中学校の先生として必要なもの、身に着けておいたほうが良い「力」とは?

地方公務員である中学校の先生。今回は、教える力以外に中学校の先生にとって必要なものとはどのようなものがあるかについて実際に中学校の先生をしていた女性に解説いただきました。豊富な知識や探究心、正義感、話術、演技力、聞く姿勢、共感する心などについてお話いただきました。


漠然と幼いころから「先生になりたい」と思っていました。そして、いざ、自分が先生という職につけた時に、ふと、「自分には先生として必要なものが備わっているのだろうか。」という不安がよぎったのを思い出します。

もちろん、先生は、授業をすることが大きな仕事ですから、「教える」力が必要です。よりわかりやすく教えることができるかです。これは、素直に子ども達から反応が返ってきますので、それを受け止めて、より力をあげていく必要があります。

では、その「教える」以外に先生として必要とされるもの、身に着けておいた方が良い力には、どんなものがあるでしょうか。経験上、思いつくものを書き上げてみたいと思います。

豊富な知識と探求心

先生は教える立場の人間です。

特に中学校は、教科担当制で、自分の専門の教科があります。それについての知識は絶対のものを持つ必要があると思います。自分が理解していなければ、子ども達に分かるように教えることはできません。そして、自分の担当教科に関しては、子ども達からだけでなく、同僚からも質問を受け、それにしっかり堪えられるくらいになれるといいでしょう。この教科についての質問は、〇〇先生にすること、と同僚からも思ってもらえれば最高です。

世の中の動きについても良く知っておく必要があります。

たとえば、地元で市長や町長などの選挙が行われるとします。子ども達は、登下校中に選挙ポスターを目にしたり、家庭での会話などから、選挙に興味を持ちだし、学校で、選挙のことを聞いてくるかもしれません。その時に、あなたは担当教科が社会ではなければ、「社会の先生に聞いて。」と答えますか?

もし、子どもの質問にそんな答えをしたら、子ども達から残念がられると思います。教科を越えて世の中の動きについては、せめて新聞に掲載されている範囲で知っておく方がいいでしょう。

また、先生として年を重ねていくと、子ども達との世代間ギャップを感じることがたくさん出てきます。その時に、「もう先生は年だから分からない。」で片付けてしまうようなことはできるだけしない方がいいと思います。これも世の中の動きについてと同じで、前もって知っておけるといいと思います。

しかし、世代間ギャップは、本当に年々、埋められなくなってきます。そんな時などに必要とされるのが、私は探求心だと思います。

子ども達の間で使われる言葉は、本当に日々変化していっています。「何を意味する言葉なのか?」と全く分からない時も良くありました。その時に、「それどういう意味?」と聞けるか、「年だから無理。」で片付けるかの差に、探求心があると思います。


また、子ども達だけでなく、若手の同僚からも世代間ギャップを埋めるような知識をもらえることもあります。若手の同僚とのコミュニケーションも大切です。

一つの例をあげます。

無料配信アプリが流行り出した頃です。スマートフォンを持っていた子ども達は我先にと、ダウンロードして利用し始めました。それを知った時に、当時、私が勤務していた学校の生徒指導主任の同僚(男性・40代後半)が、放課後、若手の同僚のところへスマートフォンを持って近づいて行きました。聞こえてきた言葉から判断できたことは、無料配信アプリをダウンロードしたい、そして、どうやって使うのか教えてほしい、ということでした。

若手の同僚は、すでにそのアプリを使っていたようで、何の問題もなく、生徒指導主任の同僚の質問に答え、てきぱきと指示を出していました。そして、そのおかげで、生徒指導主任の同僚は、無料配信アプリを無事ダウンロードできて、大まかな使い方も理解したようでした。

そのわずか数日後、無料配信アプリを介して、いじめが起こっているとの情報が保護者から寄せられました。学校での対応方法は、生徒指導主任を中心に考えることになったのですが、その時に、前もって、若手の同僚から教えてもらっていた生徒指導主任の同僚は、戸惑うことなく、対応を考えていきました。

もし、あの時に、若手の同僚に教えてもらっていなければ、問題が起こってから、教えてもらって、そして対応を考えるという、生徒指導に必要な、問題が起こったら即対応、からは程遠い対応になっていたと思います。

先生の年齢に関係なく、物事を知るという探求心は、本当に大切なものだとこの時も改めて思いました。探求心を持ち続け、行動を起こせれば、知識も自然と豊富になっていきます。

正義感

これは人として生きていく上で、持っていないといけないもの、といってもいいと思いますが、あえてあげてみました。

子どもは鋭いです。多分、感覚的に身に付いたものであり、年齢を重ねるごとに薄まっていく感覚なのだろうと思いますが、大人が正義感を鈍らせると、すぐに見抜きます。正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと口にするだけでなく、正しいことでないけれど、「大人の事情」で周りに合わせて、やってしまったこともしっかりと子どもは見抜いています。

