東日本大震災における各機関からの支援の手と活動について

日本の災害を語る上で欠かせない、未曽有の大災害となってしまった東日本大震災は、被災地へ支援のために日本全国から、そして全世界からも多くの組織が集まり、活躍しました。ここでは、東日本大震災における各機関の活躍についてまとめました。


全国から集まった警察組織の活動

広域緊急援助隊を被災地へ派遣

警察の仕事というと、犯罪の抑止や交通違反の取り締まり、という面が注目されるかもしれませんが、実は警察の中でも救助活動を行う組織があります。機動隊や、広域緊急援助隊です。日本全国で自治体では対処できないほどの災害が起きた場合には、都道府県の区域関係なく、要請があれば警察の救助組織として、被災地へ支援のために派遣されます。

東日本大震災時には、岩手県・宮城県・福島県と被災地三県の県警察の要請により、全国から広域緊急援助隊員などがのべ約38万9,000人、一日当たり最大約4,800人の警察官が被災地へ派遣されました。

津波からの避難誘導

震災時、大津波警報が発令された地域にいた警察官は、住民の高台への避難誘導を積極的に行いました。また、高台への避難だけでなく、偶然鉄道に乗っていた時に地震に合った被災地の警察官が、同じ電車内に乗り合わせていた乗客を、高台にある町役場まで避難させた実績があります。

その後、列車は津波によって脱線・転覆してしまいましたが、避難誘導によって乗客は全員無事でした。

救出救助及び捜索

被災地の警察や消防、全国から派遣された機動隊が連携し、被災地での被災者の救出救助、そして行方不明者の捜索を行いました。

救出救助や行方不明者捜索においては、消防は生存者に重きを置く半面、警察は既に亡くなっている方も含めた活動が主になります。この前提がありながらも、検索中の警察官が生存し、助けを求めている被災者を見つけ、消防と連携を取って救出した実績も沢山あります。

亡くなった方の検視や身元確認

警察官の広域緊急援助隊には、監察官や捜査一課の警察官も選抜される、といった特徴があります。なぜなら、既に亡くなっている人の死因や死亡推定時間の特定、身元の割り出しなどに優れているからです。

死人の特徴を割り出し、その人の死ぬ前の姿を見つける事ができるのは、警察官ならではの専門性と言えます。これを生かして、国の都道府県警察から1日当たり最大497人の広域緊急援助隊が、津波による被害が大きく、多くの遺体が収容された岩手県、宮城県及び福島県に派遣され医師や歯科医師などの協力を得ながら、遺体の検視・身元確認等を行いました。

津波の被害に合った方のご遺体は損傷もひどく、かつ泥汚れなども多くありました。ところが、被災地では断水・停電をしていた地域も多くありましたので、限られた水しか使用できませんでした。それでも、少ない水で丁寧にご遺体を洗い、少しでもその人の生前の姿を取り戻せるように、多くの警察官が努力をしたのです。

身元不明者・行方不明者の身元確認のための様々な取り組み

災害の中で身元不明のご遺体を確認する時は、例えば建物が倒壊して圧死した所にいた場合、民家ならその家に住んでいた方、オフィスビルならそのオフィスに勤めていた方、など大体の見当をつける事ができます。

ところが、東日本大震災での身元不明のご遺体は、津波による被害者がほとんどだった為、実際にその方がいた所から遠く離れている場合が多く、見当をつける事が困難でした。その為、警察では遺体安置所にご遺体の特徴や身に着けていたものなどの特徴を記しておくだけでなく、当該県警察のウェブサイトにも、同じ情報を掲載するなど、より多くの人に情報が周知できるように工夫を行いました。


また、行方不明となっている方を探しているご家族から、DNA鑑定の為の資料を提出して貰ったり、日本赤十字社から、行方不明者に献血の履歴がある時にはその血液検体を提出して貰ったりと、行方不明者の捜索の為の取り組みを現在でも行っています。

福島第一原発周辺を含む、警ら活動

大災害が起きた後は、被災した人々の精神状態や環境が悪化してしまう事により、被災地の治安も悪くなってしまいます。また、残念ながら「火事場泥棒」という言葉もある通り、被災者の留守宅や閉店している店舗を狙って強盗や窃盗が起きる可能性もあります。

これらの被災地における犯罪の防止や抑止のためにも、警察官は重要な役割を果たします。東日本大震災でも、「地域警察特別派遣部隊」、「特別機動捜査派遣部隊」の編制及び被災地への派遣を始め、多くの警察官が警ら活動を行いました。この警ら活動や警戒活動は、福島第一原子力発電所の半径10キロメートルから20キロメートルの圏内でも行われました。

