日本人も知っておきたい!アメリカの歴史に影響を与えた黒人たち

本記事では、人種差別問題と戦った黒人の人権活動家についてまとめました。

日本にとって唯一の同盟国で経済でも密接な関係をもつアメリカの「歴史に影響を与えた黒人たち」について、公務員の方も、公務員志望の方も、是非ご参考ください。

はじめに – 建国以来続く、アメリカの人種差別問題

2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで発生した「ジョージ・フロイド窒息死事件」は、白人警察官による黒人に対する過度な暴力(殺害)行為として世界中の人の怒りを買いました。

人種差別や警察組織に対する抗議は世界中に広がり、ついにトランプ大統領はこれまで動くことがなかった「警察組織改革法案」に署名しました。(内容は賛否両論ある)

今回アメリカで起きた抗議デモや人種差別是正のための運動は初めてのことではありません。アメリカ建国以来、250年近く黒人たちはずっと人種差別という苦しみに直面し、是正を訴えてきました。

1863年に奴隷制度撤廃、1950年代の公民権運動などを経て、長い時間をかけて少しずつ人種差別は是正されています。それは、時代ごとに黒人たちの地位向上のために献身した人たちがいたからに他なりません。

今回は、日本人も知っておきたい「人種差別問題と戦った黒人たち」をご紹介します。公務員志望の方は、アメリカの人種差別問題の常識として参考にして下さい。

人種差別問題と戦った活動家1:ハリエット・タブマン(Harriet Tubman)

ハリエット・タブマンは、アメリカでは知らない人はいないとされるほど有名な黒人女性活動家です。

古代エジプトで奴隷だったイスラエル人たちを解放したモーセにならい「Black Moses(黒人のモーセ)」などと呼ばれています。

黒人奴隷の解放に尽力

1820年、タブマンは黒人奴隷の両親のもとに生まれ、わずか5歳から農場の奴隷として働いていました。奴隷主からの暴力は日常茶飯事で、この頃に居眠り病やてんかんなどの後遺症を伴う頭部の障害を負っています。

1847年、奴隷主が死んだことをきっかけに命がけの脱走に成功します。フィラデルフィアへの逃亡途中にクェーカー教徒に助けられ、奴隷の逃亡を手助けするための非合法秘密組織「Underground Railroad(地下鉄道)」の存在を知りました。

逃亡先では、後の奴隷制度撤廃活動家となるフレデリック・ダグラスなどと出会い、黒人奴隷解放のためにUnderground Railroadに加わりました。

同組織加入後は、10年以上にわたって数百名の黒人奴隷を解放することに貢献しました。そのなかにはタブマンの両親も含まれています。(救った奴隷の数は諸説あり)自身はもちろん、手助けした黒人奴隷の誰ひとりも捕まることはなかったとされています。

黒人や女性の地位向上に尽力

1861年、南北戦争が始まった時には料理人、看護師、解放奴隷の教師として働いていました。また、戦闘の際には黒人兵を率いて奴隷解放のために戦い、敵対関係にあるはずの南軍の黒人たち750名を救い出しました。

南北戦争後は、黒人と女性の地位向上のための権利活動に尽力しました。なかでも、最も大きな影響を与えたとされているのが「女性の参政権」です。

アメリカでは1920年まで女性の参政権が認められることはありませんでしたが、タブマンの存在がなければ実現しなかったとされています。

晩年まで続けた黒人のための支援

タブマンは両親が逃走してきた際に住んでいた家で晩年を過ごしました。

そこでは身寄りがない元奴隷を住ませたり、戦死した黒人兵の遺族たちを支援する活動を続けていました。タブマンは1913年に肺炎でこの世を去るまで、生涯を通して黒人奴隷の解放と地位向上に尽力したのでした。

このような功績を残したタブマンですが、オバマ政権で20ドル紙幣のデザインに採用することが決定していました。しかし、トランプ政権は偽造防止技術の遅れを理由に2028年まで延期し、いまではデザイン案すら見られなくなっています。

人種差別問題と戦った活動家2:マルコム・X(Malcolm X)

