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【日本を支える消防官の歩み】痛みを乗り越え、進化した「消防の歴史」

小さな島国にも関わらず、年間を通じて多くの自然災害が襲ってくるのが日本です。当然、自然災害だけでなく火災や事故への対応もしなければいけません。わが国では、多くの災害を教訓に消防の組織の改革が行われてきました。今日は日本の「消防の歴史」ついて解説します。

2017年10月16日更新

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目次
江戸時代から始まった「火消し」の歴史
近年の災害における消防組織改革の流れ 昭和編
近年の災害における消防組織改革の流れ 平成編
消防組織全ての改革に繋がった東日本大震災
まとめ
【日本を支える消防官の歩み】痛みを乗り越え、進化した「消防の歴史」

江戸時代から始まった「火消し」の歴史

火事が多かった江戸時代の火消し

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があります。この名の通り、江戸時代には多くの火災が発生しました。

江戸の町は、長屋などの集合住宅が密集していた事、日本全国でも人口が集中していた事などが理由で火事が多発したと言われています。当時は、町人で組織されている「町火消し」が消火活動を行う組織の中心でした。また、現在の様に大型のポンプ車や水をくみ上げるホースがあった訳ではありませんので、消火をするのではなく、火元の周辺の建物を壊して火災の延焼を防ぎ、自然鎮火を待つ「破壊消防」が採用されていました。

これら日本で初めての消防組織である江戸の火消したちは、今後の甚大な火災によって消化方法や組織が見直される事になります。

明暦の大火から始まった幕府の消防組織

江戸時代には火事が多発していたものの、最初は町人が自治的な目的で組織している町火消が中心となっていました。

ところが、明暦3年(1657年)の正月に発生したと言われている「明暦の大火」が発生します。江戸幕府史上最悪の火災被害ともなった明暦の大火は、江戸城の天守閣の消失や、江戸の住民約68000人もの犠牲者を出したと言われています。

明暦の大火は、従来の消化方法や消防組織だけでは大規模な火災に対応できないという教訓を残しました。これをきっかけに、江戸幕府が、つまり初めて国による消火組織の確立に動き出します。

近年の災害における消防組織改革の流れ 昭和編

昭和34年 伊勢湾台風

昭和34年9月26日に、潮岬に台風15号が上陸し、日本全国に大きな被害をもたらしました。特に、伊勢湾の周辺地域や、湾の奥部にあたる名古屋市内に甚大な被害をもたらしたため、後にこの台風被害は「伊勢湾台風」と名付けられました。

伊勢湾台風による死者・行方不明者は全国36都道府県で5,000人にも及ぶ多大な人災となりましたが、それだけでなく物的被害も大きかった為、伊勢湾台風を機に「災害対策基本法」が制定されました。

災害対策基本法とは?

災害対策基本法とは、防災責任の明確化・総合的防災行政の推進・計画的防災行政の推進・激甚災害などに対する財政援助・災害緊急事態に対する措置などの、日本の災害対策に関する内容が盛り込まれた基本法となっています。

災害対策基本法は、その後阪神・淡路大震災を機に災害時の緊急通行の確保・緊急災害対策本部の設置要件の緩和・自主防災組織やボランティアによる防災活動の環境整備などに関して大きな改正が行われました。

昭和47年 大阪市の千日デパートビル火災

日本の高度成長期である昭和40年代には、日本全国の都市で雑居ビル火災が多発していました。その中でも、火災史上最悪の惨事となってしまったのが、昭和47年5月13日に大阪市で発生した「千日デパートビル火災」です。

地下1階から地上7階建ての複合型ビルである千日デパートビルから出火した火災は、出火階が衣料品売り場だったため、火元にあった化学繊維を使用した大量の衣料品から大量の煙がエレベーターシャフトなどを伝って上の階まで立ち上がり、充満しました。この煙が原因で96人が窒息死、22人が上の階から逃げる為に飛び降りて死亡という、多くの犠牲者を出した火災となりました。

