「大阪市」について
大阪府の府庁所在地である「大阪市」は、同府のほぼ中央に位置する政令指定都市です。同市は、行政・経済・文化・交通のあらゆる面で、近畿地方および西日本の中心都市です。同市内総生産は約22兆円に達し、政令指定都市の中で最大であり、京都市と神戸市と共に形成する京阪神大都市圏の圏内総生産は、国内では首都圏に次ぎ、世界的にも上位に位置しています。
市域面積は、約230平方キロメートルで、20政令指定都市の中では、さいたま市に次いで4番目に小さく、横浜市のおよそ半分です。人口は2018年12月の時点で約273万人で、人口密度は政令指定都市の中で1番高く、全国の市でも5番目です。
政令指定都市の「大阪市」には、現在24の行政区(北区・都島区 ・福島区・此花区 ・中央区・西区 ・港区・大正区 ・天王寺区・浪速区 ・西淀川区・淀川区 ・東淀川区・東成区 ・生野区・旭区 ・城東区・鶴見区 ・阿倍野区・住之江区 ・住吉区・東住吉区 ・平野区・西成区)が置かれています。行政区の数は政令指定都市の中では最も多く、東京都の23区も上回っています。
また、「大阪市」の気候は、府内全域が瀬戸内海式気候に属し、年間を通して温暖です。夏は、とても蒸し暑い酷暑地帯で、8月の平均気温は28.8℃と那覇市を含め全国の都道府県庁所在地の中で一番高いです。近年は、熱帯夜の増加と冬日の減少が顕著に見られます。
>大阪市のホームページ
http://www.city.osaka.lg.jp/index.html
「大阪市」の成り立ち
「大阪市」の成り立ちは、1889年(明治22年)の大阪府下4区を大阪市とした市制施行に遡り、市制特例により、大阪府知事が市長職務を兼務していました。当時の人口は約46万7千人、面積は約15平方キロメートルでした。その後、1898年に市制特例が廃止され、大阪市庁が府庁から独立しました。1956年(昭和31年)9月1日に他の4市とと共に、初代の政令指定都市に移行しました。
歴史的には、古代から瀬戸内海や大阪湾に面した国際的な港湾都市として栄えたことから、「水の都」と称されました。また、近世初期には、豊臣秀吉が大阪城を築き、城下町が整備されました。江戸時代には、江戸をしのぐ経済の中心地として、「天下の台所」と称され発展しました。明治時代に入ると、繊維工業を中心とした工業都市になり、「東洋のマンチェスター」や「煙の都」と称され、戦後もしばらくの間、東京を経済面でリードしていました。
大阪市長「吉村洋文」(よしむら ひろふみ)さんはどんな人?
2015年12月から大阪市長を務める「吉村洋文」さんは、1975年6月17日に大阪府で生まれました。大学卒業後、司法試験に合格。その後、大阪市会議員、衆議院議員を経て、第20代の大阪市長になりました。史上初めての大阪市会議員経験のある市長で、2人目の国会議員経験のある市長でもあります。2017年には、2025日本万国博覧会誘致委員会の副会長に就任しました。
座右の銘は、「意思あるところに道は開ける」だそうです。
>大阪市長公式ホームページ
http://yoshimura-hirofumi.com/
「大阪市」の行政プラン
「大阪市」の行政プランは、市民サービスの拡充や大阪の成長のための政策推進と、新たな価値を生み出す市政改革について着実に取り組むことをテーマとしています。また、都市機能の充実を図り、それを支える制度づくりに向け、副首都・大阪の確立を目指すとしています。
また、以下の3点を目指す都市像として設定しています。
1) 将来も活気があり続けるために、誰もが安心して暮らすことができ、なかでも子どもたちの教育環境や子育てしやすい環境を整備し、すべての子どもが等しく教育・医療が受けられる「子どもの教育・医療 無償都市大阪」をめざす。
2) 大阪・関西が持つ強みに磨きをかけて、高い付加価値や技術革新を生み出すとともに、緊密なアジアの成長力を取り込み成長する都市を実現することにより、国内外からヒト・モノ・カネ・情報が集まる魅力があふれ、世界で存在感を発揮する東西二極の一極として、副首都にふさわしい大阪をめざす。
3) 地域において、多様な活動主体が「自らの地域のことは自らの地域が決める」という意識のもと、相互に理解し信頼し合いながら協働して豊かなコミュニティが形成されること、さらにこれらの活動主体と行政とが協働して「公共」を担う、活力ある地域社会の実現をめざす。
まとめ
以上、地方自治体特集「政令指定都市」シリーズ、第13回は大阪府の「大阪市」についてご紹介させていただきました。
本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。
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