マルコム・Xは、黒人公民権運動活動家として活躍した人物で、同じく公民権運動活動家として有名なマーティン・ルーサー・キング・ジュニアと並んで広く知られています。

マルコム・Xは攻撃的で過激な言動をとることが多かったため、融和的なキング牧師と比較されやすいことが特徴です。また、世界的に有名なボクサーのモハメド・アリに多大な影響を与えた人物としても知られています。

人種差別を受け続けた幼少期

1925年、マルコム・Xはネブラスカ州オマハで白人との関係を絶ち自給自足で生活していた両親の元に生まれました。(1952年に改名するまでは「マルコム・リトル」という名前だった)

白人を嫌うマルコム一家は、当時最大の勢力だった白人至上主義団体のKKKから標的にされるほど目立つ存在でした。5歳の時に父親は人種差別主義者らによる壮絶な暴行の末、線路上に放置されて列車に轢かれて死亡します。

明らかな殺人でありながら警察は自殺と断定し、父親が加入していた生命保険はもらえず、母親は事件をきっかけに精神を病み、精神病院に送られました。

母親は子どもを認識できないほどに症状が悪化したため、家族は病院での扱いに関する情報開示を訴えますが、病院側は母親に関するカルテを破棄したことを理由に拒否しました。

実質的に両親を失ったマルコム・Xは、当時流行していた富裕層による黒人孤児の引き取り慈善事業によって、裕福な白人家庭の里子として迎え入れられました。

学校では白人と一緒に授業を受け(席は一番後ろ)、成績優秀な生徒だったとされています。しかし、白人教師に将来の夢を尋ねられた際には医師か弁護士と答えたものの、黒人は医師や弁護士にはなれないから清掃員になるべきだと返されます。

中学卒業後はボストンやニューヨークなどで靴磨きやウェイターなどで生計を立て、20歳の時に強盗(窃盗罪)で逮捕されて、懲役8-10年の刑を受けました。

刑務所でイスラム教に改宗

1948年、マルコム・Xは家族の薦めでイスラム教に改宗し、イライジャ・ムハンマドによる教えを独学で学ぶようになります。

家族の助けで比較的自由なマサチューセッツ州刑務所に移送されてからは、イライジャ・ムハンマドの教えや、NOI(ネーション・オブ・イスラム)の方針を指導することに尽力しました。

刑務所内での討論会に参加したり、刑務所図書館にある辞書すべてを暗記、筆写するなどして、宗教感や知性、言葉遣いなどの能力を磨いていったとされています。

1952年、保釈された時点ですでに有名になっていたマルコム・Xは、雑誌やラジオなどのインタビューに出演するようになり、一流大学出身者と誤解されるほどの知識人として活躍することになったのでした。

人権活動への貢献、そして暗殺

1962年、マルコム・Xが信頼していたイライジャ・ムハンマドが少女を強姦し、子どもを産ませていた事実が発覚し、マルコム・XはNOIから脱退を決めます。

1964年にはアフリカと中東を巡礼で訪れ、メッカに立ち寄った際にエル・ハジ・マリク・エル・ジャボズに改名しています。

現地ではイスラム教徒から熱烈な歓迎を受け、黒人が白人種から受け入れられることを初めて経験しました。そこには肌の色に関係なく、全員が同じ儀式に参加している状況があったのです。

この経験から「白人とは、肌の色ではなく黒人を対象にしたときの態度や言動」という、新しい考え方を身につけたとされています。

帰国後、アフリカ系アメリカ人統一機構(Organization of Afro-American Unity)を発足し、黒人差別問題を人権問題として訴えたり、国連に対して黒人の人権問題を協議するように働きかけました。

1965年2月21日、マルコム・Xは脱退後に関係が悪化していたNOIの信者3人によって暗殺されます。

マルコム・Xは世界規模の広い視点を持ち、宗教や国を越えて平等な人権を持つべきと、自身の経験を通して世界中に訴え続けたのでした。

人種差別問題と戦った活動家3:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは「I Have a Dream」から始まる演説で知られる黒人牧師です。1950年代から続いた公民権運動の指導者としても有名で、1964年にはノーベル平和賞を受賞しています。

