト教以外の宗教の信徒の構成比は、イスラム教が約0.7パーセント、その他ヒンドゥー教、仏教、アニミズムなどとなっています。
インドネシア統治時代の1992年推計ではイスラム教徒が人口の約4パーセントを占めていたとされていますが、独立によりインドネシア政府の公務員などが東ティモールから退去し、イスラム教徒の比率は大幅に低下する一方、独立運動を精神面で支え続けたカトリック教会への信頼が高まりました。
「東ティモール民主共和国」の言語について
「東ティモール民主共和国」の公用語は、テトゥン語とポルトガル語で、現在は、マカサエ語やファタルク語などのパプア諸語とテトゥン語やマンバイ語などのオーストロネシア語族によって使用されています。
そのほか、インドネシア統治期に教育を受けた1960年代~1980年代半ばにかけて生まれた世代の国民を中心にインドネシア語が使用され、独立後は世代間で使用できる言語が異なっていることが問題となっています。
「東ティモール民主共和国」の経済状況について
「東ティモール民主共和国」の通貨は、米ドルで、GDPは約1,888億米ドル(推定値)で、世界169位です。そして、一人当たりのGDPは約1,358.73米ドルで、世界158位です。
「東ティモール民主共和国」の貿易について
「東ティモール民主共和国」の貿易相手は主に、輸出がインドネシア、香港、シンガポール、中国、ベトナムで、輸出が米国、カナダ、インドネシア、ドイツ、中国となっています。
「東ティモール民主共和国」の主な輸出品目は、鉱物性燃料、自動車及び部品、電気機器、穀物、機械類で、輸出品目は、コーヒーです。
「東ティモール民主共和国」の政治・政策について
政治体制について
「東ティモール民主共和国」は、共和制で、議会は一院制、議席数は65、任期は5年です。
「東ティモール民主共和国」の政策
「東ティモール民主共和国」は、2017年7月、第三回目の国民議会議員選挙が実施され、9月15日、マリ・アルカティリ新首相率いる第7次立憲政府が発足されましたが、フレテリンとPDによる少数与党政権であり予算案が通らないなど、政権・議会運営に行きづまりを見せました。
このため、2018年1月26日にル・オロ大統領は、国民議会の解散を発表しました。
同年5月12日の国民議会選挙の結果CNRT、PLP、KHUNTOによる野党連合であるAMPが過半数を獲得し、6月22日にタウル・マタン・ルアク前大統領(PLP党首)を新首相とする第8次立憲政府が発足されました。
しかしながら、財務大臣、観光・商工業大臣、内務大臣等の閣僚候補9名の任命を大統領が拒否し、組閣が完了しない状態が続くなど、大統領と政権与党AMPの間で対立が生じ、国政が停滞しました。
2020年1月17日に、国民議会における2020年度予算案審議に際して、AMP内の分断により同案が否決されたことを契機に、各政党間で新たな合従連衡が模索されました。
その結果、5月29日までに、フレテリン、PLP、KHUNTO、民主党(PD)の4党からなる新たな国民議会多数派により第8次立憲政府を支える体制が確立され、同日および6月24日に同体制に基づく内閣改造が行われました。
「東ティモール民主共和国」の元首・首相・外相について
「東ティモール民主共和国」の元首について
「東ティモール民主共和国」の元首は、フランシスコ・グテレス・ル・オロ大統領です。
「東ティモール民主共和国」の首相・外相について
「東ティモール民主共和国」の首相は、タウル・マタン・ルアクで、外相は、アダルジザ・アルベルティナ・シャビエル・レイス・マグノです。
「東ティモール民主共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「東ティモール民主共和国」は、ポルトガル語を公用語とする諸国との特別な友好関係を維持しています。
また、隣国および域内諸国との特別な友好・協力関係を維持しており、2005年7月、ASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟し、2007年1月東南アジア友好協力条約(TAC)に署名しています。
2011年3月、ASEAN加盟を正式に申請し、2021年現在、東ティモールは早期のASEAN正式加盟を目指して取組を続けています。
軍事力は、予算は、2018年現在、約2,061万ドル、兵役は志願制、兵力は、2000年9月、東ティモール暫定内閣は、5年以内に1500名の正規兵および1500名の予備役からなる東ティモール国軍の創設を決定しました。
2001年10月、第1大隊が設立、2004年までに、1200名が就役しましたが、国軍によって、2006年2月、待遇に不満を持ち離脱した兵士約600名を除隊処分されました。
現在、陸軍新兵雇用、海軍装備・兵員の増強、将来の空軍創設に向けた要員育成等を中心に、国軍の発展に努めています。
2011年10月、ルアク国軍司令官(少将)が退役し、レレ副司令官(准将)が新司令官に就任、レレ司令官の任期は2018年10月まででしたが、2020年10月まで延長されました。
「東ティモール民主共和国」と「日本」の関係は?
「東ティモール民主共和国」と「日本」は、経済協力実績として、円借款が約53億円、無償資金協力が2002年度~2017年度において約325億円、技術協力は、約132億円です。
主要援助国・機関としては、日本は第2位の実績があります。
そのほか、独立した2002年以降の支援として、2002年3月から2004年6月まで、自衛隊施設部隊延べ2,287名が国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)および国連東ティモール支援団(UNMISET)に派遣されました。
2007年1月から2008年2月まで、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、文民警察要員延べ4名を派遣、2010年9月から2012年9月まで国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、軍事連絡要員として自衛官(延べ8名)が派遣されました。
2012年3月の大統領選挙、4月の同選挙決選投票および7月の国民議会選挙に日本の選挙監視団(延べ24名)が監視活動に参加、2012年から、陸上自衛隊が東ティモール国軍に対して、能力構築支援事業の一環として、自動車整備士養成教育が実施されました。
2010年から防衛大学校に東ティモール国軍からの留学生受け入れが開始、2019年4月末までに23名が入校し、10名が卒業、2017年5月の国民議会選挙に選挙監視団(延べ5名)が派遣されました。
このように、これまでの国づくりに対する支援や活発な要人往来を基に友好関係を維持しており、独立回復した2002年5月20日、日本は東ティモールを国家承認し、外交関係が樹立しました。
同日、首都ディリに大使館が開設、2004年1月に在東ティモール大使館は実館となりました。
ちなみに、2012年に周年事業「日本・東ティモール外交関係樹立10周年記念平和年(友情と平和の年)」も実施されました。
在留邦人数は、2020年6月17日現在、61名です。
まとめ
以上、国特集「東ティモール民主共和国」でした。
ちなみに、「東ティモール民主共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「196位」でした。
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