翌々年に「火災防止に係る消防法」が改正に

千日デパートビル火災が発生した翌年の昭和48年には、熊本市にある大洋デパートビルの火災が発生しました。

2つの大きなビル火災、そして多発する商業ビル火災を受けて、昭和49年には「火災予防に係る消防法」が改正され、防火管理に係る措置命令、消防用設備等の設置届出及び設置時検査の義務付け、消防用設備点検報告制度などが導入されました。

昭和50年 三重県四日市市の製油所タンク火災

昭和50年2月16日に、三重県の大協石油株式会社の四日市製油所で、容量2万2,000リットルの灯油タンクから出火する火災が起きました。幸いなことに、この事故では死傷者は出ませんでしたが、灯油タンクからの出火の為に鎮火までにおよそ4時間がかかった事や、消火作業は製油所内の他の危険物や施設への火の移りによる炎症拡大の危険に晒されながら行われた事など、多くの教訓が残りました。

また、前年の昭和49年12月には、京浜工業地帯であり、多くの石油コンビナートを抱えている神奈川県川崎市で、近年直下型地震が発生する危険性がある事を、地震予知連絡会が発表しました。

この2点を受けて、石油タンクやコンビナートで火災が発生した時に、迅速かつ正確な消火活動ができるように化学消防設備を整える事、自治体の消防機関の化学消防の能力強化が急務となりました。

昭和51年石油コンビナート等災害防災法に盛り込まれた3点セットの義務化

上記を踏まえて、昭和51年6月に「石油コンビナート等災害防災法」が施行されました。石油コンビナートは石油や高圧ガスが多く集まっている地域の為、火災が発生すると甚大な被害となる事や、鎮火に時間がかかる事などを踏まえて、この法律では石油コンビナートを「特別防災区域」として指定されています。

そして、特別防災区域として指定された箇所には、大型化学消防車・大型高所放水車・泡原液搬送車の化学消火車両「3点セット」、可搬式放水銃・泡放水砲・耐熱服・オイルフェンスなどの化学防災資機材を備え付け、総合防災体制を確立する事が義務付けられています。

昭和62年 東京都・特別養護老人ホーム火災

昭和62年6月6日午後11時20分ごろ、東京都東村山市にある特別養護老人ホーム「松寿園」の2階にあるリネン室周辺から出火し、死者17人、負傷者25人と多くの犠牲者を出しました。

この老人ホームは、防災対策も高く、かつ各種法令も遵守していた施設だったのにも関わらず、当時当直の女性2人の職員のみしかおらず、寝たきりのお年寄りを含む74人の高齢者を救いきれなかった事から、大きな被害となったのです。

社会福祉施設の消火設備設置基準が強化された

この火災を機に消防法施行令の一部が改正され、老人ホームなどの社会福祉施設等のスプリンクラー設備などの消火設備の設置基準が強化されました。

更に、高齢者や障碍者、幼児などの災害弱者を収容する施設では、自動火災報知設備の作動情報が直接消防機関に送信される自動通報システムや、一人でも操作が簡単にできる屋内消火栓設備の基準整備が図られました。そして、多くの人が集まる旅館やホテルなど、他の防火対象物への設置拡大も図られました。

近年の災害における消防組織改革の流れ 平成編

平成7年 阪神・淡路大震災

平成7年1月17日、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生しました。この阪神・淡路大震災は、人口が密着している地域の直下で発生した為、40万棟にも及ぶ建物が倒壊しました。

阪神・淡路大震災の犠牲者は、死者6433人と甚大なものになりましたが、この内9割が倒壊した家屋や家具などによる圧迫死、約1割が焼死や火傷死、及びその疑いがあるものと見られています。

緊急消防援助隊、DMATが誕生

阪神・淡路大震災では初期の人命救助はもちろん、消火活動をしなければ被害拡大は防げない事という教訓が残りました。これを受けて、震災時はまず全消防力を以て火災に対応するという考え、多数の人力があっても適材適所に配置されなければ現場での円滑な消防活動には繋げられないという教訓から、広域的な消防機関の応援出動を迅速、かつ的確に行う為の緊急消防援助隊の発足に繋がりました。

