陸上自衛隊の最も過酷な実践訓練「状況開始」について

国家公務員である「陸上自衛隊」の隊員の訓練についての解説記事です。有事の際に日本の平和と安全を守る任務を果たすために自衛隊の隊員がどのような訓練を行っているのでしょうか。 今回は陸上自衛隊の訓練にスポットを当てて紹介します。


陸上自衛隊の訓練

新聞・テレビなどで見かける自衛隊で一番多いのは災害派遣の復旧活動をしている自衛隊の姿ではないでしょうか。それ以外では、山火事などで消火活動をする自衛隊のヘリや、河川の氾濫などで救出活動をする自衛隊姿もテレビに出る事があります。

その、陸上自衛隊の隊員が居住している駐屯地は、各都道府県に一つ、多い都道府県では4カ所くらいに駐屯してします。それほど地域に密着しているにも関わらず、一般の人は駐屯地内に気軽に入る事は出来ません。

そういう意味では、自衛隊の駐屯地や警察署は一般の人々には敷居の高いものですが、警察の方が自衛隊よりはるかに国民の生活に密着してします。理由は言うまでもなく警察官の勤務は実戦であるのに比べて自衛官の勤務は、戦争と言う滅多に行らないものを想定した勤務だからです。

状況開始とは?

訓練中に、戦争状態の開始を表すのが、この状況開始という言葉です。

『状況開始』は、自衛隊用語で命令の一種ですが、警察や消防も防災訓練などでは使います。自衛官なら直ぐに意味が解りますが一般の人は、何の事か解りません。『状況開始』という命令は『野外演習』でも『図上演習』でも使われます。

この状況開始は、特別な意味と『約束事』があります。単に訓練を開始せよという単純な意味ではありません。

駐屯地の訓練場や、演習場でやる訓練は、基本的な訓練と実戦形式の訓練があります。『状況開始』という命令で始まる訓練は、想定上の敵部隊がいる設定で訓練が始まります。解りやすく言えば実際に戦争をしていると言う想定で訓練をするのです。

『状況』あるいは『状況に入る』というのは、戦闘モード、それもリアルに戦闘状態にあると思って訓練するのです。逆に『状況外』と言うのは戦闘状態では無い状態を言います。具体的には周囲の部隊が状況に入っているのに、ある特定の部隊、隊員だけは状況に入らないという場合に使われる言葉です。

戦争を想定した訓練では、まず訓練開始前に『状況』が作られます。それを『想定』と言います。簡単な一例を挙げてご説明しましょう。

訓練想定の一例

※ 複雑にならないように極端に簡略化しています。

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敵情
山陰・北陸地方に上陸し、京都進行を企図する1個機械科師団の敵は、現在、小浜海岸にて南下準備中。その主力は5月1日早朝より行動を開始すると見積もられる。

その一部である1個機械科連隊は、国道303号線を京都北部に向かい進行中である。


敵の侵攻を京都北部で阻止し、撃破するべき任務を有するA師団は、現在、京都右京区に集結して防御準備中である。なお4月25日以降、米海兵隊1個連隊及び航空部隊がA師団と共同作戦をする。

B連隊は、A師団の先遣部隊となり南下する1個機械科連隊の敵を、京都北部の地区で阻止し、敵の侵攻を遅延させよ!

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と言う具合になります。この場合、現実に存在する部隊は、陸上自衛隊のB連隊だけでA師団も米海兵も存在しません。ちなみに日米共同軍事訓練などの、こういう場合、1個海兵隊の部隊としてこの実動訓練に参加する訳です。

この場合のB連隊の任務は、敵部隊の侵攻を遅らせると言うのが戦術任務です。そして訓練の形態は防御戦闘訓練になります。そして演習場内のある地点を現実の地点に置き換えて戦闘行動を訓練します。

『状況開始』というのは仮想の戦争状態に突入するのです。その期間は『状況終了』または『状況おわり』という命令が出るまで続きます。その終了する時期は、訓練実施部隊には解りません。

想定訓練の教令と戦況現示

実戦を想定した訓練状況をよりリアルに現出して訓練成果を上げる為に様々な戦況現示(せんきょうげんじ)が行われます。戦況現示の一番簡単な例が『空砲』です。小銃の空砲では火薬を爆発させるだけなので、実弾と同じような大きな音がしますが弾は飛んでいきません。

