「チャド共和国」ってどんな国?
「チャド共和国」の正式名称は、フランス語で「République du Tchad」、アラビア語で「 جمهوريّة」、英語では「Republic of Chad」です。漢字では「差徳」と表記し、その他「乍得、乍得」などとも表記されます。
「チャド共和国」の広さ 面積・場所について
「チャド共和国」の面積は約128.4万平方キロメートルで、日本の約3.4倍の大きさです。
「チャド共和国」の場所は、アフリカ大陸の中央部にあり、国土は東がスーダン、南が中央アフリカ、南西はカメルーンとナイジェリア、西をニジェール、北をリビアに囲まれています。
「チャド共和国」の首都について
「チャド共和国」の首都は「ンジャメナ」で、「ンジャメナ」は、シャリ川と支流のロゴーヌ川の合流点に位置しています。
「ンジャメナ」の人口は、2012年現在、1,09万2,066人です。
「チャド共和国」の人口について
「チャド共和国」の人口は、世界銀行が2018年に調べた時点で約1,548万人であり、人口密度は、約12.79人で、第176位です。
「チャド共和国」の成り立ちについて
「チャド共和国」は16世紀にボルヌー王国となり、1910年に仏領赤道アフリカ・チャド州となり、1960年8月に仏から独立、1962年4月にトンバルバイ大統領が就任し、南北対立が顕在化しました。
1975年4月にクーデターが発生、最高軍事評議会が発足、1978年8月にマルーム将軍とハブレ反政府組織「チャド民族解放戦線(FROLINAT)」代表が統一政府が樹立、マルーム大統領が就任しました。
1979年3月に統一政府が崩壊、ウェディ議長の暫定国家評議会が発足、1979年4月にシャワ暫定国民連合政府大統領が就任、1979年11月にウェディ暫定国民連合政府大統領が就任、1980年10月にリビアが内戦に介入しました。
1982年6月にハブレ率いる北部軍隊(FAN)が首都を制圧、臨時国家評議会が発足、1982年10月にハブレ大統領が就任、1983年7月にリビア地上正規軍が介入しました。
1987年9月にチャド・リビア停戦が協定(OAU調停)、1990年12月にデビー・イトゥノ元軍司令官首都が制圧、国家評議会が組織され、1991年3月に国民憲章が採択、デビー・イトゥノ大統領が就任しました。
1996年7月に複数政党制の下、デビー・イトゥノ大統領が再任、1997年1月-2月に国民議会議員選挙が実施、2001年5月に大統領選挙が実施、デビー・イトゥノ大統領が3選しました。
2004年5月に憲法改正によって大統領再選回数制限が撤廃、2006年5月に大統領選挙が実施、デビー・イトゥノ大統領が4選、2011年4月に大統領選挙が実施、デビー・イトゥノ大統領が5選しました。
2016年4月に大統領選挙が実施、デビー・イトゥノ大統領が6選、2018年4月に新憲法発布により、首相職が廃止、大統領任期が5年、大統領再選回数1回までとなりました。
「チャド共和国」の国民・宗教・言語について
「チャド共和国」の国民について
「チャド共和国」の人種割合は、スーダン系の黒人が大半を占めており、およそ200種類の民族に分かれています。
チャドの民族は、宗教によって北部・中部のムスリム(イスラム教徒)系の民族と、南部のキリスト教徒やアニミスト中心の民族に大きく分けられます。
チャドは南北の民族対立の激しい国家ですが、いわゆる「南部の民族」の居住する地域は地理的な南部よりもはるかに狭く、シャリ川以南の国土南西部に限られ、それ以外の地域は「北部の民族」の居住地域とされています。
最大民族は、南部の農耕民であるサラ人であり、人口の約27.7パーセントを占め、南部の民族には他にムンダン人などが属し、全人口の半分弱を占めています。
北部系の民族で最も大きなものは、主に中部に住む牧畜民であるバッガーラ人などのアラブ系民族で、人口の約12.3パーセントを占めています。
このほか北部の民族としては、サハラ砂漠に住む遊牧民のトゥーブゥー人や、東部に主に居住するザガワ人、そのほかハウサ人やフルベ人、カネンブ人、マバ人などが存在します。
「チャド共和国」の宗教について
「チャド共和国」の国家宗教は、イスラームが約57パーセント、キリスト教や伝統信仰が約43パーセントです。
国土の大部分がイスラム教徒の多数派地域で、キリスト教徒は南西部に集住するが、この地域は雨量が多いため人口密度が高く、人口比としてはそれほどの差はありません。
「チャド共和国」の言語について