また、被災地での直接的な犯罪の抑止だけでなく、インターネットを通じた震災に関連した詐欺や悪徳商法も発生しました。これらの犯罪の犯人も、警察によって逮捕されています。

また、避難生活の中で困った事があった時や、女性でも気軽に話ができるようにと、女性警察官を配置した移動交番の設置なども行っています。相談だけでなく、すぐそばに警察官がいるという安心感も、被災者の大きな支えになったと言われています。

交通に関する事

住民が安全かつ迅速に非難ができるように、また、被災地へ全国から集まった緊急車両などの関連組織の車両がスムーズに侵入できるように周辺の交通整備や避難誘導、緊急交通路の確保など、交通に関する事も警察が行いました。

また、緊急交通路を通過するには、緊急通行車両確認標章が必要になりますが、東日本大震災の時にはこれもスムーズに発行・配布されたため、全国からの応援もすぐに駆け付ける事ができました。

全国から集まった消防職員の活動

緊急消防援助隊が集まる

東日本大震災が発生してからすぐ、岩手県・宮城県・福島県の被災3県を除いた全国44都道府県から、緊急消防援助隊が派遣されました。

この消防隊の派遣総数は平成23年5月15日時点で約7,500隊(うちヘリ58機)、約2万8,400人に上りました。これは、日本全国の消防職員の六分の一に相当する人数となっています。

各部隊に分かれて活動

緊急消防援助隊は、都道府県部隊で指定された被災地各地域へ向かい、各部隊にわかれて消火活動、救助活動、救命活動を行いました。

津波被害のあった所で、建物の上などの取り残されていた方の救出や、瓦礫の中での検索活動が中心となりました。救出した被災者の方々をボートに載せて、自分たちは冷たい津波で浸かってしまった街の中を濡れながら移動させたり、足場の悪い瓦礫の中での救出救助活動を行ったり、DMATなどの医療機関と連携して、救急処置を行ったりなどです。

神戸市消防局員の「恩返し」

緊急消防援助隊の中には、兵庫県隊である神戸市消防局の消防職員もいました。特に彼らは、阪神淡路大震災の時に全国からの支援の手を受けた経験があり、東日本大震災の時にはその時の恩返しという気持ちも込めて、活動にあたった職員が多いというエピソードが残っています。

震災発生直後には、その気持ちを込めて「いつでも東北に出発できるように」という気持ちから、市内で東北地方の地図を買い集めたり、食料や燃料のチェック、使い捨てカメラなど必要と思われる物資を集めたりして、準備をした消防局もあります。

兵庫県隊は、「最初は東京方面へ」という指示に従って東京方面を目指し、途中で震度6の自信が発生した長野県に立ち寄る様に言われて長野県に入り、特に被害がなかったため再度東北を目指し…と、指揮系統の混乱から色々な場所をいわゆる「たらい回し」にされてしまった事もありました。それでも、被災地に入ってからは懸命に消防活動を行いました。

福島第一原発への注水作戦

特に東日本大震災における消防の活動で欠かせないのが、3月18日より行われた福島第一原発への注水作戦です。


福島第一原発が津波で全電源喪失状態となり、原子炉建屋からの爆発によって多くの放射線が外気に放たれました。人間の力では制御できなくなった膨大なエネルギーは、刻一刻と放射性物質を放出し続けます。この核燃料棒の冷却のために、注水作戦を行ったのが東京消防庁のハイパーレスキュー隊です。

注水に使用された車両は屈折放水塔車、注水する水は海岸部から海水を引いたのですが、屈折放水塔車へ水を供給するスーパーポンパー送水車及びホース延長車が、津波による瓦礫のため海岸部へ侵入できず、1本50m、重さ100キロのホースを合計10本、隊員たちの手によって伸ばされました。

消防で定められている放射線被ばくの限界量は30mSvと決められており、福島第一原発では、最大被ばく量を80mSvと決めて活動を行いました。(最大被ばく量は100mSvで、100mSvの被ばく量になった隊員は、生涯一度も放射線災害現場への出場を認めない事となっている)化学防護服を着用していても、防塵効果はあっても放射線は防護服を貫通して人体に届く為、活動時間が長ければ長くなるほど、体内への被ばく量は増えてきます。

時間との戦いの中で行われた注水作戦は、当時の東京消防庁警防部長佐藤氏及びハイパーレスキュー隊高山隊長の「隊員たちを家族の元に帰してやれてよかった」という言葉からも、国難の上で命をかけた作戦であった事が分かります。