一方で、瓦礫や家具などに長時間挟まれた状態の人を救出した後、突然容体が悪化してそのまま死亡してしまう、というケースが多発しました。当時は認知されていなかった「クラッシュ症候群」への対応が注目され、救出と並行しながら医療措置をする瓦礫の下の医療を可能とし、防ぐ事のできた死を救うためのDMATが誕生する事になります。

平成13年 東京都 新宿歌舞伎町雑居ビル火災

平成13年9月1日午前1時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町にある小規模雑居ビル「明星56ビル」で火災が発生しました。地下2階地上5階の構造のビルの3階マージャンゲーム店のエレベーター付近から出火し、4階飲食店まで延焼が拡大、約160平方メートルを焼失する火災となりました。

この火災での被害者は3階で16人、4階で28人の計44人で、一酸化炭素中毒などが原因で死亡しました。炎症による死亡ではなく、一酸化炭素中毒による多くの犠牲者を出した原因は、唯一の避難経路である屋内階段がとても狭かった事、かつ3階から4階の階段は途中にロッカーなどが配置されていた為に避難や消防活動の妨げとなった事、そして階段付近に多数の可燃物があったことから火の回りが早くなり、延焼範囲が拡大した事、さらに防火扉が閉鎖しなかった為に、煙が店内に流入してしまい、窓がふさがれた状態で開口部が少ない店内は短時間の内に熱気と濃い煙に汚染されてしまった事が挙げられます。

火災予防制度が28年ぶりに大改革に

この火災事故を受けて、総務省消防庁は、火災発生後に日本全国の消防機関へ類似した雑居ビルの一斉立ち入り検査を指示しました。緊急の一斉立ち入り検査の結果、90%以上の類似した雑居ビルに置いて消防法令違反である何らかの問題がある事が発覚しました。

雑居ビル火災と、一斉立ち入り検査の結果を踏まえて、昭和49年以降の28年ぶりに、火災予防制度の大改正が行われます。違反是正の徹底、防火管理の徹底、避難・安全基準の強化、罰則強化などにより、消防の予備活動を可能な限りバックアップできる体制が改めて整えられました。

平成16年 新潟県中越地震

平成16年10月23日午後5時56分ごろ、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の直下型地震が発生しました。

長岡市妙見堰では、地震による土砂崩れが発生し、乗用車が転落する事故が起きました。車内に取り残されていた母子3人の内男児が救出されましたが、この現場で他の本部や機関と連携を図りながら中核となって救助にあたったのが、東京消防庁の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)です。

特別高度救助隊・高度救助隊の創設

この救出活動によって、世間にハイパーレスキューという名前が認知されたこと、そして高度な救助技術を持つ救助隊の必要性が認識される事となりますが、当時はこのような救助隊を持っているのは、一部の政令都市のみでした。

これを受けて、救助体制の高度化を目指すために総務省消防庁では、日本全国へ高度な救助隊を配置する方針を出しました。後に東京都と政令指定都市に配備される特別高度救助隊、中核市などに配備される高度救助隊が創設されます。

平成17年 兵庫県尼崎市 JR福知山線脱線事故

平成17年4月25日午前9時18分ごろ、JR西日本・福知山線の塚口~尼崎駅間で発生した宝塚発同志社前行きの7両編成上り快速列車の列車脱線転覆事故では、運転士を含む107人が死亡、負傷者は555人に上りました。

7両編成の列車の内前5両が脱線、その内先頭の2両は線路横の9階建てのマンションに激突し、マンション脇にあった駐車場に駐車してあった乗用車も巻き込みながら大破しました。続く2両はマンションに車体側面が叩きつけられた後、3両目に追突されて大破しました。