聖職者までの道のり

1929年、キング牧師はジョージア州アトランタで牧師の家庭に生まれました。成績優秀な子として育ちますが、近所の白人家庭からは子ども同士が遊ぶことを禁じられたり、バスの座席を白人に譲らされるなど、日常的に人種差別を受ける機会は多かったとされています。

1944年、地元のモアハウス大学に進学し聖職者を目指します。1947年には父親と同じバプテスト派の牧師になり、その後はクローザー神学校、ボストン大学神学部などに通い博士号を取得しました。

モンゴメリー・バス・ボイコット事件

1954年、アラバマ州モンゴメリーにある教会の牧師に就いたキング牧師は、黒人女性のローザ・パークス(Rosa Parks)が警察に逮捕されたことを知ります。

パークスが逮捕された事件は、後に「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」と呼ばれ、公民権運動のきっかけになった事件です。

この事件は、パークスが市営バスに乗車中、白人に座席を譲らなかったことで、人権分離法違反とみなされ逮捕されたというものです。(その際の警察は横柄で、逮捕理由の説明もなくパークスに暴言を浴びせた)

この頃のアラバマ州は奴隷制度を支持しており、1964年に廃止されるまで続いた、白人と黒人を徹底分離する法律「ジム・クロウ法(Jim Crow laws)」がありました。この法律では、学校、レストラン、待合室、バスの座席についても白人と黒人が区分けされていたため、パークスの逮捕に至ったのです。

キング牧師は、この事件に抗議するために黒人によるネットワークを使い、黒人が市営バスを利用することをボイコットします。(市は大幅な減収を強いられた)1年以上にわたり抗議運動を率いたキング牧師の活躍もあり、1956年に最高裁は違憲判決を下し、勝利しました。

この一件は、公民権運動に一般の民衆(黒人を含む)が参加した初めての事例としても知られ、報道により一件を知った人たちがアメリカ全土で同様の抗議をしました。

また、人種差別に対して黒人たちが社会に抗議する「先駆け的な運動」になったとされています。それを率いていたのがキング牧師です。

公民権運動「ワシントン大行進」

キング牧師を知るうえで欠かせないのが「ワシントン大行進」です。

黒人を中心にした公民権運動が最高潮を迎えた1963年8月28日、ワシントンD.C.にあるリンカーン記念堂前に20万人以上が集結し、キング牧師による演説「I Have a Dream」が行われました。

この集会では連邦政府に対して人種差別法の撤廃や参政権獲得など、黒人の公民権獲得を訴えました。世界中がアメリカの動向に注目したことで連邦政府は無視できなくなり、1964年7月2日、リンドン・ジョンソン大統領によって公民権法(Civil Rights Act)が制定されました。

建国以来188年間にわたり続いてきた人種差別が、法律上も禁止されることになった歴史的な瞬間でした。

モンゴメリー・バス・ボイコット事件をはじめとする様々な人種差別問題に対して「非暴力主義による活動」によって抗議したキング牧師の功績は現代でも偉大なものとされており、キング牧師の誕生日に近い1月の第3月曜日は祝日に制定されています。

キング牧師は1968年4月4日にテネシー州メンフィスで暗殺され、39歳の若さでこの世を去りました。

まとめ

以上、「日本人も知っておきたい!アメリカの歴史に影響を与えた黒人たち」でした。

アメリカの人種差別問題を知るうえで「ハリエット・タブマン」「マルコム・X」そして「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」の3名はぜひとも覚えておきたい人物です。

ハリエット・タブマンは多くの黒人の命を救い、マルコム・Xはアメリカの人種差別を世界に訴え、キング牧師は非暴力主義による抗議でアメリカの法制度を変えました。

彼ら以外にも黒人の地位向上に貢献した人はたくさんいますが、日本人にとって縁遠い人種差別問題を理解するうえで、この3名は知っておくとよいでしょう。

本記事は、2020年6月24日時点調査または公開された情報です。
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