はじめに
奈良県にある公立の「工業高校の先生」(女性)によるキャリアレポートです。
公務員としての職業・勤務先:高校の先生 / 奈良県にある公立高校(工業)
性別:女性
雇用体系:正規雇用
所有資格:高等学校教諭一種免許状(工業)、危険物取扱者免許乙種4類、自動車運転免許
「高校の先生」を目指した理由
わたしは小中高と、素晴らしい先生たちに出会ってきました。 自分が迷った時に導いてくれたり、自分が得意なことを見出してくれたりと自分が成長できたのは、今まで出会った先生たちのおかげです。 そんな先生たちへ恩返しがしたいと思ったのが教員を目指すきっかけでした。
「工業高校の先生」の仕事内容について
工業高校教員の仕事は、クラス担任や教科指導のほか、校務分掌(生徒指導や教務など)、部活動指導などです。 クラス担任は、クラスの生徒たちの進路指導や学習指導、成績の記録、スポーツ大会や文化祭などクラスに関わること全てに関して責任をもちます。
教科指導は、クラス、学年関係なく授業を持ちます。授業の準備から考査の問題作成、採点まで行います。 校務分掌は教務、生徒指導、保健、情報など、様々に分かれ学校の運営をします。授業時間数を計算し年間計画を立てたり、文化祭等の運営を行ったり、先生方のパソコンの整備を行ったりと仕事は多岐に渡ります。一般的に思い浮かぶ先生の仕事とはかけ離れたことも行なっています。
部活動指導は、ほとんどの先生がそれぞれの部活の顧問、副顧問等になります。その部活の知識があるかないかはほとんど関係なく配属されます。はじめのうちは希望の部活動の顧問になることはほとんどできません。大会の申し込み、練習試合の連絡調整、部費の管理、合宿の計画運営等、具体的な指導のほかの仕事が多いです。
「工業高校の先生」の1日の仕事の流れ
7:30 出勤(ほかの先生が来るまでに職員室の掃除や、ストーブをつけるなど行う) 8:15 朝の打ち合わせ(連絡、配布物、欠席の確認)
8:35 HR
8:50 1時間目の授業開始
12:30 昼休憩(生徒への学習指導で休憩なし)
13:15 5時間目の授業開始
15:05 HR
15:30 清掃指導
16:00 部活指導
18:30 授業準備など
19:45 退勤(学校施錠) 帰宅後授業準備等
授業がない時間には校務分掌の会議がありました。 また、放課後には週1以上で会議がありますが、部活動にいく先生と会議にでる先生で分かれ、生徒だけで部活動をすることがないよう対策をしていました。 放課後や空き時間に授業の準備や、成績の整理など行いますが間に合わず、持ち帰れるものは持ち帰って仕事をする必要がありました。
「工業高校の先生」の給料・残業・有給休暇について
手取り19万 (大卒一年目、部活手当込み(土曜部活)、住居手当込み、残業代はありません。 ボーナスは夏冬で4ヶ月分くらいだったと思います。
残業は月100時間、有給は夏休みや冬休みに取れました。 年20日、翌年へ持ち越せますが、最大40日までです。 退職した時には20日以上残った状態でした。 有給が余った時には消滅するだけですが、他の自治体では一日いくらと買取があったようです。
この仕事で、働いているときに困ったこと
部活動顧問については改善が必要です。 教員側としても知識がないスポーツの指導はできないですし、一生懸命やりたい生徒にとってもプラスにはならないと思います。 また、知識がないことで怪我やトラブルにも繋がるので今後改善が必要です。
教科指導部活指導で帰りが遅くなる先生と、すぐに帰る先生との勤務時間の差が激しいので、仕事の割り振りについては改善が必要です。 帰りが遅いから偉いとは思いませんが、仕事の量が明らかにおかしいと思うことが多々ありました。 これについては学校ごとで違うとは思いますが、どの学校の先生もおっしゃることです。 せめて残業代を支給するなど、熱意ある先生が損しない体制を作って欲しいと思います。
この仕事や職場でよかったこと
担当する生徒たちとの出会いは素晴らしかったです。 在学中は、生徒たちの成長を目の前で見守ることができましたし、退職後も生徒たちから近況報告の連絡があります。 今では友人としていい関係を築いています。
教員という職業は金銭的にも、時間的にも恵まれているとは思えません。 残業代はありませんし、残業時間も結構なもので、帰宅後も仕事をしなければなりません。 退職した今だから言えることですが、教員をやっていてよかったと思っています。
「工業高校の先生)」の仕事エピソード
一年目の時22歳で、生徒とは5歳差でした。 そのせいもあり、授業で関わっていない他のクラスの生徒には舐められがちで、嫌がらせを受けました。 人として成長途中の高校生ですから、まだ心無い言葉を口にしてしまう生徒もいます。 まだ一年目のわたしにとっては、ひとつひとつに傷つくことも多かったですし、今でも思い出して悲しい気持ちになることもあります。
学校には若い先生が少ないので、何年たってもわたしは最年少でした。 若いからと担当になる仕事が年々増え、三年目にはいつのまにか校務分掌の役職がつくほどになってしまいました。 誇らしい反面、毎日が忙しく、授業の準備ができないほどになってしまい、体調をくずしてしまいました。
「工業高校の先生」の職場恋愛について
若い先生が少ないので、同年代で相談をしているうちにすぐに意気投合し、お付き合いに発展する方が多かったように思います。 お付き合いが周りに知られてしまうと、どちらかが転勤となります。 転勤後に別れたり、結婚したりとわたしのまわりの方は、先生同士の夫婦がほとんどでした。
忙しいことも、先生の大変さも理解してくれるから先生と結婚したいという方が多かったです。 職場以外ですと、学生時代の同級生、趣味で出会った方と結婚している方がいました。
まとめ ー「高校の先生」を目指す方へメッセージ
教員という仕事は、勤めるまで知らない仕事もたくさんあります。大変なことがたくさんありますが、少しでもやってみたいと思うのであれば飛び込んで見る価値はある仕事です!がんばれ!
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