刑務所は犯罪を抑止する
刑務官になると早い段階で「刑は刑なきを期す」という言葉を学びます。これは孔子の言葉で、刑罰というものは刑罰が必要でなくなるようにすることが目的であるといったような意味です。何やら逆説的で、難しい言い回しですが、刑罰の本質を端的に言い表しているような気がします。
まずは、悪いことをすると罰せられるからそれを慎むということがあります。つまり刑罰には犯罪を抑止する効果があります。
「悪いことをすると刑務所に入れられるよ!」
とお母さんが子供に教えることがありますが、その心は、刑務所は怖い・恐ろしい所だと強調しつつ、そこに入らないようにするためには悪いことをしないようにしなければならないと教えるわけです。いわば刑罰の威嚇効果です。秋田のナマハゲなどと似たようなものかものかもしれません。いい子にしていないとナマハゲが来てさらっていくと知った子は大人の言う事を聞くようになります。
刑務所は再犯防止のための教育をする
「刑は刑なきを期す」のもう一つの側面は、特に近代の自由刑に関していえることですが、例えば懲役刑という刑罰は、罪を犯した人を刑務所に入れて刑務作業に従事させ、いわば強制労働をさせて罪の償いをさせると同時に、受刑期間中に再犯防止の教育などを施し、再犯しないようにすることを目的としています。
つまりこれは、受刑者を良き社会人と生まれ変わらせることによって刑罰とは無縁の暮らしが送れるような人にするということですから、多くの受刑者が更生を果たせば、この世の犯罪は少なくなっていくはずです。刑罰制度が無くても済むような世の中ができるかもしれません。そういう理屈です。
「刑務所は刑務所なきを期す」
このようなことですから、「刑は刑なきを期す」という言葉は確かに刑務官が念頭に置いておくべき含蓄のある言葉だと思います。さらに、この言葉を刑務官にもっと近い内容で言い変えれば、「刑務所は刑務所なきを期す」と言っていいかもしれないので尚更です。
「刑務所は刑務所なきを期す」は刑務官の仕事を奪うのか?
このように言い変えれば、刑務所という存在は、この世から刑務所が無くなるために存在するということになります。犯罪者がいなくなれば刑務所は無用になる道理ですから、刑務所がその機能をよく果たせば、刑務所はずっと少ない数で足りるようになるはずです。そのようなことを実現するように刑務所は頑張らなければいけない。
「そんなことになったら刑務官が職を失うではないか! どうしてくれる!!」
などと刑務官は声を荒げてはいけません。名医が患者を治せば治すほど患者が減って収入が減る。それでも構わず、むしろそれを喜ばしく思うところが名医の名医たるゆえんであり、価値があります。刑務官も名医を目指しましょう。
「やぶ医者」にはなってはいけない
ちなみに、ある国で民間刑務所を導入したら犯罪が増えたということがあったそうですが、これは、民間の刑務所が利益を上げるためには受刑者を多く収容しなければならない、すなわち犯罪が多くならなければならないという構図がそのような結果を招いたと分析されています。
このようなことは全くもって本末転倒、言語道断と言わなければなりません。例えて言えば名医の反対、金儲けばかりを考えて治療をろくにやらないやぶ医者みたいなものです。刑務所は絶対にそんな刑務所になってはいけないし、刑務官も絶対にそんな人間になってはいけない。
何もないことを求められる職業
おまけにもう一つ、刑務官たちに受け継がれているもう一つの逆説的な格言のようなものを紹介します。「刑務官とは何もないことを求められる職業である」という言葉です。
何もないことを求められるというのは妙な言い方ですが、刑務所の中に何も異状がない状態を作りそれを保つことが刑務官の仕事だというくらいの意味です。平穏を保つ、保安、そういったことが一番大事だということです。刑務所が平穏に維持できてこそ、社会に住む人の安全が保たれ、安心して暮らしていけます。
また、受刑者たちへの様々な指導もそのような平穏な環境にある刑務所の中でこそ可能になります。しょっちゅう暴動みたいなことが起きる刑務所ではとてもそのようなことはできません。
何もないことを報告する「異常なし!」が口癖に…
このようなことですから、刑務所の中では刑務官の「異常なし!」という大きな声がよく聞こえてきます。階級の上の刑務官が所内巡回中などに下位の階級にある刑務官が報告する声です。刑務官は常に何か異常な状態が起きていないかについて五感のアンテナをもってキャッチし、その情報を上司や同僚に伝えて刑務所全体で共有するのです。そうやって「何もない」を作り出しているわけです。
ただ、この「異常なし!」が口癖になってしまい、考え事をしながら帰宅した際に出迎えた奥さんに向かって「異常なし」と言ってしまう刑務官が後を絶ちません。
(小柴龍太郎)
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