【陸上自衛隊の仕事】山林火災から日本の国土を守る仕事

【陸上自衛隊の災害対応業務】
山林火災が起きる原因は大きくは二つあります。一つは『自然発火』で雷や火山の噴火などによって火災が発生します。

今回は日本の地理的特性から発生頻度の非常に多い災害である山林火災の際の自衛隊の行動について体験談を交えてご紹介して行きます。


山林火災の時の自衛隊の行動

自衛隊は、直接侵略及び間接侵略から我が国を守る事を『主たる任務』とする実力集団で主たる行動は『防衛出動』です。自衛隊の任務は自衛隊法第3条(自衛隊の任務)に明記されています。

これ以外に『必要に応じて行う任務』として国民保護等派遣、治安出動、警護出動、海上における警備行動、弾道ミサイル等に対する破壊措置、『災害派遣』、地震防災派遣、原子力災害派遣、領空侵犯に対する措置などがあります。

これらの任務は『従たる任務』と呼ばれ自衛隊法第78条~第84条(自衛隊の行動)に明記されています。今回は、自衛隊の『災害派遣』をご紹介しますが、既に大震災の時の行動は体験談としてご紹介しました。

そこで、今回は日本の地理的特性から発生頻度の非常に多い災害である山林火災の際の自衛隊の行動について体験談を交えてご紹介して行きます。

世界の軍隊と災害派遣

自衛隊の災害派遣(山林火災)についてご紹介する前に、世界各国の軍隊の災害派遣について少し触れておきましょう。世界各国の軍隊においてはロシアなどは災害派遣専用の部隊があります。

軍隊には、身体強健な大量の若者が所属しています。最もマンパワーを発揮できる集団が軍隊であり、マンパワーの豊富な集団が軍隊なのです。命令一つで組織的に動員できる人数は警察や消防よりも軍隊が圧倒的に多いのです。

時に、自衛隊を災害派遣専門の集団であるかのように揶揄するような意見を見かけますが、とんでもない偏見と言えるでしょう。自衛隊を軍隊と呼ぶのかどうか、法律上の解釈はともかく、世界各国の軍隊は自衛隊を日本国の軍隊として認識しています。

また、人的資源の豊富な世界各国の軍隊は、例外なく、どこの国の軍隊も未曽有の災害時は、災害派遣に出動しているのです。

山林火事の起きる原因は?!

山林火災が起きる原因は大きくは二つあります。一つは『自然発火』で雷や火山の噴火などによって火災が発生します。もう一つは、人間の行動によって起きる『人災』で、焚火やタバコの不始末、放火・焼畑農業などがあります。

自然発火による山林火災の発生頻度はかなり低いです。これに比べて人間が原因で起こる『人災による山林火災』は想像以上に多いのです。ちなみに平成22年~平成26年までの5年間の統計によれば、大小合わせると年間約1,600回の山火事が起こっています。

日本は、国土の約70%が山林であり人口密度は193か国中第21位という世界的に見ても人口密度の高い国になります。そういう特性からも人災による山林火災は多く発生しています。また消火活動が困難な離島での山火事も数多く発生しています。


自衛隊の出動は要請による

山林火災も他の災害派遣と同じく都道府県知事等の要請を受けて出動します。よく災害派遣時の自衛隊の出動が遅れたと言う報道がありますが派遣要請が遅れた結果、自衛隊の出動が遅くなった例が少なくありません。

有名なところでは、阪神大震災の場合の出動も派遣要請の遅れが主たる遅延の原因でした。ただし、この時のマスメディアの報道は陸上自衛隊の出動が遅れたと言う論旨でした。これは自衛隊の名誉の為に付言しておきますが、自衛隊は特別に指示のあった場合を除き、独自に災害派遣の為の出動は出来ません。

山火事は延焼を防止するのが主

火災に関する用語で『延焼』と『類焼』の違いについてご紹介しておきます。延焼とは、火災が燃え広がる事で、類焼とは、他の場所から出火した火事で焼ける事を言います。よその家の火事が自分の家に燃え移って来て燃え上がる『もらい火事』の場合などを類焼と呼ぶのです。

大規模な山林火事は消せないと言われていますが、残念ですがこれは事実です。広範囲に燃え広がる大きな山火の火勢は凄まじく、通常の消火活動で鎮火させるのは極めて困難です。従って、まず民家への延焼・類焼を可能な限り食い止めると言う消火活動が優先する行動になります。