被災地の駐屯地も含めた、自衛隊の活躍

自衛隊の災害派遣要請

自衛隊とは、書いて字のごとく日本と言う国を守るために組織された機関です。活動内容のひとつに、大規模災害時の災害派遣要請に応じ、被災地での活動を行う事があります。

警察、消防と同じく人命救助や行方不明者の捜索活動などの他、自衛隊は多岐にわたる災害活動を行っています。護衛艦を使用して、津波で取り残されてしまった被災者を救った自衛官もいます。

大規模災害に関する活動

被災者の捜索活動や救出、消火活動の他、自衛隊は航空機を使った活動も行っています。被災地上空への航空機を使った情報収集や、ヘリコプターから撮影した映像を官邸や報道機関に提供し、国民に情報として伝える役割も担いました。

また、被災者に対する食糧や物資の供給、給水や入浴施設の支援、道路からのがれきの撤去など、被災者の生活に寄り添った活動を行っているのも自衛隊の特徴です。避難所では、件名に被災者のためのおにぎりを握ったり、炊き出しを行ったり、不安になる高齢者や子供の目線に立って話を聞いてあげたりと、身近な存在としても活躍しました。

自衛隊が東日本大震災で行った活動は、人命救助:19,286名、ご遺体収容: 9,505体、物資輸送:13,906t 、給水支援:32,985t、給食支援:5,005,484食、入浴支援:1,092,526名にも及びます。

福島第一原発事故への対応

消防と同じく、自衛隊も福島第一原発事故への対応を行っています。最初、福島第一原発の状況を空から確認したのは自衛隊機です。そのまま、自衛隊機による上空からの注水作戦が検討されていましたが、上空にも広がる大量の放射性物質の為、航空機による注水作戦は行われませんでした。

その後、避難指示区域からの避難誘導支援や、原子炉の冷却のための放水活動、放射線量測定(モニタリング)、除染などの活動を行いました。

物資と共に、ハートも届ける

自衛隊と被災者の間の、色々なエピソードもあります。メディアでは被災地で支援や活動にあたる人のヘルメットなどに、「がんばろう! 仙台」などのステッカーが貼ってあるのを見かけました。これは、どこの部隊かはわかりませんが、自衛隊のどこかの部隊が貼りだし、広まったものです。

被災者には、「物資だけでなくハートも届ける」という自衛隊員の気持ちが込められています。

世界からも支援の手 多くの国からの支援

東日本大震災直後から、世界各国からも日本を支援したい、被災地へ応援に行きたい、という要請がありました。国連に加盟する191ヶ国の国及びいくつかの国や地域、約43の国際機関等からの支援要請や、お見舞いのコメントなどがありました。

国際機関やNGO団体、組織からの支援がありました。国単位の国際援助隊を被災地に派遣したのはもちろん、義援金や物資などの面でも多くの支援の手がありました。

民間テレビ番組で募った義援金と合わせて、全世界でも最多の義援金である200奥円を送った台湾や、アメリカの「オペレーション・トモダチ」を始めとして、多くの国から支援があり、「今まで日本が助けてくれたから」と、恩返しの気持ちも込めて支援を行う国もありました。

それぞれも、被災者である事を忘れてはいけない

警察や消防、自衛隊が全国から集まり、被災地で多くの活動を行いました。また、全国から集まった組織のスタッフだけでなく、被災3県の岩手県・宮城県・福島県の警察官、消防職員、自衛隊員も活動を行っています。

被災地の警察官、消防職員、自衛隊員は組織の人間であり、被災者でもあります。家族のそばにいてあげたいのに、任務へ向かった人もいますし、自分の家族や身内の行方が分からない中でも任務にあたっている人もいました。また、地震発生当時に非番や休みであった人が、そのまま警察署や消防署、駐屯地へ駆けつけようとして津波に飲まれ、殉職してしまったケースも多々あります。

また、被災地では自分たちは温かい食事を取らず、自衛隊の携帯食などの冷たい食事を短時間でかきこみ、あまり眠れない中活動を行っています。


自分自身も被災者にも関わらず、国難の時には力を合わせて活動を行う警察官、消防職員、自衛隊員は、日本が誇るヒーローたちと言っても決して過言ではありません。

(文:千谷 麻理子)

本記事は、2017年10月17日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

気に入ったら是非フォローお願いします!
NO IMAGE

第一回 公務員川柳 2019

公務員総研が主催の、日本で働く「公務員」をテーマにした「川柳」を募集し、世に発信する企画です。

CTR IMG