奈良を中心にして花開いた仏教文化、飛鳥・白鳳・天平文化とは

6世紀後半の推古天皇在位から平安京に遷都する8世紀後半までの文化が「仏教文化」です。中国大陸から伝来した仏教は日本の文化に大きな影響を及ぼすことになります。そしてこの200年間あまりを「飛鳥文化」、「白鳳文化」、「天平文化」と分けています。相違点についてお伝えしていきます。

仏教文化

仏教の伝来と興隆

中国大陸から朝鮮半島を経て、日本に様々な新しい文化が伝来します。その中で日本に大きな改革をもたらすことになったのが新興宗教の「仏教」です。

現代でこそ日本にしっかり根付いている仏教ですが、6世紀後半から7世紀にかけてはとても目新しい信仰だったのです。経典や仏像が輸入され、仏教に触れることで、日本でも多くの人々が刺激を受けました。

朝廷への影響力も絶大でした。それまで朝廷を支えてきた信仰や思想は神道でしたが、当時の有力権力者たちの多くが仏教のもつ魅力にひかれていったのです。その中心にいたのが蘇我氏でした。

仏教を受け入れるかどうかは、朝廷内の政争劇にも発展していきます。古来からの神道を守るために廃仏を主張する「物部氏」と、渡来人と交流を深めて崇仏を主張する「蘇我氏」の争いです。

この論争はやがて武力闘争に発展します。蘇我馬子と物部守屋が戦争を始めたのです。聖徳太子は蘇我馬子側でした。この戦いに辛くも勝利した蘇我氏は仏教を奨励するとともに、朝廷内で大きな権力を握ります。

蘇我氏を外戚にもつ推古天皇は594年に「仏法僧」の三宝を敬うよう「仏教興隆の詔」を出して、仏教文化興隆の礎を築いています。その後、都がある奈良を中心にして、多くの寺が建てられ、多くの仏像が造られていき、仏教文化は活性化していくことになるのです。

飛鳥・白鳳・天平文化の仏像の違い

仏教文化といえば、壮大で趣のある寺院や、バランスのとれた伽藍配置、そして精巧に造られ美しさと神々しさを感じさせる仏像の数々に注目が集まります。

お釈迦さまや薬師如来といった「如来像」、弥勒菩薩や救世観音といった「菩薩像」、四天王や八部衆などの「天部像」など表情豊かな仏像が様々造られました。これらの作品は現代人にも多くの感動を与えてくれています。

しかし造り方にはそれぞれの文化の特徴があったようです。素材から異なる点も見られます。200年間という期間の中で、仏像造りの技術は試行錯誤を繰り返していくのです。

まずは飛鳥文化に造られた仏像ですが、法隆寺の釈迦三尊像や薬師如来像などが代表となります。こちらは後世の日本の仏像の特徴とは異なり、体のパーツがやや不自然なバランスになっています。大陸の「北魏様式」で造られているものが目立ちます。木造の他、銅造も見られます。

これが白鳳文化の仏像になると、自然な肉付きになり、現在の仏像に近い状態になります。「初唐様式」の影響を受けていると考えられています。銅造が主流となっています。

さらに天平文化になると新たな技法として「乾漆造」が大陸からもたらされました。高価な漆を大量に使用するもので、中が空洞のものと、木心が残ったものに分かれます。他にも粘土で造る「塑造」も大陸から伝わり流行しています。

平安時代になると木造が主流となるため、乾漆造や塑造によって仏像が造られることはほとんどなくなっていきます。仏教文化最盛期に乾漆造で造られた仏像などの多くは国宝に指定されて、大切に保管されています。

飛鳥文化のポイントは

飛鳥文化を代表する法隆寺

推古天皇の在位から大化の改新までの7世紀前半期の文化です。都が飛鳥の地(現在の奈良県明日香村)にあったことから、「飛鳥文化」と呼ばれます。仏教文化の黎明期にあたります。

