戦乱と災害、二つの側面を持つ「海外における自衛隊派遣」について

国家公務員である「自衛隊」は要請があれば、国内だけでなく海外へも派遣され、活動を行います。その自衛隊の海外派遣は大きく分けて戦災、その他の災害に対する活動と分かれています。

今回は、自衛隊の海外派遣の内容や今までの実績、海外派遣をめぐる課題などについて解説しています。


自衛隊の海外派遣の歴史について

憲法第9条などが背景にあり、元々自衛隊の海外派遣には消極的だった

日本国憲法第9条の平和主義において、日本は軍隊を所有しないとしています。ですので、日本の自衛隊の立場も軍隊ではなく、万が一外部からの脅威を受けた時にも先制攻撃をせず、日本国内の領域内で撃退を行う「専守防衛」のための「必要最小程度の実力」と定義しています。この考え方から、自衛隊が軍隊と見なされる紛争を中心とした海外での活動を日本政府は避けてきた背景があります。

今まで何度も国連などから日本へ、自衛隊の海外派遣に対する要請が出されてきましたが、その都度日本国憲法第9条にのっとった自衛隊法や防衛庁設置法に反すること、また日本の派遣先に対する興味関心が薄かったこと、派遣予算が膨大になるなどの理由からその要請を固辞してきました。

冷戦終了、湾岸戦争がきっかけで自衛隊の海外派遣開始

冷戦が終わり1991年に勃発した湾岸戦争では、国連による多国籍軍の派遣が行われ、これをきっかけに日本にも海外派遣への積極的な協力を求められるようになりました。日本国内でもバブル景気の最中で、国民が日本の海外進出に関して意識が変化したことも追い風になり、同年掃海部隊の自衛隊ペルシャ湾派遣を初めて行ったことをきっかけに、自衛隊の海外派遣が行われるようになります。

1992年にPKO協力法と国際緊急援助隊の派遣に関する法律が成立

最初に自衛隊の海外派遣が行われた1991年の翌年、1992年には「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(通称PKO法)が成立、また「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」が改訂されました。これを受けて現在まで、自衛隊はこのふたつの法律にのっとり「紛争が原因の戦乱」「それ以外の災害」に対して海外派遣が行われています。

PKO法による自衛隊の海外派遣について

紛争が原因の戦乱=PKO協力法によって派遣

自衛隊が海外派遣要請を受けた時の要請理由が「紛争が原因の戦乱」だった場合、自衛隊はPKO協力法にのっとった海外派遣が行われます。PKO協力法とは、正式名称「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」です。

国際連合の平和維持活動(PKO)とは

国際連合の平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations 通称:PKO)とは、国際連合が集団安全保障の実現のために、戦争の当事者に間接的に平和的解決を促すための活動、と定義されています。PKOに基づいて各国から派遣される部隊で国連軍部隊の国際連合平和維持軍(United Nations Peacekeeping Force)を編成、小規模の軍隊を現地に派遣して活動を行います。

具体的には、休戦や停戦地帯の監視や停戦交渉、調査活動などの任務、当事者の兵力の引き離しや先般の引き渡し監督や逮捕、避難民の移動や人道救済活動、インフラ整備など、武装した平和維持軍による平和維持のための任務のほか、紛争の原因となっている敵対両勢力を合意に基づいて引き離す分離行動、緩衝地帯に検問所を設けたり、侵入者を制限したりする移動統制、あらかじめ立案した作戦では予測できなかった不測の事態(平和維持軍全員が当事者に拘束される、など)に対して予備隊が支援を行う不測事態対処などが行われます。また、必要最小限ですが、万が一の必要が生じた場合には武力行使も認められています。

PKO協力法による自衛隊の海外派遣活動とは

PKO協力法では自衛隊は国連のPKO活動に代表する、国連その他の国際機関等が行う人道的な国際救援活動に協力するために自衛隊の海外派遣を行うと定義しています。紛争が原因の自衛隊の海外派遣に対しても、理由が「紛争への参加」=軍隊ではなく、あくまで「人道的な国際救援活動への協力」=軍隊ではない、と定義し、自衛隊の海外派遣活動が違憲ではない根拠となっています。

