はじめに – 保健室の先生(養護教諭)にはたくさんのやりがいがある
私は保健室の先生(養護教諭)という仕事をしていく中で、日々たくさんの「やりがい」を感じています。この仕事に就いて嬉しかった・楽しかったと思う瞬間もたくさんあります。そしてもちろん、つらかったこともあります。
本記事では、私が保健室の先生(養護教諭)の仕事に感じているやりがい、保健室の先生になって良かったと思うこと、そして保健室の先生になってつらかったことについて、説明します。
保健室の先生(養護教諭)のやりがい3つ
やりがい1:授業を持たないから与えられる「安心感」
やりがいの1つ目は、保健室の先生(養護教諭)だけが与えられる「安心感」があるということです。
養護教諭は、学校の中で授業を持たない唯一の教諭です。授業を持たないということは、子どもたちを「評価しない」ということです。
子どもたちにとって保健室の先生(養護教諭)は「先生であって先生でない」「友達ではない」「保護者でもない」、「最も身近な大人であり、他人」という存在です。なので、気軽に相談ができ、甘えることができます。
「こんなこと言ったら成績に関わるかな…」「内申書に響くかな」という不安を持たず、程よい距離感の他人だからこそ安心して頼ってくれる子どもがいると、保健室の先生(養護教諭)として非常にやりがいを感じます。
やりがい2:全校生徒の顔がわかる
2つ目のやりがいは、全校生徒の顔がわかる、接する機会がある、という点です。
保健室の先生(養護教諭)の多くは、学校の中に一人しかいないため、担任やほかの教員と違い、全生徒と関わることになります。
そのため、全生徒の名前と顔がわかり、生徒からも「保健室の先生」として必ず覚えてもらえます。
これは、先生としてとても嬉しいことです。
やりがい3:学び続けることができる
3つ目のやりがいは、保健室の先生(養護教諭)は「学び続けることができる」という点です。
保健室の先生(養護教諭)は、看護師でも医師でも臨床心理士でもなく、生徒たちの担任でもありません。なので、保健室の先生(養護教諭)として、子どもたちにできることは限られています。でも、「医者じゃないからなにもしなかった」「担任じゃないから良くわからない」「とりあえずベットで寝かしておいた」などとは、決して言えないのです。
だからこそ保健室の先生(養護教諭)は、自分にできる範囲で最大限の対応ができるよう、日々学び続ける必要があります。
しかしこれは簡単なことではありません。保健室に来る児童や生徒の状況は、子どもの数だけ違います。もちろん指導書はなく、正解もありません。
例えば、「腹痛」と一言で言っても、その原因がなんなのか、目の前の子どもの状況と、子どもの発言だけを頼りに見極めなければいけません。腹痛の原因が、便秘なのか虫垂炎なのか、心因性なのか空腹なのか、それを判断し、適切な処置を行うためには知識が必要です。
毎日子どもたちの顔を見ているとわかることもたくさんあるので、子どもたちの普段を観察する事も重要です。
学び続けることができる、そして、学んだことはいつか絶対に子どもたちの為になる、というのは、ものすごく大きなやりがいです。
17年間、保健室の先生(養護教諭)をやっていて感じる「喜び」
次は、17年間保健室の先生(養護教諭)をやっていて嬉しかったこと・楽しかったことについて、それぞれ小学校の場合と高校の場合で、まとめました。
嬉しかったこと・楽しかったこと:高校の場合
私は最初の6年間は、高校で勤務していました。そこでは、自身がまだ若かったこともあり、生徒と年齢が変わらない「近所のお姉さん」という存在でした。
生徒だけでなく、同僚からしたら少し頼りない部分もあったと思います。まだ知識もなく、経験も浅い私ができることは「とにかく一生懸命生徒たちに向き合う」ということだけでした。
私が経験したこともない家庭環境で育ってきた生徒や、目の前で自傷行為をする生徒を目の当たりにしたこともありました。保健室で大暴れされたり、物を盗まれたり、うそをつかれたり、毎日自分の心も一緒に削って過ごしていました。
それでも子どもは大人をよく見ています。白衣を着て保健室にいる保健室の先生(養護教諭)をしている私の行動を、一つ一つしっかり見ています。「近所のお姉さん」のようだだけど頼りになる、そう思ってもらえれば、疲れた時やしんどい時に、また保健室にきてくれます。
「ありがとう」や「助かった」なんて言葉はなくても、子どもたちが保健室に来るという事実が、私にとっては、とても嬉しいことでした。
嬉しかったこと・楽しかったこと:小学校の場合