ヘリコプターで空中消火活動をしているのは家屋への類焼を防ぐ為にギリギリの状況で食い止めているのです。勿論、火の勢いが弱まり消す事が出来ればそれに越した事はありませんが、火災の規模が大きくなればなるほど、空中消火により消火は困難です。

消火と鎮圧・鎮火の違い

消火活動に関連する言葉に、消火と鎮圧・鎮火があります。消火とは文字どおり火を消すと言う意味で消火活動全般を言い、広い意味で一般的に使われます。これとほぼ同じ意味ですが『鎮圧』と言う言葉があります。鎮圧は具体的に『火が完全に出なくなった状態』を言います。

ただし、鎮圧しても、通常、消火活動は継続します。なぜなら、また発火する恐れがあるからです。消火活動が終了するのは『鎮火』するまでです。鎮火とは『もう燃える心配がない。』『火が出る心配のない』状態を言います。

通常火災もそうですが、特に山林火災の場合は、可燃性の木材ばかりですから、燃える心配が完全に無いと思えるくらいの状態にならないと、所轄の消防署から、消火活動の終了を意味する『沈火宣言』は出ません。

延焼防止の有効な手段は防火帯

延焼を未然に防ぐ為の有効な手段として防火帯があります。これは山の地形などを考慮して火災が発生した時に延焼しそうな地域の樹木を伐採して帯状の安全地帯を作ります。

地形にもよりますが広い防火帯は50メートルを超える幅の物もあります。また大規模な山林火災が起きた場合、火災が発生してから延焼を食い止める為に防火帯を作る場合もあります。この場合は火災発生現場と燃えている現場から相当離隔した場所に設けないと間に合いません。

山林火災の体験談

昭和56年~平成30年までの38年間で四国を管轄する第14旅団は風水害及び山林火災等で90回を超える出動をしています。その中でも四国で起きた山林火災で、過去に大きな被害の出た山林火災の体験談をご紹介します。

この山林火災は香川県南西部で起きた大火災で、香川県の山林部の3分の1が焼失した大火災でした。出動した時期は昭和60年 2月 3日~昭和60年 2月 5日です。

災害派遣は都道府県知事の要請により出動しますから、火災は出動の数日前から起きていた事になります。火災の発生場所は香川県三豊郡豊浜町大野原町及び愛媛県川之江市県境付近です。

この山林火災には、四国に駐屯する陸上自衛隊から人員1,817名。車両204両。航空機23機(主にヘリ)が出動しました。この時の自衛隊の行動(消火活動)は大きく二つに分かれます。

一つは空中消火活動を行う中部方面ヘリ隊の空中消火活動と陸上部隊による空中消火活動の支援です。陸上自衛隊の支援とは、消火剤の作成と、空中散布の為の作業支援です。


空中消火活動を行うための作業拠点は、その都度、適時適切な場所に設置されます。たとえば香川県内に発生すれば火災現場に近い、ヘリの運用に適した地積のある運動公園、河川敷などの快活地に設置されます。火災現場から離れれば消火剤を散布して、一時的に火勢が弱まっても、次の投下までに時間が掛かりますから、消火の効力が著しく落ちます。

もう一つは現地での消火活動等ですが、前述したように山林火災の規模が大きく成ればなるほど、警戒や避難誘導などの特に命じられた行動が多くなり、消火活動は、空中散布による消火が頼りになります。

※(航空部隊は大阪府八尾市の中部方面ヘリ隊等)

火災現場の火勢の威力

香川県南西部の山林火災の時、現職の2等陸曹として豊浜町箕浦地区に災害派遣隊の一員として出動した私は、旧国鉄予算本線『箕浦駅』付近から約4キロメートル南にある金見山(標高596メートル)に現場確認の為、登りました。

金見山は香川県の南西部にある山で、南側は愛媛県、徳島県との県境になります。金見山から東に向かって龍王山(794メートル)、雲辺寺山(927メートル)、中蓮寺峰(756メートル)、若狭峰(787メートル)大川山(1043メートル)、竜王山(1060メートル)大滝山(946メートル)と続き香川県の東に至ります。

それらの山々は、香川県南部で四国山脈を形成しています。ちなみに四国山脈と言うのは便宜上呼んでいるだけで正式な名称ではありません。香川県の平野部は北部に集中しており約36.9%が平野です。北部にも山はありますが点在しており。残りの山林は南部に集中しています。

金見山の中腹に上がると、香川県南部の西側半分の山々を遠望する事が出来ます。日が暮れて辺りが暗くなっている時期に、金見山の中腹から見た山林火災の光景は衝撃的な光景でした。視界に入る山々のほとんどの山から火の手が上がっていたのです。

自衛隊さん!こりゃあ~あかんで!