実際に、日本の自衛隊がPKO法によって海外派遣される時に行う活動は、復興支援や地雷・機雷などの除去や撤去、災害救助、アメリカ軍の後方支援を目的としています。自衛のために最小限度の武器の携帯は許可されていますが、武力紛争に巻き込まれる可能性の低い地域を中心に、非武装もしくは軽武装の要員や部隊を派遣し、救難、輸送、土木工事などの後方支援活動や司令部活動にとどまっています。なお、現在まで自衛隊のPKO法による海外派遣の際、直接戦闘に参加したことはありません。

PKO協力法の改正による変化

PKO協力法成立当初は、自衛隊の部隊としての参加=軍隊と定義されてしまうため、部隊としての参加協力が必要となるPKOへの直接参加はできませんでした。2001年のPKO協力法改正では、自衛隊の国連平和維持軍への参加が法律上でも認められるようになり、2015年9月19日には平和安全法制成立を受けてPKO協力法も改正、巡回・検問・警護からなる「安全確保業務」の中に「駆けつけ警護」が追加され、武器の使用権限が拡大しました。離れた場所や国にいる他の国の部隊やPKOの職員、NGO職員などに武器を使用しての警護や保護が可能になり、より平和維持軍との連携が取れるようになりました。

現在までのPKO協力法による自衛隊海外派遣実績

▼PKO参加実績
1992年9月17日から1993年9月26日までの国際連合カンボジア暫定統治機構派遣に始まり、1993年5月11日から1995年1月8日までの国際連合モザンビーク活動参加のための派遣、2002年2月から2004年6月27日までの東ティモール派遣、2010年2月8年から2013年3月の国際連合南スーダン派遣団協力のための派遣などの実績があります。


現在、2011年11月から国際連合南スーダン派遣団協力のための派遣が行われています。2017年5月に平和維持軍の部隊としての派遣は終了し、現在司令部要員4名のみ継続で派遣されています。

▼後方支援や復興支援派遣実績
自衛隊の最初の海外派遣となった1991年6月5日から9月11日の自衛隊ペルシャ湾派遣に始まり、2001年11月から2007年11月まで、及び2008年1月から2010年1月まで、アメリカ海軍など各国艦艇への後方支援を目的とした自衛隊インド洋派遣、2004年1月16日から2008年12月までの自衛隊イラク派遣の実績があります。

▼難民救援のための派遣実績
1994年9月21日から12月28日までルワンダ紛争、1999年11月から2000年2月まで東ティモール紛争、2001年10月にアフガニスタン紛争、2003年3月~4月までイラク戦争、それぞれの紛争や戦争による難民救援のために派遣された実績があります。

▼在外邦人輸送のための派遣実績
2004年4月15日のイラク日本人人質事件発生を受け、イラクサマーワに在留していた報道関係者10名をクェートのムバラク空港まで輸送。2013年1月22日のアルジェリア人質事件を受けて7名の邦人と9名の遺体を日本に輸送、2016年7月3日ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件の被害邦人7人の遺体とその家族を日本に輸送、南スーダンの大統領派と副大統領派の衝突激化のため2016年7月11日に日本大使館員4名を南スーダンの首都ジュバからジブチに輸送した実績があります。

JDR法による自衛隊の海外派遣について

戦争が要因ではない、その他の災害に対する海外派遣

戦争や紛争に由来する戦災以外の災害のためにも、自衛隊の海外派遣が行われています。自衛隊の災害のための海外派遣は、海外諸国で大規模災害があった時、被災地の要請を日本が受けて編成、派遣される「国際緊急援助隊」(Japan Disaster Relief Team通称: JDR)の1部隊として派遣されます。

国際緊急援助隊の派遣は、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(通称JDR法)にのっとって行われます。

参考:公務員総研 世界の災害現場へ支援の手を – 国際緊急援助隊と消防・警察の援助隊
https://koumu.in/articles/590

JDR法による自衛隊の海外派遣活動とは

自衛隊は要請を受ければ日本国内の災害派遣も行われ、それには人命救助のための活動も含まれます。具体的には、自衛隊の持つ航空機やヘリコプターを利用した高所からの人命救助や、空輸力を生かした急患搬送などです。

一方で、JDR法による自衛隊の海外派遣活動時は、消防、警察、海上保安庁と同じ国際緊急援助隊として部隊を編成され、派遣されます。既に人命救助のスペシャリストである消防組織も同じ舞台として参加しているので、災害現場では自衛隊は人命救助に関する活動は行わず、主に復興支援や医療支援、後方支援を行っています。

