「法の支配」とは
法の支配とは、「国の政治が、法に基づき、法にしたがって行われるべきである」という原則のことです。中世以来のイギリス法の原理となっており、法の内容を重視します。
「法の支配」は「人の支配」を否定するもの
法に基づかず、絶対君主などの個人の考えによって統治がなされるものを「人の支配」と言います。
「法の支配」では、絶対王政にみられるような 恣意的な「人の支配」を否定し、権力の上にも法をおき、治める者も治められる者と同様に法によって拘束されるべきであると考えます。
「法の支配」の歴史:どのように成立したのか?
「法の支配」の考えは、中世のイギリスで確立した、裁判所が判決を通じて作り上げてきた慣習法や判例法などの体系であるコモン・ローを背景に発展しました。
イギリスでは、まず1215年のマグナ=カルタ(大憲章)によって、国王の権限が制限されます。
そして、1642年のピューリタン(清教徒)革命、1688年の名誉革命という2つの市民革命を経て、1689年権利章典が出され、議会制定法が国王に優越することが確立します。
こうして、法が「国民の自由や権利を守るために専制君主の権力を制限するものである」という法の支配の原理が成立しました。
「法の支配」における2人の立役者
13世紀イギリスで活躍した裁判官であり、法学者のブラクトンは「国王といえども神と法のもとにある」と述べました。
この言葉を引用して、17世紀前半に王権神授説を信奉する国王のジェームス一世に対し、王権よりもコモン・ローが優位であると主張したのがエドワード=コーク(クック)という人物です。エドワード=コークは、権利章典の起草者でもあります。
「法の支配」と「法治主義」
「法治主義」とは、「法の支配」とは別にドイツで発展した考え方です。「人の支配」を否定し、法により行政を進めるという点では、「法の支配」と共通しています。
一方で、「法の支配」が人権保障のため、統治者に法に基づいた立法・司法・行政を要請するのに対し、「法治主義」は、法の内容よりも議会の制定した法律による行政という形式的な面を重視するところが異なります。
19世紀のドイツや明治憲法下の日本では、形式的法治主義がみられました。
まとめ
以上「法の支配」について解説させていただきました。
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