はじめに
日本でもアメリカでも教師は総じて働きすぎのようです。しかしどんなに残業時間が多くても、教師の仕事にやりがいを感じて、真剣に仕事に取り組んでいる人もたくさんいると思います。
今回はそんな人達でさえ転職を余儀無くされてしまう2つ目の理由、「アメリカの教師の低賃金問題」についてお話ししたいと思います。
今回は、「アメリカで働く教師の離職」という問題についてまとめました。
前回の記事
どこの国でも、教員というのは、やりがいや喜びとおなじくらい、大変なことも多い仕事です。せっかく教師になったのに、精神的・肉体的に辛くなって離職する人も一定数います。
アメリカの教員の給料は高い?それとも安い?
アメリカの教師の年収は住んでいる州、学区、働いた年数、大学の単位習得数によって大幅に変わるので、全国平均で試算するのは難しいですが、学区別なら比較的簡単に平均を調べられます。
例えばフェニックスの日本人補習校があるメサに程近いチャンドラー統一学区で、国立大学の教育学部を卒業して高校教師になった人の1年目の年収は、税込で約3万5800ドル、1ドル110円で計算すると、初年度で年収400万円弱位だそうです。
日本で年収400万円、初任給が月額約33万円と考えると、そこそこのお給料のように思えます。
しかし米労働統計局によるとこの金額は、アリゾナの高校教員の給料ランキングでは全米50州中49位、アメリカの平均世帯の年収を1万8000ドル下回る金額で、この額の給料では、生活に関わる全ての支払いを賄えない教師もたくさんいるそうです。
アメリカの給料日は2週間に1度が一般的で、年収約3万5800ドルの場合、2週に1度の基本給の金額が約1377ドル、そしてそこから健康保険料や税金、年金などいろいろと差し引かれ、最終的な一回の手取り金額は大体945ドル、日本円で約10万円になります。
しかし治安の良いところに部屋を借りると、家賃だけでひと月10万円を超えてしまうこともあり、その他の支払いをすると大体赤字になってしまうので、給料が上がるまでの最初の数年間は、社会人になってもルームメイトや恋人と、アパートをシェアして生活します。
アメリカの教師の昇給方法
教員の年収は勤続年数の他に学部卒業後に大学で何単位取ったかによって変わります。
つまり給料を上げたければ教員として採用された後も、大学で勉強を続けて、自分の学位を学士から修士、博士号と上げていかなければなりません。
働きながら単位を取るためには、莫大な時間と学費がかかります。
学士から修士になるためには60単位以上必要で、働きながらだと年間12単位くらいしか取れないと思うので、最低5年はかかる計算になり、学費の安い大学でも修士を取得するために必要な授業料は日本円にして約500万円、博士号に至ってはさらにその倍以上の学費がかかります。
教師には学費助成金が国から出ますが、それでも学費のほとんどは自腹になり、足りない学費を学生ローンで賄うと、将来その支払いで、生活はさらに貧窮して行きます。
それでも教師の仕事は安定している?
しかしそれでも、教師の仕事は可愛い子供に囲まれた公務員職で、安定した給料を得られる恵まれた職業だと思われがちです。
しかしアメリカの教職員はそうとも限りません。
公立学校職員の求人は、学区ごとに募集されていて、面接の際に学校側から勤務時間帯、仕事内容、給与条件などが提示され、双方条件に納得したら雇用契約を結びます。
高校の教師をしている友人の話では、フルタイム勤務の教師になるには、最低限4年制大学を卒業して、学士バチェラー(Bachelor Degree) と教員免許取得が必要になります。今は教師不足なので、就職は割と簡単にできるみたいです。
雇用契約を結ぶ際に給与の受取方法も話し合われ、大体の人は、授業の行われない夏休み期間中は給料をもらわない事を選択します。
給料は年収を給与支給回数で割るだけなので、そうすると一回ごとの給料の支給金額が増えるからです。
しかしその半面、学校が休みの間は無給状態になるので、教職についている約2割の人たちは、レストランのウェイトレスやスーパーのレジ係などの副業をして、自分達の生活を支えているそうです。
こんな生活状態では教師を続けていけなくなるのも当たり前なのかもしれません。いくら教師の仕事を愛していても転職してしまう人が多いのが頷けます。
まとめ
アリゾナ州の大卒サラリーマンの平均初年度年収は約5万5千ドル、もし4年生大学卒業後、教師の仕事を選ばずに一般企業に勤めるだけで、その人の給料は約30%上がります。
もちろん残業や休日出勤をした場合、手当も発生するので、副業をする必要もなくなります。皆さんそれでも“公立高校教師”の公務員の仕事、羨ましく思いますか。
コメント
コメント一覧 (1件)
日本以外の国の教員の労働環境が知ることができたのは面白かったです。国が違うと職業環境が全然違うということが、今まで考えたことがなかったので新鮮でした。