また、想定訓練に先立って『演習教令』と言うものが作られます。演習教令は想定訓練の時の臨時に作られた戦争の『ローカルルール』です。演習の規模によってその内容に差があります。大きな規模の演習ほど教令は細かくなります。

演習教令の一例(状況中のみ適用される)

・戦車の砲弾落下:黄色の擬爆筒(爆発音と、黄色の煙幕)
・砲弾の落下 :上記におなじ。
・戦車 :白い標記を付けた大型トラック
・装甲車 :黄色い標記を付けた小型車両
・航空機 :Uh-1型ヘリコプターは、敵の偵察ヘリとする。
・警笛短音5回 :ゲリラ
・警笛短音2回 :毒ガス

上記の教令の中で、戦車の教令を解説すると、例えば、白い標記(めじるし)を付けたトラックを発見したら、敵の戦車が現れたものとして行動すると言うものです。また、陸上自衛隊航空隊のUH-1ヘリが飛来した場合、敵の偵察ヘリとみなして対敵行動をすると言う具合です。

想定訓練の勝ち負けの判定

実戦を想定して行う『状況下の訓練』は『訓練検閲』と呼ばれる演習になります。これは『状況開始』から『状況終了』までの期間が、短いもので数時間、長いものでは5日程度の長さになります。

状況開始から状況終了までの期間は『状況中』と言い。この間は訓練地域内に存在する自衛隊の部隊は戦争状態にあると言う事になるのです。それでは、この実戦を想定した訓練の勝ち負けは誰がどうやって判定するのでしょうか?

空手で、演武だけで殴り合わない試合をイメージして見ましょう。演武なので実際に攻撃する動作をするだけで殴ったり蹴ったりはしません。審判の『はじめ』が状況開始で『勝負あり、止め』が状況終了です。


そして競技ルールに基づき、審判が攻撃の有効かどうかを判断して勝ち負けを判定します。この時の競技ルールが想定訓練の勝ち負けを判定するルールです。さらに審判に相当するのが『補助官』という演習場内での審判に当たる勤務員です。

状況中の補助官だけは『状況外』として行動します。なお補助官は一人ではなく複数で、規模の小さな検閲では数名ですが大規模な検閲では100名を超える事もあります。

そして、最終的に想定訓練の判定を下すのは検閲を実施する『統裁官』です。この統裁官の判定を補佐するのが補助官という訳です。

戦死や負傷は補助官が指示

状況中は仮想戦闘が行われています。実際に実弾は飛んできませんが、仮想現実の世界では弾丸が飛び交っていますから、当然、撃たれて負傷をしたり戦死したりする隊員が出ないとおかしいはずです。

その場合、その判定をするのが補助官です。その判定の基準も一定の基準に基づき補助官が裁定して該当する隊員に通告します。たとえば『小隊長、戦死!』補助官から、そういう通告を受けると、その小隊長は戦死となります。

当然、訓練には参加できません。戦士になると指定された場所に移動して待機しなければいけません。つまり、仕事をしないでいいわけです。一見、楽でいいじゃないかと思われるかもしれませんが、実に不名誉な話です。

たとえば、プロ野球の一軍のレギュラー選手が故障で戦線を離脱したら、「あ~試合に出なくて楽だ~」と嬉しがるでしょうか?精神的には苦痛のはずです。それと同じように、ほとんどの自衛官は負傷や戦死を嫌がります。

それはそうでしょう。二日、三日と連続状況下で仲間が訓練をしているのに、一人だけのんびりできるのですから嬉しいものではありません。

状況中の仮眠は?

状況の無い普通の訓練では、訓練部隊はその日の訓練が終了すると演習場内の訓練地域から宿営地に戻ります。なお夜間訓練の場合は、この限りではありませんが、夜は自由時間となり就寝して休養を取れます。

ところが、想定訓練(検閲)の場合、例えば4日間の想定訓練(検閲)になると連続96時間の連続勤務(連続状況)になります。しかも、戦闘状態ですから、休養、仮眠は、それぞれの指揮官の判断で行います。

状況中は秘匿した場所にテントを張るか、そのまま森林の中の防御陣地内や、場合によっては森の中で野宿する事もあります。勿論、警戒態勢を取りつつ、交代で仮眠するのは言うまでもありません。