現在までのJDR法による自衛隊海外派遣実績

▼国際緊急援助隊としての海外派遣活動
1998年11月13日から12月9日までホンジュラスのハリケーン、2010年8月19日から10月10日までパキスタンの洪水、2013年11月13日から12月20日のフィリピンの台風などの自然災害の他、2001年2月5日から11日のインド西部地震、2004年12月28日から2005年1月1日、及び2005年1月12日から3月22日までスマトラ島沖地震(タイ、インドネシアの二国へそれぞれ派遣)、2015年4月28日から5月21日までのネパール地震などの大地震、2014年3月13日から4月28日までのマレーシア航空370便墜落事故、2014年12月31日から1月9日までのインドネシア・エアアジア8501便墜落事故の事故、2015年12月6日から11日までの、西アフリカエボラ出血熱の流行に対する物資輸送のためのガーナ派遣などの実績があります。

▼国際緊急援助隊以外の災害派遣への海外派遣活動
2001年2月10日のえひめ丸事故発生により、8月に愛媛県からの要請を受けて潜水艦救難艦ちはやを遺体捜索のために現地に派遣されました。

その他の自衛隊海外派遣について

遺棄化学兵器処理

現在の中国東北地方、旧満州国に関東軍が遺棄したとされる化学兵器の発掘・回収・処理を中国と協力して行っています。主に砲弾の識別、砲弾の汚染の有無の確認、作業員の安全管理などを行い、現在まで7回現地に自衛隊が派遣されています。

能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)

非伝統的安全保障分野における派遣を2012年度から東ティモール・カンボジアへ行っています。また、今後も東南アジアを中心に自衛官の派遣が決定しています。

今後の自衛隊海外派遣の課題

派遣された自衛隊員のメンタルケア

沖縄戦を経験した人の約4割がその後PTSDを発症したなど、紛争地域や災害現場への派遣は心身ともに大きなストレスがかかります。特に、自衛隊の海外派遣は長期にわたる事もあり、自分自身の身の安全が脅かされる場面も多くなっています。

実際に、イラクやインド洋に海外派遣された自衛官が50名以上在職中に自殺した、というデータもあります。現在海外派遣をされた自衛官のうち、1千人以上がPTSDの傾向があるとも言われています。また、派遣された自衛官本人だけでなくその家族にも大きなストレスがかかります。


今後は自衛隊の海外派遣において、本人とその周辺の人々へのメンタルケアを十分に行う、という課題があります。

参考:
自衛隊員、海外派遣でPTSD傾向、自殺も 南スーダンでは「深い傷」 メンタルケアの重要性
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/jsdf-ptsd?utm_term=.yfKrRleRK#.baJLexMeg

憲法第9条の問題

日本国憲法第9条で掲げる平和主義では、「戦力は、これを保持しない」としています。自衛隊を軍隊と定義してしまうと、自衛隊を戦力と見なしてしまうので、PKO協力における平和維持軍への参加は紛争解決手段とはいえ、憲法第9条に違反しているのではないか?という意見もいまだ根強くなっています。

また、世論では自衛隊自体を違憲な存在であるとして「自衛隊はいらない」といった過激な思想も存在しています。

今後、国民へ分かりやすくするなどの理由で、憲法第9条の改正に焦点が当てられていますが、自衛隊の解釈のためだけの改正は本当に必要なのか。また、軍隊と定義しないために自衛隊そのものがPKO活動を行う時に、武器使用が制限されているので危険性が上がってしまうなどのデメリットはどうするか。など、自衛隊の海外派遣では第9条をめぐる課題も残っています。

まとめ

幅広い活動を展開している自衛隊の海外派遣は、人道的な援助の面でも重要な活動でもあります。しかし、軍隊ではない、という括りにとらわれて自衛官自体の安全が保障されなかったり、帰国後のメンタルケアなどの課題も残っていたりする事が分かりました。人への助けのために自分の身を犠牲にする日本人らしさも感じられますが、もはや日本の財産のひとつともいえる自衛隊そのものへのケアも必要なのではないでしょうか。

(文:千谷 麻理子)

本記事は、2018年2月22日時点調査または公開された情報です。
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