地方自治体特集「中核市」シリーズ

中核市シリーズ第26回「豊橋市」について(2019年9月情報)

地方自治体特集「中核市」シリーズ、第26回は「豊橋市」です。

愛知県にある「豊橋市」の人口は2019年9月時点で約38万人と、長野県長野市に次いで国内52番目です。そんな「豊橋市」とはどんな都市なのか解説します。


※本記事は、2019年9月調査の内容です(今後更新予定です)。

「豊橋市」について

愛知県にある「豊橋市」は、同県の南東部に位置する中核市です。市域面積は約262平方キロメートル、2019年9月時点での推計人口は約38万人で県内5番目の規模を誇ります。市域は、渥美半島の付け根部分の豊橋平野の上に広がり、東は静岡県と接し、南は太平洋、西は三河湾に面し、豊かな自然に恵まれています。

また、「豊橋市」は、中央部に市役所や吉田城があり、東海道が横断し、古くから城下町、宿場町として繁栄しました。西部の三河湾に面したエリアは大規模な埋め立て地で、自動車の輸入台数・金額共に全国第1位の「三河港」を中心に臨海工業地帯が形成され、輸出入の重要拠点になっています。さらに、北部は豊川用水を擁し、次郎柿をはじめ、苺や桃などの果樹栽培も盛んです。

最後に、「豊橋市」の気候は、年間を通じて比較的温暖です。冬季に「三河のからっ風」と呼ばれる北西の季節風が吹きますが、降雪や積雪はほとんど見られません。

>豊橋市のホームページ
http://www.city.toyohashi.lg.jp/

「豊橋市」の成り立ち

「豊橋市」の成り立ちは、1906年(明治39年)8月に豊岡村と花田村が合併して市制施行したことにさかのぼります。当時の人口は約3万8千人でした。

その後、「豊橋市」は、1959年(昭和34年)に完成した豊橋港(現在の三河港の一角)を中心に発展しました。また、1970年代から30年間にわたって、農業粗生産額全国1位を続けました。

さらに、1979年(昭和54年)に人口は30万人を超え、1993年(平成5年)に35万人を突破しました。そして、1999年(平成11年)4月に国内22番目の中核市に移行しました。2005年(平成17年)11月に人口は38万人を超え、現在に至ります。

豊橋市長「佐原 光一」(さはら こういち)さんはどんな人?

2008年11月から豊橋市長を務める「佐原光一」さんは、1953年11月10日に豊橋市で生まれました。大学卒業後は、運輸省(現国土交通省)港湾局に入省。その後、外務省に出向し、在ブラジル日本国大使館一等書記官を務め、国際協力事業団長期専門家、国土交通省中部地方整備局副局長などを歴任し、第32代の豊橋市長となり、3期目になります。

信条は、「いつも明るく笑顔を絶やさない」だそうです。

>豊橋市長公式ページ
http://www.city.toyohashi.lg.jp/8308.htm


「豊橋市」の行政プラン

「豊橋市」の行政プランは、「輝き支えあう水と緑のまち・豊橋」を将来像として掲げています。そして、まちづくりの基本理念を「ともに生き、ともにつくる」とし、以下の3点を目指すまちの姿として設定しています。

1) 私たち一人ひとりが輝きながら活力と魅力に満ち、誰もが夢をもっていきいきと活動できるまち
2) 絆と連携によって地域が輝きを増し、誰もが自立し互いに支えあうことのできるまち
3) 輝くような水と緑を大切にしながら市民の健康と暮らしを守り、誰もが健やかに安心してゆったりと暮らせるまち

さらに、目指すまちの姿の実現に向け、まちづくりの大綱として以下の6つを定めています。

1) 活力と魅力にあふれるまちづくり
2) 健やかに暮らせるまちづくり
3) 心豊かな人を育てるまちづくり
4) 環境を大切にするまちづくり
5) 安心して暮らせるまちづくり
6) 快適で利便性の高いまちづくり

まとめ

以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第26回は愛知県の「豊橋市」についてご紹介させていただきました。

本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。

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本記事は、2020年9月10日時点調査または公開された情報です。
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