冬季演習で状況中の野宿は訓練に参加している隊員にとっては、相当過酷なものになります。たとえば、昼間、夜間を問わず、陣地内で警戒任務に就いている隊員などは寝る事は出来ません。待機している交代はテントの中で仮眠する事ができます。

悲惨なのは第一線、つまり敵と対峙しているという想定で状況にいる隊員です。敵が数百メートル前方にいるのですから、仮眠など出来るはずがありません。『仮眠覆い』という少し厚めのシートにくるまって夜を徹底して戦闘行動をとることに成ります。

最悪の場合は携帯雨衣か、なにも身に着けずに戦闘行動を継続します。これが、11月下旬の山中での訓練となると想像を絶する過酷な訓練になります。陸上自衛隊の演習場は、高地や山の上にあるところも多いですから冬場の山中での体感温度はマイナスになる事もあります。

その状況で、森の中で雨衣を被ったまま。場合によっては戦闘服だけで連続した作戦行動をとるのです。通常は最低でも雨衣は携行しますが体感温度がマイナスの山中で夜を徹して行う過酷な訓練に苦痛を感じて退職する若年隊員も少なからずいるのです。

状況中のトイレは?

状況中のトイレはどうしているのでしょうか?状況中に既存の施設を利用する事は基本的にアウトですから、作戦行動中に秘匿隠蔽された適地に野外トイレを構築することに成ります。

と言ってもシャベルで穴を掘るだけで、その周囲を隠したりしますが、状況によっては、穴を掘るだけでトイレとして利用する場合もあります。その場合、は用を足した後、土で埋めないと行けません。

その都度、シャベルを携行して適当な位置を探して用を足す事もあります。その場合は、味方の後方支援部隊の炊事施設からは離隔した所でトイレを構築するのは言うまでもありません。

状況は男子自衛官だけではなく女性自衛官もいます。では女性はどうなのでしょうか?山中で男性自衛官と同じ行動は流石にきついので、女性自衛官だけは『状況外』になって、既存のトイレに行けるのでしょうか?そんな事はありません。戦闘訓練中は、女性も特別扱いはされません。女性自衛官も男性自衛官と全く同じ行動をとります。


訓練が厳しいと言うのは状況の事!

一言で言うと自衛隊の訓練で一番厳しい訓練が状況に入って行う実戦訓練です。その中でも、隊員が例外なく苦痛に感じるのは睡眠不足になる事、つまり眠れない事です。30キロを超える荷物を持って数十キロの行軍も夜を徹して歩く事があります。

また防御陣地の構築も手作業で昼夜を徹して数メートルの深さの塹壕や防御陣地を構築しなければいけません。体力的にも相当きついですが、やはり眠れないという苦しさがあります。

駐屯地で行う一般訓練も、けして楽な訓練ではありませんが、状況中の過酷さと比較すると楽な訓練です。つまり、自衛隊の訓練がきつい。厳しいというのは、この状況中の訓練の厳しさを言う場合が多いです。

ところが、一般の人には戦争中という仮想現実の元で行われている訓練の厳しさが理解できません。こればかりは言葉で、その厳しさや過酷さを伝えるのは無理があります。

確かにそれぞれの指揮官の判断で体力を温存できます。さらに、行動しないで隠れているだけの状態では肉体的に楽な場合もあります。しかし昼夜を通した連続状況下での戦闘訓練は、暑さ、寒さと向き合う訓練になります。

時として相当過酷な訓練になるのです。戦争に天候など関係ないのですから、暴風雨で訓練が中止などあり得るはずもありません。最も台風などがある場合に日程をずらすことはあるでしょうが、状況は基本的に自然と時間との戦闘になります。

状況中は日本国内に敵部隊がいて対峙している訳です。言うまでもなくそれは、いざと言う有事の場合に備えて、様々な実戦データーと経験を学ぶ為の訓練をしているのです。この状況を想定した訓練は、年間を通じてもそれほど多い回数ではありません。

多い年で10回程度です。一度の訓練で1日~4日程度です。それでも、その演習に苦痛を感じて退職する隊員もいますから、やはり自衛官にとっては厳しい訓練なのです。

本記事は、2018年10月16日時点調査または公開された情報です。
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