「チャド共和国」の公用語は、フランス語とアラビア語で、そのほかの言語として、南部のサラ諸語に属するンガムバイ語や、別系統のムンダン語、北部のトゥーブゥー語に属するテダ語やダザガ語、チャド湖周辺のカヌリ語や中部のアラビア語チャド方言、カネンブ語、マバ語など約120以上の言葉が使用されています。
「チャド共和国」の経済状況について
「チャド共和国」の通貨はCFAフランで、GDPは約113億米ドルで、世界140位です。そして、一人当たりのGDPは約653.98米ドルで、世界178位です。
「チャド共和国」の貿易について
「チャド共和国」の貿易相手は主に、輸出がインド、米国、オランダ、UAE、中国で、輸入が中国、UAE、フランス、米国、トルコとなっています。
「チャド共和国」の主な輸出品目は、石油、貴石、樹脂、種子、綿で、輸入品目は、機械類、電子機器、医療用品、車両です。
「チャド共和国」の政治・政策について
政治体制について
「チャド共和国」は、共和制で、議会は、国民議会で188議席です。
「チャド共和国」の政策
「チャド共和国」は、独立後、南部キリスト教勢力中心の政府に北部イスラム勢力が反発しました。
1980年代は、北部勢力が政権を有するも北部勢力間抗争により情勢が不安定化し、1989年に仏の支援を受け、ハブレ大統領が全土を掌握しました。
1990年にスーダン等の支援を受け、クーデターによりデビー・イトゥノ元軍司令官が大統領に就任、現在まで長期政権が継続しています。
政情不安定な周囲国からチャド内政への影響、周囲国に潜伏するチャド反政府組織による東北部への侵入が懸念されています。
また、2015年2月以降、イスラム系過激派組織「ボコ・ハラム」の影響によってチャド湖流域の難民・人道状況が悪化しています。
「チャド共和国」の元首・首相・外傷について
「チャド共和国」の元首について
「チャド共和国」の元首は、イドリス・デビー・イトゥノ大統領です。
「チャド共和国」の首相・外相について
「チャド共和国」の首相は、2018年5月新憲法によって廃止、外相は、シェリフ・マハマット・ゼネ外務・アフリカ統合・国際協力・ディアスポラ大臣です。
「チャド共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「チャド共和国」は、デビー・イトゥノ政権が発足時に非同盟・反新植民地主義を表明し、仏等西側諸国と友好関係を増進し、現在は、マリ北部へ派兵してボコ・ハラム対策も積極的に取組むなど、地域安定化に貢献しています。
1962年、台湾と国交を樹立、1972年に中国と国交を樹立、1997年に台湾と国交を再開、2006年8月に中国と国交を再開しました。
軍事力は、予算は、2017年現在、約1.65億ドル、兵役は徴兵制度、兵力は、約3万350人で、その内訳は、陸軍約25,000人、空軍が約350人、共和国警護隊が約5,000人です。
「チャド共和国」と「日本」の関係は?
「チャド共和国」と「日本」の政治関係は、1960年8月に日本がチャドを承認、在カメルーン大使館が兼轄、在京大使館はなく、在中国チャド大使館が兼轄しています。
2005年に東部アベジェにスーダン難民支援のためのJICAフィールドオフィスを開設しましたが、治安悪化によって2006年に末閉鎖、2013年5月にTICAD V出席のため、デビー・イトゥノ大統領がチャド大統領として初めて訪日しました。
2016年5月に同大統領はは、伊勢志摩G7サミット・アウトリーチ会合出席のため再来日して首脳会談を実施しました。
2018年5月に佐藤外務副大臣(当時)は、現職政務としては初めてチャドを訪問し、デビー・イトゥノ大統領を表敬、シェリフ外相と会談を実施した実績があります。
経済関係は、対日貿易のいて、貿易額は、2019年現在、輸出が約0.22億円、輸入が約4.6億円で、主要品目は、輸出が植物性原材料、革製品で、輸入が医薬品、機械類・輸送用機器、金属製品です。
進出日本企業は、2018年10月現在、ありません。
文化関係は特になく、在留邦人数は、2018年10月現在で5人、在日当該国人数は、2019年6月現在で3人です。
まとめ
以上、国特集「チャド共和国」でした。
ちなみに、「チャド共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「179位」でした。
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