7年目になって、私は小学校勤務になりました。
高校で自分の心も削りながら生徒の心と向き合う中で、「生徒の心のしんどさは、小学生のときの経験が関係している」と感じていたこともあり、働く校種を変更しました。
小学生は高校生とは全く違います。
なんといっても裏表がありません。ネグレクトなどの愛情不足の子どもは毎日のように抱き着いてくるし、経済的にしんどいおうちの子は破れた服で登校します。
私が勤務した小学校は地方ではなく都会と言われる場所でした。高層マンションも多く、自宅や学校の周辺にラブホテルや居酒屋があり、公園には浮浪者の人がいるような状況で、子育てにいい環境とはいいがたい場所でした。
児童養護施設が校区にあり、施設から登校してくる児童もいました。大人はどうしても偏見があり、児童養護施設の児童たちは、「きっと乱暴だろう」「生活が大変だろう」という目で見られていました。
確かに児童養護施設に入っている児童には、そこに入るなりの背景があります。しかし、高層マンションに住んでいる児童と何ら変わらない表情である場合がほとんどでした。
そんな小学校で、私が楽しいと感じていたのは「保健指導」です。
検診や測定の回数が多い小学校では、保健室の先生(養護教諭)が保健指導を行うことがたびたびあります。
保健指導で伝えたことを普段の生活の中で続けてくれたり、おうちや施設に帰って保護者や養護施設の先生に「こんなことを習った」と話してくれたりすると、「自分のやったことがきちんと伝わっている」と嬉しくなりました。
そのための準備は大変ですが、手を変え、品を変えて毎回行う保健指導は小学校ならではです。
17年間保健室の先生(養護教諭)をやっていて感じた「つらさ」
次は、17年間保健室の先生(養護教諭)をやっていてつらかったことをまとめました。
一番つらいのは、児童や生徒とどんなに向き合っていても、通じ合えないときがあるということです。
保健室の先生(養護教諭)は身近な他人です。担任のように自分のクラスがあるわけではなく、保護者のように血のつながりもありません。そのため「こんなにやったのに伝わらなかった」と、悲しくなることもあります。
また、「保健室の先生(養護教諭)」としての存在意義がわからなくなって、つらいと思うこともあります。同僚から、自分の机上にだけプリントが配られなかったり、教職員名簿から抜け落ちていたりすることもあります。
もちろん同僚たちもわざとではないのですが、教科を教えている教諭と比べると、いつも職員室ではなく保健室のいる保健室の先生(養護教諭)は、影が薄いのかもしれません。
保健室の先生(養護教諭)という職種は、学校内ではどちらかというと孤独であり、孤立しがちです。保健室の先生(養護教諭)になりたての頃は、わざとでなくても「忘れられてしまう」という仕打ちに心が折れそうになることもありました。
それでも腐らずに続けていれば、そのような状況に自分の中で折り合いが付けられるようになります。そしてまた、「影が薄いなんて思わせない!」という意気込みで、自分の職務に奮起していると、自然と存在感が出てくることもあります。
これから保健室の先生(養護教諭)を目指すみなさんへ
保健室の先生(養護教諭)という仕事は「あなた」自身で、楽にも大変にもなる仕事です。
今では、先人たちのおかげで「保健室の先生」という立場が確立されている職場も多く、「保健室の先生は大切なポジション」と言ってもらえることが多くなりました。
しかし、テレビやアニメに出てくるような華やかなものでは決してありません。どちらかというと「縁の下の力持ち」というポジションです。
私は自分の子どもと私自身の事情で、現在は保健室の先生(養護教諭)という職を離れることになりましたが、この仕事が大好きでした。
理想と違うと感じることも多いですが、子どもたちと一緒に成長できるやりがいのある職であることは間違いありません。
まとめ – 編集部より
いかがでしたか?
保健室の先生(養護教諭)という「学校にただ一人」の存在だからこそ感じる喜びやつらさがあることが、よくわかりました。
養護教諭を目指している方も、そして現在養護教諭として働いている方も、この記事を読んで、ぜひ「保健室の先生(養護教諭)」という仕事の、やりがいや喜びを見つけてください。
コメント
コメント一覧 (1件)
保健室の先生のやりがい、嬉しかったこと、つらかったこと、それぞれのエピソードを知ることができて良かったです。自分が過ごしてきた学生生活でも、働く立場から見ると知らなかった一面がたくさんありそうだなと感じました。