子どもと対峙する時はもちろん、先生同士のやり取りの中でも、正しいことを正しいということ以上に、正しくないことは正しくない、とはっきり態度で示せるかどうかです。

保護者と一緒で、子どもにとって先生は、日常身近に接する大人の代表です。その代表が、正しくないことを平気でやったり言ったりするような状態は、子どもにとって本当に不幸です。なぜなら、大人を信頼できなくなるからです。いずれは大人になる子どもたちが、その大人を信頼できなくなるようなことを、先生としてやってはいけないのです。

口で「先生、それ間違っている!」と言える子どもはまだ救われます。言葉で互いの考えをぶつけ合え、納得できるところへ導くことができるからです。でも、自分からなかなかそういう指摘ができない子どもは、気持ちの中でモヤモヤを抱えることになるでしょう。そして、そのモヤモヤは当然、先生が作ったものですから、子ども自身が解決することはできません。精神的に不安定になり、暴力的になったり、逆に無表情になったり…。正しくないことを正しくないとしっかりと判断する力を先生が持ち合わせないと子どもを不幸にするのです。

しかし、先生も神様ではありません。時に判断が鈍る時もあります。そんな時には後で気づいた時に、子ども達に、「あの時の先生は間違っていた。」と誤りを認め、謝罪する勇気を持ちましょう。

話術

授業ではもちろん、それ以外の学校生活で、話すことも重要性は言わずもがなだと思います。話すことというよりは、こちらの意思を伝えること、と、思って頂きたいと思います。そのために先生には、ある程度の話術が必要になると思います。

ただ、アナウンサーのように流暢な話術は必要ありません。子ども達の気持ちを引き付ける話術です。


中学校では、学年集会を開くことがあります。学年で問題が起こった時に緊急で集まるものもありますが、私が勤務していた学校のほとんどが、学年集団を意識させるために、月1回など定期的に開いていました。中学校ですので、できるだけ進行は生徒の代表がやっていけるように仕向けていましたが、その集会の総括などは、教師側がやりました。今日の集会では○○先生と××先生が話をして、次の集会では△△先生が話すなど分担を決めていました。

そんな時に、話術があるか、話術がないか、子ども達の反応を見ていると、よく分かります。

同じ状況で、ほぼ内容的にも変わらない話をするのに、子ども達の視線が、この先生には集中して、あの先生には集中しない。この違いは、明らかに話術の違いです。集中する先生が必ずしも大きな声ではきはきと話されるとは限りません。小さな声でも何か、引き付けるものがあれば、子ども達は集中します。また、逆に、大きな声で一生懸命話しても、話し方が一本調子で面白くなければ、子ども達は見向きもしません。

話術というのは、自然と身に付く場合と、経験を積んで身に付く場合があります。いずれにせよ、たくさんの人と積極的に話すことをおすすめします。大卒の新規採用の先生が、とっても魅力的に子ども達に話をして下さったことを何度も見ています。

時には演技力

これは、話術とも通じるものがあるかと思いますが、子どもの心を引き付ける場合には、時には演技力も要求されると私は思っています。

もちろん、日常すべてが演技では大きな問題がありますが、ここは子ども達の心に訴えたいと思った時など、ここぞ!という時には演技力も必要です。

私の場合は、子ども達にしてもらって嬉しかった時や、子ども達の頑張りに感動した時など、少しオーバーかも、と思うくらい、感動の気持ちを、少し演技を入れて、子ども達に伝えました。当然声は大きくなります。また、動作も大きくなります。「〇〇してくれたこと、本当に、本当に、嬉しかったー!!」や、「みんながこんなに頑張れたのは、本当に素晴らしいこと!!」など、口先だけでなく、体全体で伝えました。

また、命にかかわるような危ないことをしたり、仲間を傷つけたり、よくないことを子ども達がした時にも、自分がしたことが大変なことだと思ってくれるように、よりオーバーに注意をしました。

もちろん、そういう場面を見たら、まずは大声が出ます。これは演技でもなんでもありません。先生として当然のことです。しかし、その後、言い聞かせたりする時には、あえて、声を静めて、「先生はこんなことしているキミを見て、本当に悲しく思う。」という気持ちを伝えたりしました。

子ども達に対して、嘘をつくことはよくないですが、自分の感動や怒りの気持ちを伝える時に、より子ども達にインパクトを与えるために、演じられる演技力は、時には必要なものだと思います。

聞く姿勢

先生として、こちらの意思を伝えることは大切だと先に述べました。しかし、それとは真逆の聞くことも先生としては大切になります。子ども達も同僚も、周りの人すべてに対して、その人の思いを聞くことが大切ですが、特に、子ども達の思いを聞く姿勢はぜひ身に付けてほしいと思います。

