教訓「刑務所をダメにするには3日あれば足りる」
「刑務所をダメにするには3日あれば足りる」
これはよく刑務官の先輩たちから聞かされた言葉です。そして私自身刑務官生活を続けるうちに何度も実感してきたことです。それほど刑務所内の規律や秩序を保つのは大変なのです。カモや白鳥が湖面に浮かんでいられるのは毎日羽づくろいをして油と空気を羽毛に蓄えているからですが、それに似ています。これを怠ると沈んでしまいます。
刑務所内の治安が乱れるのはこのような平素の努力を怠ったり、一部の刑務官が不適切な行為を行ったりした場合に起きます。そして急激に危機的状況に至るのは後者の方です。一人の刑務官の失態で急速に刑務所内がおかしくなる。アリの一穴で堤防が決壊するようなものです。
小さなミスが刑務所の治安の崩壊につながる「篭絡事故」
その典型的なものは職員の篭絡事故です。篭絡(ろうらく)とは、刑務官が受刑者の意のままにあやつられてしまう状態になることをいいます。受刑者に弱みを握られ,小さな不適切な行為を行うようになり、それがだんだんエスカレートしてとんでもないことをやるまでになって刑務所をガタガタにしてしまうのです。
ターゲットは「半人前の若い刑務官」
ターゲットにされるのは多くの場合まだ半人前の若い刑務官。例えば夜勤中に居室棟を巡回している時、受刑者から声をかけられます。
「昨日、巨人が勝ったね。」(受刑者)
「ウン」(刑務官)
「先生は巨人ファンなんだね」
「なんで分かんの」
「だって今日の先生は何かうれしそうだからさ」
例えばこんな会話から事は始まります。その後、その受刑者は刑務官が部屋の前に来るたびに話しかけ、例えば野球談議にかこつけて刑務官に新聞を借りたりします。
つまり、わざと試合のことで議論をふっかけ、「だったらそこにある新聞を見せてよ。ちゃんとそこに書いてあるから!」などと言います。
受刑者が購読している新聞は、読んだ後は刑務官が回収して担当台などに置いてあるので、その新聞を見せろというのです。
若い刑務官は自説が正しいことを納得させるためにその新聞を受刑者に渡したとします。するとその受刑者は素直に自分の非を認め、謝ります。しかし、これで一件落着とはいきません。むしろ、これがすべての始まりなのです。
エスカレートする受刑者の要求
例えば次の夜勤の日、受刑者は次のようなことを言います。
「先生さあ、読み終わった週刊誌を部屋に入れてよ」
「駄目だよ」
「いいじゃん。どうせ後は捨てるだけでしょ。30分だけでいいからさ」
「駄目だ。そんなことしたら懲罰になるぞ!」
「先生が黙っていれば分からないじゃない。それに、そんなこと言ったら、この前新聞を見せてもらったのだって規則違反だろ。それがバレたら先生だって叱られるんじゃないの?」
こうして小さな弱みを握られた若い刑務官はほかの受刑者が読み終わった週刊誌をその受刑者の部屋に入れます。
「今度だけだぞ!」
と念を押しますが、それは無駄です。要求は少しずつエスカレートして、遂にはお菓子やジュースなどを要求され、携帯電話まで部屋に入ったりするようになり、さらには、職員の名前や転勤先等々、ほとんどあらゆる情報がその受刑者の知るところとなっていきます。
こうして受刑者の言うがまま行動するようになった哀れな刑務官は、不正を知った隣の部屋の受刑者などからの要求にも逆らえなくなり、やがて居室棟全体がもはや刑務所とはいえないような無法地帯へと進んでいくのです。
刑務官と受刑者の知恵比べが生んだ教訓
ここに紹介した例はあくまで架空の話ですが、似たような事案は刑務所の歴史の中でたびたび発生してきました。そして事案が起きるたびに原因を探り、対策を講じてきたのですが、狡猾な受刑者は常に獲物となる刑務官を探し、知恵を絞ります。
ですから、「刑務所は3日でおかしくなる」とか、「アリの一穴からおかしくなる」というのは過去の話ではなく、現在にも通じることなのです。刑務官は受刑者との間で職務に関する以外の話をすることを禁じられていますが(私語の禁止)、その背景には、このような職員篭絡事故の未然防止という狙いもあるのです。
(小柴龍太郎)
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