飛鳥文化を代表する建築物が、奈良の「法隆寺」です。開基は聖徳太子とされ、斑鳩の地に建てられたことから斑鳩寺とも呼ばれます。世界遺産に登録されています。

金堂や五重塔などがある西院伽藍は、過去の火災などから免れ、最古の木造建築物といわれています。東院伽藍の「夢殿」を含め、法隆寺内の建築物、仏像の多くが国宝です。

国宝の仏像の中でも、渡来系の仏師「鞍作止利」が造った金堂の銅造「釈迦三尊像」、同じく金堂の銅造「薬師如来像」、夢殿の秘仏で木造の「救世観音像」、九頭身で木造の「百済観音像」などが特に有名です。

工芸品としては「玉虫厨子」があります。仏堂の形をした厨子で、「捨身飼虎図」は釈迦の前世の話をモチーフにしています。こちらももちろん国宝です。

飛鳥寺、四天王寺、広隆寺、中宮寺

最古の寺とされているのが、蘇我馬子が開基とされる「飛鳥寺」です。当初は蘇我氏の氏寺でしたが、天武天皇期に官寺と同等の扱いになりました。安置されている銅像の釈迦如来像は飛鳥大仏で知られます。法隆寺の釈迦三尊像同様に、鞍作止利によって造られています。

聖徳太子が物部守屋との戦いの際に誓願し、勝利した後に建てたのが大阪にある「四天王寺」です。東京国立博物館に保管されている七星剣などの国宝が以前は安置されていました。

京都にある秦氏の氏寺が「広隆寺」です。木造の「弥勒菩薩半跏像」が二体安置あり、どちらも国宝です。細い体つきをした像は「宝冠弥勒」と呼ばれており、最も有名です。もう一体の通称は「泣き弥勒」となっています。

法隆寺に隣接する「中宮寺」にも木造の「弥勒菩薩半跏像」があり、こちらも国宝です。如意輪観音像と呼ばれていた頃もあり、登録されている正式名は「菩薩半跏像」となっています。さらに奈良国立博物館には飛鳥文化の染織品として残存する貴重な「天寿国繍帳」があります。紙や墨といった製法も7世紀に伝わったとされています。

白鳳文化のポイントは

白鳳文化を代表する薬師寺

645年から710年の平城京への遷都までに栄えた仏教文化を「白鳳文化」と呼びます。最盛期は天武天皇期です。古墳が造られた終末期にもあたります。

680年に天武天皇のもとで建造が開始されたのが奈良の「薬師寺」です。当時の都があった藤原京に建てられました。平城京遷都時に薬師寺も移転しています。

本尊は銅造の「薬師三尊像」です。右脇侍の「月光菩薩」、左脇児の「日光菩薩」ともに国宝に指定されています。インドやギリシャ、ペルシャなどの異国文化の様相も確認でき、台座には四神などがあしらわれているのが特徴です。

同様に銅像の「聖観音立像」も国宝として有名です。登録されている正式名は「観音菩薩立像」です。飛鳥文化の仏像の特徴と白鳳文化の仏像の特徴を併せ持っており、はっきりとした完成時期は判明していません。

・古墳文化終末期の壁画

白鳳文化時期の古墳も発見されており、色彩豊かな壁画が注目を集めました。奈良にある円墳「高松塚古墳」の壁画は国宝に指定されており、ここでは四神や二十八宿などが確認されています。被葬者は天武天皇の皇子ではないかという説がありますが、詳細は判明していません。

奈良には他にも円墳「キトラ古墳」が発見されており、こちらにも四神が壁画に記されている他、十二支像の姿も見られます。このような古墳は7世紀が最後とされており、この時期を古墳終末期と呼んでいます。

天平文化のポイントは

天平文化を代表する東大寺

都が平城京にあった8世紀の仏教文化を「天平文化」と呼びます。華やかな貴族文化の特徴も有しています。

741年に聖武天皇が国家鎮護のため「国分寺建立の詔」を発し、日本中に「国分僧寺」「国分尼寺」が建立されることになります。その中で総本山と位置付けられたのが、「奈良の大仏」を本尊としている「東大寺」です。8世紀前半の時期に開基を聖武天皇として創建されたと考えられていますが、創建時の詳細は判明していません。