金見山に登る途中、三豊広域消防などの消防隊員・消防団の隊員・団員の集団と何度もすれ違いました。一列縦隊で山を登る私達にポンプ車の近くで待機していた消防団員の一人が私達に言ったのです。「自衛隊さん。これやぁ~無理や!もう~あかんで!燃えるところまで燃やしてしまわんとどうにもならん。」

これは消して投げやりな言葉ではなく、一目見た瞬間「こんな火事を消せるわけがない」と思うほどの規模だったのです。

山林火災の現場の状況は、間近で経験した物でなければ実感として捉える事は出来ません。その時は火災現場の全容を確認しただけで具体的な消火活動をするメドも立たず山を下りました。

臨時の防火帯の作成

そして、直ぐに新たな任務付与をされたのは臨時防火帯の作成でした。火災の範囲が香川県南部の山林地帯の約30%が燃えている広範囲な火災なので新たに防火帯を作る必要が生まれたからです。

私達の部隊は香川県の最南西部の町、豊浜町から国道11号線同33号線を経由して約20キロメートル北上して滝宮から南部の山林地帯に向かって南下しました。滝宮は香川県の中心部分から少し西にある地点で部隊が移動した距離は約30キロメートルほどの大迂回行動になります。

登った山は、香川県の南部の丁度真ん中にある大川山の稜線上の斜面でした。山の中腹の見晴らしの良い所から火災現場を見てもかすかに煙しか見えません。(こんな離れた所に、防火帯を作るのか…)改めて火災の規模の大きさを実感したものです。

先輩隊員の貴重な話「火は横に飛ぶ!」

防火帯の作成作業の休憩中に何度も山林火災に出動している先輩から生々しい体験談を聞かされました。それは山火事の燃えている近くに行って初めて体験した山火事の凄まじさの体験談でした。

まず、数十メートルの高さの森林の燃え盛る地点に近づくと空気が熱せられて近づく事も出来ないと言います。消防のホースで放水しても届かない距離なのに近づけないほどの熱さだと言うのです。

さらに実際に防火帯を飛び越えて火が燃え移ったのを目撃した事があると話していました。その状況は火の塊が数十メートルの半径の大きな輪になって空中で渦を巻き、突然、防火帯を飛び越えて、火の塊が森から森に真横に飛び移るのだそうです。

燃え移った巨大な火の渦は、たちまち生木に燃え移り燃え上がると言います。その、あまりの火勢の勢いに息を飲んだと言います。さらに驚いたのは、バキ、バキ、バキと音を立てて電柱ぐらいの高さの生の木が燃えて行くのを見て驚愕したと言うのです。

山林火災の恐怖

私達の常識では乾燥した木材が燃える。生木はなかなか燃えないという思い込みがありますが大規模な山火事はその常識が通用しません。圧倒的な火の勢いで生の木が瞬く間に燃えて延焼が広がって行くのです。

地形や植生の状態により火勢が衰えて、生の木に延焼しなくなって自然に消えるのを待つか、雨が降るまで待つしかありません。災害派遣の中で山林火災ほど、自然の驚異の前に無力感を感じるものはありません。


燃え広がっていく火災に対して効果的な消火活動が出来ないからです。幸いな事に香川県史の中でも有数の未曽有の大火災は数日後に自然鎮火しましたが、空中消火活動や防火帯の活動は少なからず鎮火の為の一助になったと確信しています。

それにつけても山林火災に、何度か出動して思うのは、山中のタバコの吸い殻、焚火などの後始末の不備から、想像を絶する自然が失われる事を思うと、一人一人の防火意識の高揚は山林火災の未然防止の為に必要だと痛感しています。

まとめ

山林火災の際の自衛隊の体験談いかがでしたでしょうか?

日本を守る国家公務員「自衛隊」、今後も応援していきます。

本記事は、2018年6月4日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

気に入ったら是非フォローお願いします!
NO IMAGE

第一回 公務員川柳 2019

公務員総研が主催の、日本で働く「公務員」をテーマにした「川柳」を募集し、世に発信する企画です。

CTR IMG