何か問題が起こったとします。明らかに、その問題を起こした子どもが悪いです。

その時に、「キミはこういうことをやったね。これはいいことではないのは分かっているね。それならやらなければよかったのに。次からは絶対やらないように。」というようなことを一方的に言っていては、問題を解決したとは言えません。もちろん駄目なことは駄目と言いますが、何故駄目なのか、そして、駄目なことを何故やってしまったのか、これからどうしようと思うのか、すべて、子ども達から聞き出すことが大切です。話を一方的に押し付けるだけでは駄目なのです。

これらに対して、はきはきと答える子どもはまず、いません。言葉をかけてから、しばらく待たなければならない方が普通です。でも、こういう問題行動が起きた時こそ、子どもの思いをしっかり聞く姿勢を持ってほしいのです。話すことで、子どもは自分のやったことの重大性に気付き、反省します。そのためにも、ぜひ聞く姿勢を持ってください。聞く姿勢は、イコール待つ姿勢であると言ってもいいと思います。

また、日常の中でも、少し元気がない子どもがいた時にも、「大丈夫?」と声をかけるのか、「ちょっと元気なさそうだけどどうしたの?」と声をかけるかの違いにも聞く姿勢が表れます。

最初の質問では、大抵の子どもは「うん。」と答えて終わります。後の質問では、「実は…。」と心に秘めていたことを話してくれるきっかけになることもありますし、また、話したくない子どもでも「別に何ともないし。」くらいの言葉は返ってきます。そうすれば、「それならよかった。安心した。」など、聞いてから、返すことができます。子どもは、そっけない返事をしても、心の中では先生に気にかけてもらったことを嬉しく思い、先生は話を聞いてくれる人だと思うものです。

採用試験に受かって1年目に、ある講演を聞いた時に、「授業中、寝ている子どもがいたらあなたはどうしますか?」と講師の先生が講演会場全体に問いかけられました。私は、その時、自分が受けてきた教育のことが頭に浮かび、心の中で「授業中に寝るな、と、注意する」と答えていました。

が、講師の先生の答えは意外なものでした。「具合でも悪いの?」と聞くというのです。

「寝るな!」の注意は一方的で、本当に具合が悪くて、授業を聞いている子どもにとっては、どうしようもなくなること。そして、ただ単に眠くて寝ている子どもは、そう聞けばほぼ100%、「大丈夫。ただ眠たいだけ。」と答えるということ。そう答えてきたら、「具合が悪くないのなら、もうちょっと頑張ろうか。」というだけで寝ていた子どもは寝なくなるということ。


最初は正直信じられませんでした。

しかし、実際に実行してみると、講師の先生の話通りになるのです。しかも、卒業後何年もしてから、「授業中、寝ていて先生に心配してもらって何だか申し訳なかったことを今でも覚えている。」などという話までしてくれました。(ただ、授業中寝てしまう子どもを作るような授業をしている教師側にも問題があることはお忘れなく!)

共感する心

「共感」を辞書で調べると、「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。」と出てきます。この心が必要になるのは、多くは、問題行動が起こった時です。(もちろん、日常の何気ない会話の中でも必要な心です。)

問題行動は、その行動を起こす理由があると考えます。その理由を聞いて、この共感する心が持てるかどうかです。

また、例をあげます。

通学自転車のサドルが鋭利なナイフのようなもので裂かれるということが起こりました。いろいろと周りから話を聞いていくと、この行動を起こした子どもが一人浮かび上がりました。呼んで話を聞くと、自分がやったと認めました。

ここで、先ほど話した、聞く姿勢を元に、「何故こんなことをしたのか」聞いてみることにします。もちろん、すぐには口を開きませんが、待つ姿勢で、話してくれるのを待ちます。そして、「むかついたし。」といった短い言葉が出てきたとします。

その時に共感する心が持てるかどうかです。

「むかついたからってこれから2度とこんなことはしないように!」と返した場合、共感する心はありません。「そうなんだね。むかついていたんだね。」まずはこういう、共感する心が必要です。すると子どもは、「うん。」とうなずくことが多くなります。そこからは、聞く姿勢と共感する心の繰り返しです。

共感する心を持っていることが分かれば、どれだけ悪いことをした子どもも、口を開いてくれます。自分の言い分をしっかり聞いてくれるとわかれば、子どもは話すものなのです。

先ほどの例ですが、サドルを裂いたことが、まず最初に目に入ってきて、そのことだけを指導していれば出てこなかったかもしれない、サドルを裂かれた子どもが、先に、サドルを裂いた子どもの筆箱を壊していたことが分かりました。また、日常、言葉でも嫌がらせを受けていたことも分かったのです。

最後に

ここにあげたものがすべてではありません。まだまだ、先生として必要とされるものはあると思います。が、今まで経験した中で、特に必要だと思ったものをあげてみました。

本記事は、2017年12月6日時点調査または公開された情報です。
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