奈良の大仏は、743年に聖武天皇が「大仏造立の詔」を発してから造り始め、完成は752年のことになります。正式名は「廬遮那仏」です。大仏殿自体は758年に完成しました。大仏、大仏殿ともに国宝に指定されています。

奈良の大仏は銅造ですが、その他の国宝指定の仏像は「乾漆造」が多く、法華堂の「不空羂索観音立像」、「梵天・帝釈天立像」、「金剛力士立像」、「四天王立像」があります。また、「塑造」では秘仏とされていた「執金剛神立像」が国宝となっています。

唐招提寺、興福寺、正倉院

東大寺と共に世界遺産に登録されている奈良の「唐招提寺」は鑑真によって建立されました。国宝に指定されている建築物や仏像が多くあります。乾漆造の「廬遮那仏坐像」、「千手観音立像」、「薬師如来立像」、「鑑真和上坐像」などが有名です。

藤原氏の氏寺は、710年の平城京の遷都に併せて移転し、藤原不比等は「興福寺」と名付けました。国宝に指定されている仏像が多く安置されていますが、後世に造られたものが多く、天平文化の時期に造られたものとしては、乾漆造の「八部衆立像」が有名です。中でも青年のような表情をしている「阿修羅像」は人気があります。他にも国宝となっている乾漆造では「十大弟子立像」があります。

もともとは東大寺管轄の校倉造の高床式倉庫が「正倉院」です。こちらには天平文化の主役である聖武天皇、光明皇后に関係が深い宝物などが多数保管されています。ペルシャなどからシルクロードを経て伝来した物が多く、異国情緒漂う宝物が目立ちます。正倉院自体は世界遺産であり、国宝に指定されていますが、保管されている宝物は天皇家の所有物のために国宝扱いにはなっていません。真っ青な海のような輝きを放つガラス細工の「瑠璃の杯」や琥珀・トルコ石を使用した「平螺細背円鏡」、夜行貝が使用されている「螺細紫壇五絃琵琶」などまさに宝庫です。

最古の和歌集である万葉集

日本で最も古い和歌集が、天平文化の時期に完成したとされる「万葉集」になります。飛鳥文化や白鳳文化も含めた長い年月の中で詠まれている歌4,500首以上を編纂したものです。

天智天皇や天武天皇といった皇族から、藤原鎌足や大伴旅人、大友家持といった一流貴族、柿本人麻呂や山部赤人、山上憶良といった貴族歌人の和歌の他、防人や庶民の作品に至るまで幅広い層の歌が記されています。

平仮名や片仮名は誕生しておらず、すべて漢字の表記になっていますが、漢字の音や訓を利用して日本語のように読めるようになっています。これを「万葉仮名」と呼び、時代と共に平仮名や片仮名に分かれていくことになるのです。

まとめ

このように飛鳥文化・白鳳文化・天平文化は、皇族や貴族の中での仏教信仰の広がりと共に発展していきました。そして後世に世界遺産や国宝となるような建築物や仏像、壁画といった作品を誕生させることになります。その美しさや生命力は現代に生きる私たちの胸を強く打つ素晴らしいものです。

当時の日本人は海外の知識や技術、文化というものを柔軟に受け入れ、さらに日本独自の文化と融合するという工夫によってこれだけ価値のあるものを生み出したのです。

これは明治維新の際に西洋の文化を採り入れ、文明開化したのと同じ状況なのかもしれません。第二次世界大戦後、敗戦し荒廃した日本が驚くべき復興を遂げたのも、こういった日本人特有の「良いものを採り入れ、オリジナリティを加える力」に優れていたからではないでしょうか。

東大寺や法隆寺、そして多くの素晴らしい仏像たちが日本人の知恵や起用さ、情熱や逞しさを物語ってくれています。現代に生きる私たちも、後世の子孫に胸を張って伝えられる文化を残していかなければなりませんね。

著者・ろひもと理穂

本記事は、2017年11月17日時点調査または公開された情報です。
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