大型ブロワー車とウォーターカッター車の誕生

JR福知山線脱線事故の現場では、車両が巻き込んだ自動車からガソリンが流出、蒸発していたため、火花の出る資機材を使用すると爆発が起きる危険性があり、使用する事ができませんでした。

この事故での状況を受けて、総務省消防庁では煙などを風力で吹き飛ばし、現場の環境を改善させる大型ブロワーと、発火の危険性のある場所でも使用できる、水の力を利用して切断できるウォーターカッターの、2つの新しい消防装備の採用を決定しました。その後この2つの装備を搭載した車両が製作され、特別高度救助隊への貸与を行いました。

消防組織全ての改革に繋がった東日本大震災

平成23年 東日本大震災

平成23年3月11日午後2時46分に発生した三陸沖を震源とする地震とそれに伴う巨大な津波による東日本大震災は、死者・行方不明者合わせて約2万人、建物全壊約13万棟、半壊約24万棟の、戦後最大の被害をもたらした災害です。

被災地の地元の消防職員や消防団員は、自らが被災者でありながらも懸命な消防活動を行いました。職務を全うするために殉職した消防職員や団員も多く、活動上の安全対策や任務の分担などをより明確にする必要があるとの教訓を残しました。

また、多大な規模の災害に対する消防活動や組織の教訓も浮き彫りになり、震災直後からその対応への検討が始まりました。

消防職員・団員の意識が高まる

大災害はいつ、どこで起きるのか分からない事や、自分の居住地は災害に見舞われなかったとしても、緊急消防援助隊として被災地に入る事になるなど、大災害を実際に目の当たりにする事によって、消防職員や消防団員の日々の備えや訓練に臨む姿勢、消防に携わる者としての自覚を持つ事への意識が更に高まる事になりました。

新型の消防車両の誕生

津波による被害が大きかった東日本大震災では、瓦礫や浸水が行く手を阻み、人の足はもちろん消防車両で入る事が難しい地域もたくさんありました。この教訓を生かして、総務省消防庁では、全地形対応車の配備や、消火・救急・救助の各活動に対応する水陸両用バギーの開発などを実施しています。

津波への対策

津波の浸水地域での活動に備えて、胴付の長靴やドライスーツなどの装備が拡充されました。

消防団員への安全対策強化

東日本大震災では、消防団員に多くの犠牲者が出ました。その為、装備面の充実や、各自治体に新しく「撤退ルール」を定めて、身の危険が迫った際には避難をする為の明確な根拠を示すなど、消防団員を守る為の様々な取り組みが行われるようになりました。

N災害への対策を強化

事故は起きない、絶対に安全と言われていた「原発安全神話」が崩壊する、福島第一原子力発電所の事故が発生しました。これを受けて、N災害(Nuclear、核や放射線による災害)は、身近に起こり得る災害という位置づけになり、よりN災害への対応を強化する為の装備の充実や、専門部隊の拡充が行われるようになりました。

災害医療への改革

東日本大震災では、初めてSCU(※)が設置され、広域医療搬送が実施されました。一方でDMATについては広範囲、かつ長期にわたる対応を想定していなかったことが課題になりました。これを受けて、日本DMATの活動要項が平成24年3月30日に改正され、災害時の救急医療の充実が図られる事になりました。

※ SCU…Staging Care Unit 広域医療搬送拠点。自衛隊の駐屯地や学校の校庭など、の広い場所で臨時の医療施設を設けて傷病者を集め、その後適切な治療が受けられる医療機関へヘリなどで搬送する為の拠点

まとめ

大きな脅威が立ちふさがった時に、それに対応するために生物は進化を繰り返してきました。これと同じく、自然の驚異や大事故に対応するために、日本の消防の組織も改革されてきました。災害国である日本に住んでいる我々も、常日頃から自分でできる準備をしておくことが大切と言えます。

(文:千谷 麻理子)

参考文献 Jレスキュー 2014年5月号 「基礎からわかる消防知識」より

出典
Jレスキュー 2014年5月号 「基礎からわかる消防知識」より

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